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『貴之はボクのこと、信じられない?』  それは、絞り出すような律希の言葉だった。考えて考えて、律希が1番聞きたかった俺の気持ち。 「信じてる」と言えば律希は安心するのだろうけれど、信じたくても信じられないからその言葉を言うことができない。  俺だって信じたいけれど、信じられないような行動をしているのは律希だ。 『ボクは貴之を不安にさせないようにできる事はしてるつもりだよ?  それなのにボクの気持ちを無視した事ばかり言われるなら…もう終わりにした方がいいのかもしれないね』 「俺は別れたくない」  考える前に答えていた。  律希が俺の要求を拒むことなんてなかったのに。したいこと、してもらいたいこと、どんなことでも願えば叶えてくれていたのに今になって拒むのはきっと健琥のせいだ。その気持ちが言葉になって出ていたことに自分では気付いていなかった。だけど2人には聞こえていたらしい。 「だから近くにいて欲しかったんだよ。  近くにいれば不安になんかならなかった。俺は我慢してるのに健琥は毎日会えるし、毎日話せるし、毎日触れられる」  言葉を抑えることができなった。  知られたく無かった律希を信じきれない想い。恋愛なんて信頼関係がないと続かないなんて、気付いて当たり前のことに気付かずただただ相手を責めるだけの幼い恋情。 『だから健ちゃんとは何も無いってば』 「俺以外の名前、呼ぶなっ!  俺と話してる時に俺以外の事、考えるな」 『貴之っ』  俺の幼過ぎる主張に呆れたのだろう。激昂した俺を止めるかのように健琥が口を挟む。 「健琥は関係ないだろ?」 『僕の名前を出したのは貴之でしょ?』  飄々とした健琥の態度が気に入らない。いつもそうだ。一緒に遊ぶようになったのがいつからかなんて思い出せないほどの付き合いだけど、記憶の中の健琥はいつも一歩引いている印象だ。  一緒に馬鹿なことをしていても、どんなに笑い合っていても一線を越えそうになる時にストッパーとなるのはいつも健琥だった。  だから、何かあると律希が頼るのは俺ではなくて健琥だったし、どれだけ身体が大きくなっても、どれだけ人気者になっても、何をしても、何があっても、困った時に律希が声をかけるのは健琥だった。 「こういうのが気に入らないんだよ、何で俺じゃなくて健琥に頼るんだよ…」  自分の情けなさなんて自覚している。自覚しているけれど、それでも律希に頼られたい。 『だって、貴之が律希の話聞かないからでしょ?』 「そんなこと、」 『あるでしょ?だって律希、貴之の言いなりでしょ?  言いたいことも言えなくて、ずっと我慢してる関係なんてすぐにダメになるのに貴之は好き勝手言ってるし、やってるし、律希は我慢してるし。  律希のこと好きならもっと信頼してあげなよ。  あ、僕のこと気にしてるみたいだけど、僕は律希のこと恋愛として好きだった事は一度も無いからね。この先も絶対に無い。  貴之に分かりやすい言い方すれば…僕は律希がどんな格好してても、何してても、それこそ目の前で裸になっても勃たないからそこは安心して』  俺の言葉を遮って一気に喋り倒す健琥に圧倒される。健琥がここまで饒舌なのも珍しい。  言葉はうまいし、説得力もあるけれど、こんな風に自分の主張をする言葉を初めて聞いたと驚き口を挟むことができない。 『だから改めて2人で話しなよ。  律希、部屋に戻って自分のスマホで貴之に掛け直しな。これが最後のチャンスかもね』  これは、目の前にいるであろう律希に向けられた言葉。 『貴之も、律希から掛け直させるから僕のこと抜きでちゃんと律希の話聞いてあげて。  貴之の執着に僕のこと絡められるの、正直迷惑だから。  僕の名前出せば律希が困るって分かって言ってること、気付いてるからね』 「そんなこと、」と反論しようとした けれど『じゃあね』とあっさりと通話を切られてしまう。 「何だよ、これ」  通話の途切れたスマホを持て余し、そんな言葉が溢れるけれど思い返せば健琥は正論しか言っていないことに気付く。 〈言いなり〉と表現した健琥の言葉が耳に痛い。  お願いをして、お願いを聞いてくれるなんて思っていたのは俺だけで、本当のところは律希がどうする事もできない事情を盾に律希を言いなりにしていただけだと改めて突きつけられてしまった。  とりあえず謝るべきだろう、そう考えるけれど電話はかかって来ない。こちらからかければ早いのだけれど、そこは律希のタイミングを尊重しようと思い待つことにする。  それでも不安な気持ちからメッセージを送ってしまう。 〈律希、ごめん〉 〈話、させて〉  何度も何度も入れてしまうメッセージ。 〈好きだから〉 〈ちゃんと話聞く〉 〈怒らないから〉 〈声、聞かせて〉 〈変なこと言わないから〉  律希からの連絡を待つべきだと分かっていても止める事のできないメッセージ。過ぎていく時間と溜まっていくメッセージ。  既読はついているのだから見てはいるのだろう。いくつものメッセージを重ね、想いを伝えようとするけれど文字だけのメッセージでは伝えきれない。  健琥は電話をさせると言ったけれど、あいつが強要することはないだろう。律希の意思を大切にするつもりだけど話ができないことには何も伝えることができない。既読がつくのに何のアクションも起こさない事に痺れを切らしてこちらから電話をかけてみる。  2度、3度の呼び出しの後に律希と繋がる。 「律希?」  電話の向こう側に律希がいることを確かめたくてそっと名前を読んでみる。怯えさせないように、逃がさないように。 『…ごめん』  そして聞こえてくる律希の声。  さっきもそうだけど、何か遠慮しているような、俺の機嫌を伺うような、一言目に出てくる言葉が〈ごめん〉だなんて、他に言葉はなかったのだろうか。 「何に対するごめん?」 『…分からないけど、ごめん』  言葉が続かない。  謝るべきなのはきっと俺の方だと思うものの、自分の主張を曲げることのできない俺はその言葉を言うことができない。謝って、歩み寄って、それをすべきだと思っていても行動に移すことができない。 「健琥がちゃんと律希の話を聞け、律希を我慢させるなって、律希が我慢して続く関係なんてすぐに駄目になるって…」  とりあえず健琥に言われたことを確認してみようと思うけれど、それでも我慢しているのは自分のほうだという思いを消すことができない。  俺は夏休み以降、律希に会いたい気持ちも我慢してきたし、健琥と同じ部屋に暮らすことも我慢した。もっと言ってしまえば地元から出て行こうとする律希を引き止めるのだって我慢してきたんだ。  俺を我慢させて受験勉強を優先して、俺が嫌がっても健琥と暮らし、地元にいて欲しいと告げても頑なに進路を変えなかった律希が何を我慢しているのだと言いたくなる。 「律希は我慢してたの?」  自分の気持ちを抑えて聞いてみたけれど、そんな事はないと言って欲しかった。そんな事はない、健琥の勘違いだと言ってくれることを期待した。  だけど、返ってきた言葉は俺を黙らせる。 『ずっと…ずっと我慢してた。  こっちに来る前から、ずっと…』  思ってもみない言葉を告げられると声が出せなくなるものなのだろうか。 『ボクは会いたかったけど、時間がないなら顔を見られるだけで良かったのに貴之は違ったよね』 「………」  何を言われているのか理解できなかった。 『金曜日におざなりに抱かれて、土曜日には好き放題されて。  好きだから、嫌われたくないから言えなかったけど、することだけが目的なのかって悲しかった』 「…そんな風に思ってたの?」 『うん』  返す言葉が無かった。  律希も同じ気持ちだと思っていたから嫌々抱かれていたのかと思うと居た堪れない気持ちになる。  俺の腕の中で可愛く啼いていた律希は何だったのだろう。俺の腕の中で身を捩っていたのは逃げ出したかったからだったのだろうか。 「他には?何が嫌だった?」  恐る恐る聞いてみる。嫌々抱かれていたのだったら不満しかないだろう。 『…健ちゃんとは何もないのに名前出すだけで怒るのも怖かった。  健ちゃんはずっと前からボクの気持ち知ってて話聞いてくれてただけなのに、健ちゃんにしか相談できなかったのに、それなのに怒るだけでボクの話なんて聞いてくれなかった』  事あるごとに出てくる健琥の名前。  この名前を聞く度に腹の底に重い何かが溜まっていくような気がする。律希と同じ幼馴染の括りに入るのに、それなのに受け入れ難い気持ちを覚えるその名前。気持ちを知っていてとか、相談とか、気に入らないワードまで出てくる。 「律希の気持ちって?」  声が低くなるを自覚する。 『ずっと、貴之のことが好きだった。  健ちゃんはずっと前から知ってたから止めておけって言ってくれてたんだ』  返ってきた言葉が思ってもみなかった言葉で戸惑ってしまう。律希が俺のことを好きだと思ってくれているのはちゃんと伝わっていたけれど、それがいつからかなんて考えたことがなかった。 〈ずっと前〉とはいつからのことを指すのか気になり声が上ずる。 「ずっとって、いつから?」 『…小学生の頃?  だから、気持ちがちゃんと通じないのが苦しかった』 「小学生の頃って、健琥もそんな頃から知ってたの?」 『健ちゃんが気付いたのは中学の頃かな。だから、周りにバレないようにいつも気にしてくれてたんだ』 「…そうだったんだ」  律希の思わぬ告白に少し混乱する。小学生の頃から好きと言われても、律希の視線の先には安珠がいた。安珠がいたはずだと思うものの、それを聞くような雰囲気ではない。  それならばあの頃、律希が意識しているせいで安珠のことを気にしていた俺の気持ちはどこに向いていたのだろう。 「律希、ごめん」  何に対しての〈ごめん〉なのかは自分でもわかっていないけれど、それでも謝ることしかできなかった。さっき、律希が〈ごめん〉と言った時もこんな気持ちだったのかもしれないと思い至り、そんな風に言わせてしまって自分を悔やむ。 『それは、何に対してのごめん?』  さっき自分が言った言葉が返ってくる。そして、さっきの律希の気持ちを少しだけ理解できたような気になる。  何かに対しての〈ごめん〉ではなくて、不安にさせたことや、信じられなかったこと。そして、律希の気持ちを理解することなく自分の気持ちや行為を押し付けていたこと。  たくさんあり過ぎて何に対してかなんて自分でもわかっていない。 「何だろう?  色々ありすぎて…ごめんしか言えない」  それでも律希が〈ずっと好き〉だったと言ってくれたことが嬉しくて、自分の気持ちをちゃんと伝えようと口を開く。  気持ちが伝わるように、俺が好きだと思う律希を思い浮かべながら言葉を選ぶ。 「俺はちゃんと律希のこと好きだよ?  だから顔を見るだけじゃ我慢できなかった。少しの時間でも良いから律希に触りたいし、律希に触って欲しかった。  一緒にいるだけなら健琥と同じだから健琥にはしないこと、させない事をして律希の気持ちを試してたのかもしれない」  言いながら自分の幼さに苦笑いしてしまう。いい年して子どもみたいな独占欲で健琥に対抗して、肝心な律希の気持ちを置き去りにしていたことへの反省の気持ちもあるけれど、それでも自分の気持ちを伝えていく。 「俺、馬鹿だから自分が気持ち良ければ律希も気持ちよくなってると思ってたし。  最低だけど、短い時間でも部屋に来てくれるし、お願いすれば口でしてくれるし。律希は俺のお願いは何でも聞いてくれるくらい、何でも聞きたいと思うくらい俺のこと好きでいてくれるって思ってたんだ」 『…好きだよ?  貴之のこと、大好きだよ?  でも、貴之はボクが思うほど好きじゃないって思ってた。  だから嫌だって言って嫌われたくなくて、嫌だって言って会えなくなるのが怖くてずっと我慢してた』 「…ごめん。  でも…嬉しいかも」  律希が別れを告げようとしているのは何となくわかってしまったけれど、それでも〈好き〉とか〈大好き〉の言葉が嬉しくて仕方がなかった。  俺が好きだから、嫌われたくないから我慢していただなんて、何で殺し文句だ。 「律希がそんなに前から俺のこと好きでいてくれたの嬉しいし、健琥が知ってて気を付けてくれてたとか、全く知らなかったけど俺だけ仲間外れだったわけじゃないなら嬉しい」  そして告げた俺のもうひとつの気持ち。  それは俺の、もうひとつの幼い想いだった。
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