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《3年になったら就活始めるから春休みは少し長くそっちに帰るつもりだけど、貴之の都合は?》  今までならば喜んで返信していたメッセージ。だけど今は、どう返そうか戸惑うことしかできないメッセージ。  あれから、〈20歳の集い〉のあとで安珠を部屋に連れ込んだあの日から、流れに逆らうことができず、所謂〈お付き合い〉というものが始まった。  俺が安珠を持ち帰ったのはその友人たちも知っていたし、俺の友人と繋がりを持った彼女たちの口からその事実がバレるのはすぐだった。  約束通り集まった時に当然のように付き合い始めた程で扱われたのは自然の流れだろう。 「貴之、覚えてる?  そのまましちゃったの」  あの日の朝、目を覚ました安珠は少し不安そうにそう言って俺のことを見た。 「もしかして、中に?」 「…それは大丈夫だけど」  その言葉に正直ホッとする。  律希とは使うことの無いゴムは買わなくなって久しい。だから当然、部屋には置いていない。  不幸中の幸いというか、律希相手の時のように中に出す事はしていないらしい。 「どうする?」 「どうするって?」 「これから、わたしたち」  少しだけ俯き不安そうに言う安珠に否定の言葉を告げる事なんてできなかった。 〈大丈夫、律希には健琥がいるから〉  律希の顔がよぎったけれど、そんな風に勝手に結論をつけたのは前日の2人の姿が頭から離れなかったから。  それに、俺なりにゴムを使わなかったことに対しての後ろめたさがあったから。  万が一。  万が一があった時に、その時になって仕方なく責任を取るなんて情けない事はしたくなかった。 「付き合おっか」 「………本当に?」  しばらくの沈黙の後で顔を上げた安珠は、それでも嬉しそうにしている。俺に好意がなければそもそも話しかけて来なかっただろうし、俺に好意がなければ部屋にまで着いてこなかっただろう。  部屋に来た時点でその先を期待していたのは安珠だって同じだってはずだ。  だから〈付き合う〉の言葉は要らなかったのかもしれないけれど、正直なところ律希との関係を何処か諦めていたのかもしれない。 《春は新しい人が入るから忙しい》  安珠との関係を隠すのなんて簡単だった。だって、律希は地元にいないのだから。そして、地元の友達と連絡をとっていないのだから。  あの日、同窓会に顔を出す事なく戻っていった2人は本人不在であっても〈話題の人〉で、「律希は相変わらず可愛いかった」だとか、「健琥が少し愛想良くなった」だとか、「こっちにはもう戻って来ないらしい」なんて話題まで出てくる。 「貴之、なんか聞いてないの?」  そんな風に聞かれても「どうなんだろう、将来的には戻ってくるみたいな事は言ってたよ?」としか答えられなかった。律希と話した時に感じた違和感のせいで〈帰ってくるって言ってた〉とは言えなかった。  俺の言葉に反論をする同級生がいないのは俺以外に連絡をとっている相手がいなかったからだろう。  だから、俺が安珠との関係を黙っていればバレる事はないと思っていたんだ。  こんなことが何時までも続くとは思っていなかった。春休みはこれで誤魔化せても夏休みになってしまえば〈新しい人〉なんて言い訳は通用しない。夏休み以前にGWだって誤魔化すのは無理かもしれない。  それでも何をどう伝えれば良いのかわからない俺は、律希に別れを告げることができないまま安珠との付き合いを深めていく。 《じゃあ、週末に合わせて帰る》 〈週末に帰ってきても、時間取れないかもしれないから俺の予定は気にしなくていいよ〉  以前なら嬉しかった律希の言葉も面倒だと思ってしまう。  律希の帰ってくる週末を空ける事は可能だ。安珠に律希が帰ってくるからと告げれば会えない理由にはできるけど、今までのように律希との時間を楽しむ事はできないだろう。  それならば会わない方がいい。  何時かは告げないと思いながらも時間だけが過ぎていく。  安珠との付き合いは順調そのものだ。 〈20歳の集い〉での約束通りお互いの友人を加えて飲み会を開き、その席で付き合い始めたことを改めて報告した事で周囲にも公認の中になる。  報告してしまえば週末を一緒に過ごすのは当たり前となり、週末以外にも一緒に過ごすようになり、毎日のように部屋に来るようになるのはすぐだった。  隠す必要のない付き合いはすぐに親の知るところとなり、親公認の付き合いとなる。  留守がちな両親の目を気にすることなく家に出入りするようになれば、不特定多数の人が安珠の事を目にするのだから〈貴之君に彼女ができた〉なんて言われるようになるのもすぐだった。  中途半端に街なくせに、中途半端に田舎なこの辺は、その土地にゆかりのない者にはそれなりに無関心なのに、その土地にゆかりのある者や元々も地元の人間に対しては過干渉気味だ。  律希の家の様に代々その土地に住んでいる者の事は気にする癖に何も言わないけれど、うちの様に中途半端にこの土地に馴染んでいる状態だと何かにつけて人の目に晒される。逆に健琥の家の様なサラリーマン家庭には無関心だ。 「今日ね、律ちゃんと健ちゃんのお母さんに会ったわよ」  そんな風に母に言われたのはバレンタインの時。安珠が作ってくれたチョコケーキは一度で食べ切ることができず、冷蔵庫に入れにキッチンに降りた時だった。  母の口から出てきた名前に先程まで安珠と過ごしていた甘さが薄れていく。 「そうなんだ?」 「相変わらず仲良しで春休みに2人で律ちゃんと健ちゃんに会いにいくんですって」 「そっか」  何か言わなければ、そう考えるけれど言葉が浮かばない。 「律ちゃん、こっちに帰ってこないの?」 「どうだろう、聞いてないかな」 「………」  何か言いたそうな母が気になる。 「もう、終わりにしなさいね」  俺が何も言わなかったからか、母が先に口を開く。そう言われ、何を終わりにしろなのかと考え、思いついたことに肝が冷える。 「何が?」  言われる言葉は薄々気づきはしたものの、それでもと聞いてみる。 「律ちゃんとの事」  はっきりと言われ、どんな風に返事をするべきかを考えてみても何を言えばいいのかが分からない。律希との関係がばれているなんて、そんなことを考えたこともなかった。 「律希の事って…」 「誰がゴミ捨ててると思ってるの?」  なんとか誤魔化そうとするものの、呆れた様に言われてしまう。気を付けていたと言ってもコンビニの袋に入れたり、要らないプリントに包んだりしていただけだ。そのゴミを集めるのは誰かと言われれば母なのだから不思議ではないだろう。 「何時から?」 「そんなの、すぐ気づいたに決まってるじゃない。  そもそもゴミって匂うし」  母親にそんな風に赤裸々に言われてしまい居た堪れない。 「律っちゃん来るようになってから機嫌いいし、落ち込む事減ったから何も言えなかったけどね」  そう言ってため息を吐く。 「相手も律っちゃんだから見ないふりしてただけ」  母の言葉に何も答えることができない。 「律っちゃんだからって?」 「律っちゃん男の子だし、何かあった時に律っちゃんとこなら何とかしてくれるだろうし」 「何か、とか何とかって…」 「律っちゃん男の子だからその辺は大丈夫だけど、変な噂が出てもあそこのお家ならね」  そう言って言葉を濁す。 「律っちゃんが大学に行けば終わると思ってたけど続いてたでしょ?  安珠ちゃんもいる事だし、もういいんじゃない?  きっと、向こうに行った時に話すだろうし」  母の言いたい事は理解できたし、安珠と付き合っているのだから当然、律希との仲は精算するべきだ。だけど、あれ程までに縛り付けてきた律希に何をどう伝えたらいいのかが分からない。  素直に「好きな人ができた」「別れたい」そんな風に言うには重すぎる関係。  そして気付く母の言葉の違和感。 「話すって、何を?」 「今日ね、2人に会った時に律っちゃんと健ちゃんの話も聞いたの。あとお兄ちゃん達のことも。  別に詮索したわけじゃないわよ?  元気?とかお兄ちゃん達はどう?とか。  向こうもお兄ちゃん達の子の話したり、律っちゃんと健ちゃんは就活が始まるとか。  その時にうちも貴之がそろそろ結婚するかもって、」 「何で⁈」  予想外の母の言葉に大きな声が出てしまう。 「だって、いつまでも律っちゃんと付き合ってられないでしょ?  あっちはもう孫もいるし、律っちゃんが好きにしても良いけど…うちにはあんたしかいないのよ?」  言い聞かせるように告げられる言葉。  そんな事、考えたこともなかったけれど、言われてしまうと納得するしかない。例えば安珠と結婚したところで子供のいない未来が有るかもしれないけれど、子供を授かる可能性は0じゃない。だけど、律希との未来に子供を授かる可能性は0だ。 「貴之は家も継いで、彼女もできて。  毎日遊びに来てるからこのまま結婚しちゃうかもって、親バカなふりして自慢してきたわよ。  うちも、もうすぐ孫に会えるかもって言ったら『孫は可愛いわよ』って。  律っちゃんと健ちゃんは今から就職だからまだまだ先だって笑ってたけどね」  母の言葉が素通りして行く。  母は何も嘘をついていない。  家を継いで、彼女ができて、毎日遊びに来るのも本当の事だ。安珠は4月から知り合いの美容室に就職が決まっているけれど、地元を離れる事はない。このまま付き合いが続いていけばいずれ結婚の話も出てくるだろう。 「きっと向こうに遊びに行った時にあんたの話も出るだろうし、そうなったら安珠ちゃんの事も話すだろうし。  ちょうど良かったんじゃない、あっちも就活始まるんだし」  母の言い分は何も間違っていない。間違っていないけれど、それを親から聞かされた律希はどう思うのだろう。 「さっきの感じじゃ、律っちゃんに何も言ってないんでしょ?」  そんな風に言われてしまうと反論できない。本当なら自分で伝えないといけない事なのに、それなのに先延ばしにして逃げていたせいでこんなことになってしまったのだ。 「あんたが律っちゃんしか好きになれないって言うなら仕方ないとも思ったけど、違うでしょ?」 「………」 「あんたはこれからこの会社を継いで、ずっとここで生きて行くの。  律っちゃんや健ちゃんとは違うの」  その言葉が突き刺さる。  律希と健琥とは違う。  自分でも思っていた事を改めて突きつけられる。小学生の時から感じていた疎外感、嫉妬、憧れ。2人の間に入りたいのに入れない、そんな葛藤が改めて蘇る。 「もしも律っちゃんから連絡があったらちゃんと謝って、ちゃんと終わらせなさい」  そんな風に言うと話は終わりだとばかりに笑顔を見せる。 「何、安珠ちゃんからバレンタイン?  ホワイトデーなんてすぐよ?  お返しちゃんと考えなさいよ。  アクセサリーとか女の子は嬉しいものよ。指輪は…まだ早いかしら?」  こちらはまだ切り替えができていないのに、母は律希の存在自体を忘れたように話を続ける。 「4月から安珠ちゃんもお仕事でしょ?  就職祝いとか、何か考えてるの?」  先程の話との温度差について行けないけれど、律希の話をこれ以上する気はないのだろう。 「ちゃんと考えるから、余計な事するなよ」  そう釘を刺すことしかできなかった。  毎日はつつがなく過ぎていく。  春休みは会えないと告げた後も今までのようにメッセージは来るし、電話で話すこともある。 「仕事が忙しい」と言ったせいか、会えないことに対して咎められることもないし、会いたいと言われることもない。 「春休み、会えないの淋しいな」  なんて言う事はあったけど、「仕事忙しいから、ごめん」と謝罪の言葉を告げればそれ以上何も言わず「こっちこそ、我儘言ってごめん」なんて言われてしまう。  本来なら自分で告げるべき事を先延ばしにして逃げ続けている後ろめたさはあったけれど、それでも安珠のことを告げる事はできなかった。  そして、そろそろ大学が春休みのはずだと思い出した頃に、律希からの連絡は途絶えたのだった。
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