10

1/1

109人が本棚に入れています
本棚に追加
/45ページ

10

〈ねぇ、夏休みはどのくらい帰って来れるの?〉  律希が地元を離れてしまい会えなくなると常に焦燥感に苛まれるようになった。健琥と毎日を過ごしていると思うと落ち着かない。  だから、次の約束が欲しくて確実な返事がもらえるまで何度もメッセージを送ってしまう。  夏休みが終わった後も無理だと言いつつ部屋に来ていた律希だったけれど、その関係は冬の訪れと共に終わりを告げた。 「流石にもう追い込みだから」  そう言った律希に「近くの大学なら余裕なんだろう?」と言ってみたけれど、将来のために取りたい資格があるからと、俺との将来を望む言葉を聞かされればそれ以上は何も言えなかった。  その頃には友人たちの進路が決まり、自動車学校に通えるようになったこともあり、律希と過ごしてきた週末は友人との予定で埋められていく。  冬休みに入る頃にはせめてクリスマスくらいは2人で、と思ったけれど会ってしまえば何もせずに帰すことなんてできないから〈勉強の邪魔しちゃ悪いから〉とメッセージを入れて会いたい気持ちを我慢する。寝る前にしていた電話も「律希は今からまだ頑張るのに〈おやすみ〉なんて言えない」と控えた。声を聞いてしまえば触れたくなるのだから我慢するためには仕方ない。  それでも少しは律希からのメッセージや電話を期待していたんだ。律希の邪魔はしたくないけれど、律希が息抜きをしたいと言えばいつでも何でも付き合うつもりだった。  だけど、俺の気持ちなんて知るはずのない律希は合格発表の日に嬉しそうに結果を告げ、可愛い笑顔を見せた。  手続きや引越しの準備で忙しいけれど直接伝えたかった、と言う律希に「健琥と一緒に住むの、本当は許したくない」と言ってみるけれど、部屋はもう決まってるのだから変更はできないと言われてしまった。知っていたけれど、少しくらいは考えるふりをしてくれてもいいのにと暗い気持ちになる。 「律希は俺のものだから、忘れないで」  短時間でもいいから律希を独占したくて半ば無理やり部屋に連れて行き性急にその身体を開く。久しぶりだからゆっくりして欲しいと言った律希はそれでも準備がしてあり、同じ気持ちだったのだと思うと抑えが効かなかった。  後孔を俺で埋めながら執拗に痕を残していく。その胸に、白い腹に、背中に、そして、一度引き抜いて口を開けた後孔を横目に太ももに、鼠蹊部に痕をつける。誰にも見せられないように、誰かに見られても俺のものだと見せつけるように。 「痕、そんなにつけないで」  そんな風に言った律希に腹が立ち思わず強く歯を立ててしまう。口の中に鉄臭さが広がる。 「こんなところ、誰かに見せるつもりなの?」  そう聞いても「誰にも見せない」と言わない律希にさらに腹を立てて歯形を増やすと「痛い」と泣きだす。 「律希が誰かに見せようなんて考えるから」  そこまで言っても「見せない」とは言わない律希に痺れを切らして言ってしまう。 「こんな身体、健琥に見せられないね」  引っ越してしまえば年に数回しか会えなくなるせいで焦っていたのは認める。だけど、律希は俺のものだと実感できれば優しくできたのに言葉に出して確約してくれない律希に不安が大きくなってしまったんだ。  痕を見れば俺を思い出すだろう。柔らかいとこにつけた歯形はもしかしたら傷痕として残るかもしれない。 「夏休みには帰ってくるんだろ?  待ってるから」  その時に痕を探し、俺以外の痕がないか確認する必要があるだろう。  だって、健琥に対する牽制を怠ることができないのだから。  健琥と2人でいるところは見たくなくて見送りに行かなかったせいで、2人の関係に疑心暗鬼になった俺はその執着を増していく。 「ねぇ、健琥に聞こえるように俺のこと好きっていって」 「俺が寝るまで電話切らないで」 「今って自分の部屋?  ビデオ通話できる?」  とにかく健琥に俺の存在を見せ付け、牽制をする。 「ねぇ、痕見せて」と自室にいる律希にお願いして拒否された時には喧嘩になったけれど、「誰かに増やされたの?」と疑えば渋々シャツを捲る。  だけど、日に日に薄くなっていく痕に不安になり、誰にも見せた事のないであろう律希が見たくて思わず言ってしまった。 「ねぇ、そのまま自分でして見せて」  ビデオ通話の向こうで悲しそうな顔をした律希は『ごめん』とだけ告げて電話を切ってしまう。  不味いと思い、謝ろうと電話を繋げようとするけれど、電話の向こうにいるはずの律希からは何の反応もない。 〈ごめん、調子に乗った〉 〈律希のこと見てたら色々思い出して〉 〈電話越しでもいいから一緒にしたかった〉 〈ねぇ、電話に出て。  声聞かせて。  俺がするの聞いてくれるだけでもいいから〉  電話をしながらメッセージを送り続ける。後になって自分の送ったメッセージを見て何を言っているのだと情けなくなるのだけど、この時は真剣だった。  好きだからどんな律希も見たい。  身体を重ねることはできないからその代わりに2人で同じ時間を共有したい。  誰もさせた事のないことを律希にさせたい。  そんな想いが下半身に直結するのは若いのだから仕方がない。  何とか律希とコンタクトを取りたいのにメッセージに既読が付いても返信がない。何度も電話を掛け直し、何度もメッセージを送る。  いつまで待っても返事をくれない律希に痺れを切らし、仕方なく健琥に電話をかける。 『もしもし?』  何度かのコールの後に出た健琥の声は訝しげだ。今まで連絡した事のない俺から急に電話が入ればそうもなるだろう。 「健琥、今って部屋?」 『そうだけど』 「近くに律希、いる?」 『律希も部屋じゃない?  ってか、僕じゃなくて律希に電話しなよ』  正論を言われ返答に困る。  今の出来事を隠さず伝えれば呆れられるだけだろう。 「それが、既読つくのに返信無いし、電話も出ないんだ」  嘘はついていない。そうなるまでの経緯を伝えなかっただけだ。 『寝てるのかも。  ちょっと部屋見てみようか?』 「…頼む」  普段どんな生活をしているのかは知らないけれど、健琥が律希に部屋に入るかと思うと面白く無いけれど、今はそんなことも言っていられない。    移動する気配とドアをノックする音。  律希のことを呼ぶ声。 『何かあったの?』  そんな風に言われても曖昧な返事しかできない。『仲良くしなよ』呆れたように言われるけれど、仲良くするのを邪魔する存在のひとつが自分だなんて思ってもいないのだろう。 『律希、貴之から連絡がつかないって電話きたけど、どうした?』  そんな声の後で会話をしている声が漏れ聞こえるけれど、内容までは聞き取れない。 『なんか律希、調子悪いみたい。様子見てまた連絡するから』  次に聞こえたのはそんな言葉だった。調子が悪いなんて、そんなはずはない。 「少しでいいから話したいんだって」  何とかならないかと悪あがきするけれど、今までだって俺よりも律希を優先する健琥に通じるわけもなく『また連絡する』とだけ言って無理やり電話を切られてしまった。  こうなってしまうと何も出来ることはなかった。  また連絡すると言ったけれど、そのまたとはいつの事だろうか。今日なのか、明日なのか、それとも数日待つしかないのか。  何度もスマホに手を伸ばし、メッセージアプリを開いては閉じ、電話番号を呼び出しては消す。  この部屋で寛ぐ律希を思い出し、この部屋で俺に抱かれる律希を思い出す。  時間が戻ればいいのに。  子供の頃に戻れたらもっとちゃんと勉強をして、律希と同じ高校に行って、律希と同じ大学に行って、健琥じゃなくて俺と部屋を借りて。ついついそんなことを考えてしまう。  今の生活に不満はない。不満はないどころか満足している。  家業を継ぐために入った会社は正直なところ居心地が良い。見慣れた仕事と昔から知っている従業員。  不慣れではあるけれど〈息子だから〉と甘やかされることはなく、一社員として扱われるのは案外悪くない。説教されたり、時には叱責されたりもするけれど、部活をしていた頃に比べれば可愛いものだ。先輩から理不尽な感情をぶつけられた経験は俺に忍耐を身につけさせた。  それなのに律希に対してだけは我慢のできない自分が嫌になる。  悶々としたまま時間は過ぎていく。  そもそもの発端はGWに帰って来ないと言ったことだった。  受験の邪魔をしないようにと我慢した。引っ越しがあるからと我慢した。  それならばGWはと聞けばカレンダー通りだから帰る予定はないと言われてしまい、短い休みを健琥と過ごすのかと思うと苛立つ気持ちを抑えることができない。GWが駄目なら夏休みはと聞けばまだわからないと言われ、明確な返事がもらえないことに苛立ち要求がエスカレートしてしまったのだ。  薄くなり、消えていく痕に焦っていた。  噛んで付けた傷が一生残ればいいのにと思っても、その傷痕さえも消えてしまうのが不安でしかたなかった。  仕事中は良かった。〈息子だから〉と甘えさせられることも、疎まれることもなく〈新入社員〉として学ぶのは面白いし、自分の将来を考えれば必要なことだと部活以上に集中することができた。だけど部屋に戻ると今も残る律希の気配に気持ちが騒つく。  律希に会いたい。  その時にスマホから着信音が聞こえたため律希かと思いスマホを見ると表示された健琥の名前に苛立つ。 「もしもし?」  声が低くなるのは仕方ないだろう。 『律希が貴之と話したい事があるって言ってるんだけど、忙しい?』 「お前、さっき律希は体調悪いって言ってなかった?」  こんな時にも頼るのは健琥なのかと腹が立つ。 『体調悪いって、本人が言ってるんだからそうなんじゃない?』 「…話って?」  さっきまでビデオ通話をしていたのだ。体調が悪いだなんて嘘だと知っていて引き下がったのに、それなのに何で健琥越に確認しなければならないのだろう。  自分の気持ちと律希の気持ちの温度差に何かが冷えていく気がする。 『それは律希に聞いて。  あ、律希が2人だと話しにくいって言うからスピーカーにしてあるから変な気起こさないでね』 「何だよ、それ」  思ってもいなかった事態に抗議の声を上げてもそれで動じる健琥じゃない。 『ボクの目の前で律希に好きって言わせたりしたくせに、今更じゃない?』  そんな風に言われてしまえばい何も言い返せなかった。 『貴之、ごめん』  その時聞こえてきた律希の声。  この〈ごめん〉は何に対してのごめんなのだろう。健琥の前で好きと言わせたことをバラしたことに対してなのか、それとも調子が悪いと電話に出なかったことに対してなのか。どちらにせよ、俺との電話を切ったくせに健琥と過ごしていたのだから〈ごめん〉がどちらに対してでも関係無い。 「…話って?」  律希に対して嫌がるような要求をしたくせに、自分のことは棚に上げて〈ごめん〉に対して何も返さず話を促す。  隣で聞いている健琥がどんな気持ちでいるかなんて、健琥に聞かれながら律希が言葉を探しているなんて、そんな事を気遣う余裕は俺には無かった。
/45ページ

最初のコメントを投稿しよう!

109人が本棚に入れています
本棚に追加