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 僕の初恋の相手は律希だ。  と言っても〈初恋というのなら、アレがそうだったんだろうな〉みたいな軽いもの。  律希は恋愛の対象が同性みたいだけど僕の恋愛の対象は異性だし、恋愛の対象は異性だけど律希だけは特別だなんてこともない。  律希は弟のようなものであって、大切な存在ではあるけれど、恋愛と結びつく事はない。  これが前提。  律希の恋愛の傾向?嗜好?に気付いたのは中学生の頃。  幼馴染の貴之を見る目が日に日に変化するのに気付き、そう言えば貴之が女子の容姿を褒めるようになったのと、律希が髪型を変えたりしたのは同じ頃だったと思い至る。  貴之が色気付いたのと、律希が変わったの、どちらが先だったかなんて分からないけれど、きっとあれが転機でありきっかけ。  中学生になり部活を始めてどんどん大きくなっていく貴之と、名前ばかりの運動部に入ったものの身体つきがあまり成長しない律希。律希と同じ部活に入った僕は順調に背が伸びているから部活のせいではなくて遺伝とか、体質の問題だろう、きっと。 「ねえ、健琥の好きなのって誰?」  そんな風に聞かれたのはいつだったのか…。  誰が好きとか、誰が可愛いとか、そんな話をするようになって必ず聞かれるようになったその質問に辟易するようになったのは、小学生の高学年の頃。  少しずつ性差を認識しだす頃だから自然な流れだったのだろう。  学年の中でも目立って可愛らしい容姿をしている子や、スポーツの得意な子、優しい子、誰もが同じような名前を出し、幼いなりに互いを牽制する。  そんな時に貴之は安珠の名前を出し、律希は困ったように笑うだけだった。  恥ずかしかったのではなくて貴之の名前を出せないから困っていたのだと今ならわかるけれど、その時は気付いていなかった事。正直なところ出てくるどの子よりも律希の方が可愛いのだからしかたないとも思っていたし、それは周りも同じで律希が困った顔をしたところでそれ以上追求することもなかった。  そして、そんな時には必ず僕も話を振られるせいで吐いてしまった嘘。 「僕が好きな子、引っ越しちゃったから」  そんな風に言ってしまえば追求される事も無くなった。  僕たちの学年で引っ越してしまった女の子は1人だけ。親の転勤だとか、家庭の事情だとか、そんなはっきりとしない理由で1年の間だけ編入していた綺麗な子。  中途半端に街で、中途半端に田舎なこの土地には不似合いな綺麗な子で、少なからずみんなが憧れてたあの子。 「そう言えば健琥、仲良かったもんね」  と誰かが言えば他の友人たちもそれに同意する。 「連絡とかとってるの?」 「取ってない。  連絡先知らないし」 「そうなの?」  じゃあ、失恋じゃん」  何だかよく分からないまま話が進む。好きな子が引っ越したあの子と言っただけで失恋認定されてしまった。  だけど、それはとても良い隠れ蓑となって俺を守ってくれる。  中学生になり、身長の伸びてきた僕に対して〈好き〉と告白をする子が出てくるようになると「ごめん、好きな子いるから」と答えるようになったのは煩わしいことを避けるためで、その場所にいないその子の名前を借りれば余計な詮索をされることもない。 「連絡取ってるの?」と聞かれればNOと答え、「それなら私と」と言われれば「忘れられないんだ」と答える。  何とも都合のいい事に、その子の引っ越して行った先はこことは比べ物にならない都会で、「いつか、会えるといいとは思ってるんだけどね」と言えば勝手に誤解してくれる。  健琥君はあの子のことがずっと好き。  健琥君はあの子との再会を望んでる。  健琥君はいつかあの子に会いにいくつもりだ。  誰がそんなこと言った⁈  と思うような事が、人の手を介して広がり、いつしか僕の知らない僕の真実となる。  どのみち、将来的にこの街に残るつもりはなかった。中学までは決められた学区の中で過ごすけれど、高校からは自由だ。この辺ではそれなりにレベルの高い高校に入り、あの子の住む街の大学に行く。  あの子の住む街にある大学はもともと目標にしていただけで、あの子とは全く関係ないのだけど周りは僕に都合よく勘違いしてくれる。  健琥君はあの子に会うために大学を決めた。  健琥君はあの子を探すために大学を決めた。  健琥君はあの子のことがずっと好き。  亡くなった人には勝てないなんてよく言うけれど、居なくなった人も同じ。  今会えば〈普通の子〉だったとしても、かつてのイメージを勝手に膨らませてあの子のことを勝手に偶像化していく。だから〈好きな子がいる〉とあの子のことを匂わせておけば煩わしいことはなかった。  勝手に想像の中であの子を成長させて、勝手にあの子には勝てないなんて言い出す子までいるのだから面白い。  別に恋愛に興味がないわけでもないし、律希の事が好きなわけでもない。  ただただ漠然と〈この街〉を出たいという思いだけだった。  僕には兄がいて、兄は地元から出ることはなさそうだから次男の僕が家を出たところで何も言われることはないだろう。そもそもサラリーマン家庭で継ぐべきものだって無いのだから。 「健ちゃんはやっぱり地元の大学は考えてない?」  進路の事を話していた時に律希にそう聞かれ、そのつもりだと答えたのはまだまだ〈受験〉に対して本格化する前。  目標としていた大学のために少しでも学力をつけておきたい、と塾に通い始めた事を律希が不満に思っていることは気付いていた。貴之は毎日ガッツリ部活で、僕は塾に行ってしまうため帰宅後暇になってしまうからだろう。 「貴之部活ばっかだし、健ちゃんは塾ばっかだし。  おーもーしーろーくーなーいーーーっ‼︎」  律希は僕に対しては我儘だ。 「だったら一緒の塾に来る?」 「それは嫌だ」 「だよね」  その言葉に苦笑いが漏れる。 「何で健ちゃん笑ってるの?」 「予想通りだから」 「でも、律希だって大学の事は考えてるんでしょ?」 「…一応ね」  そんな話をした時には予測してなかった未来。  気付いたのは本当に些細な動きからだった。部活を始めてから一緒に過ごすことが減ってしまった貴之だったけど、テスト週間になると登下校が一緒になる時もある。そんな時は3人で過ごす事になるのだけど、そんな時に律希の様子がおかしい。  小さい頃から一緒に過ごしてきた幼馴染だから久しぶりだと言っても緊張するような仲じゃない。はずなのに律希の声が妙に上擦る時がある。  貴之はそんなことに気付くようなタイプではないからおかしな雰囲気になったりはしないけれど、見ている僕は気持ち悪くて仕方ない。  何も気付いていない貴之と、妙に貴之を意識する律希。  貴之に何かの拍子に肩を抱かれた時には嬉しそうな、それでも恥じらうような顔を見せる。  そういう事か。  そう考えると合点のいく事が多く、ひとつひとつ思い浮かべれば納得できることばかりだ。 「ねぇ、貴之のこと好きなの?」  そう聞いたのはあまりにも律希が危ういから。  中途半端に街で、中途半端に田舎なこの地はまだまだマイノリティに対しての理解は無いに等しい。子ども社会の中でなら進路が変われば忘れ去られるとしても、大人社会が関わってくればその地に浸透し、決して消えることはないだろう。  幸い、律希のとこは〈代々続く〉なんて言い方をしても間違いじゃない家の分家だから噂になったとしても事を大きくされる事はないだろうけれど、それでも噂にならない訳じゃない。そして、噂を知れば律希は傷付くだろう。  性的嗜好を矯正するなんて、そんな事をするつもりはないけれど、知ってしまった以上は何とかしなければと思ってしまった。 「んっ?」  何を言われたのか分かっていないのだろう。不思議そうな顔で俺の目を見る。 「貴之や周りに気付かれたくなかったら気を付けた方がいいよ」  そう言って僕の気付いた貴之に対する律希の態度をひとつひとつ挙げていく。  告白された事を聞く時の拒絶の顔。  告白されたと貴之が話すたびに見せる傷付いた顔。  そして、肩を抱かれた時に見せる嬉しそうな、恥じらいの表情。 「そんなに分かりやすかった?」  そこまで言ってやっと何を言われたのが気付いたのだろう。少し顔色が悪くなったような気がする。  ここで「そんな事ない」と平気な顔で言えるなら心配もしないのに、こんな態度を取られてしまうと心配が募る。 「僕は律希の事、小さい時から知ってるから」  だから貴之に対する態度が少しずつ変化していることに気付いたと伝え、今の貴之に関する事で表情を変える律希に不安を抱いていると告げる。  このまま想いが募れば無意識に態度に出てしまうだろう。 「僕は律希の好きな相手が男でも女でも〈ああ、そうなんだ〉としか思わないけど、皆んながそうではないからね。  だから気を付けて」  自分がマイノリティだと自覚すれば、僕に気付かれたように誰かに気づかれる可能性があるのだと自覚すれば、そうすれば自分の態度を気をつける事ができるはずだ。 「気を付けてって言われても…」 「今はまだ僕しか気付いてないから律希が意識してコントロールするしかないよ。気付いた時にはフォローするし」  僕の言葉に不安そうな顔を見せる律希の肩を抱いて、そのまま話を続ける。 「こうやってスキンシップ増やしてけば貴之に急に何かされても対応できるでしょ?」  その言葉に赤くなる律希を見て少し安心する。貴之だけでなく僕にもこんな態度を見せるなら、誰かに見られたところで〈照れている〉だけだと思うだろう。特別、貴之だけを意識しているとは気づかれることもないだろう、今は。 「健ちゃん、もしかしてボクのこと好きとか?」  それなのに的外れな事を言う律希に思わず笑ってしまう。 「そんなわけないでしょ?」  律希だって僕にそんな気持ちがないことは分かっているだろう。だけど、そんな風に返せるのは〈僕の初恋〉を信じているから。  こんな律希だから目が離せないんだ。 「健ちゃんは良いよね~、目標があってさ」  的外れな質問の次には僕の初恋から僕の将来に何故か話が飛んでしまう。律希と〈初恋〉の話をしたことはないけれど、律希の前でその話をしたことはあるからきっと僕の初恋を信じているのだろう。律希は自分の事を必要以上に話さない代わりに、人のことも詮索しない。  ひとりで考え、ひとりで行動するけれど、幼馴染なのだからもう少し色々と話してくれてもいいのに、と思ってしまう。  何かに付けて気を回して先回りしてしまう僕も良くないのかも知れないけれど、僕の兄が僕にしてくれたように、弟みたいな律希が心配で仕方がないのだ。 「律希は何か無いの?」 「今のところ無いかなぁ…」  そんな風に答えた律希に嘘は無いだろう。だから、先の進路を考えず、自分の気持ちを優先しようとするのだ。 「じゃあ律希も頑張って同じ高校に来る?そしたら大学も同じとこにしてルームシェアしたりとか、楽しそうじゃない?」 「健ちゃんと一緒なら親も反対はしないと思うけどね」  その時は何となくそう口に出しただけだった。だけど、口に出してその考えの〈良さ〉に驚く。  律希と僕は相性が良い。  それは、守り守られる関係が心地良いからだろう。  お兄ちゃん振りたい僕と、いつまで経っても庇護を求める律希。あの家で両親と兄にこれでもかと可愛がられて育った律希は自然にそのポジションにいる自分を想像するはずだ。  それなら律希も連れて行けば何も憂いはない。  貴之が好きだと気付かれて傷付くこともないだろうし、貴之の近くにいるために進路を決めるなんて馬鹿なことをする必要もない。 「貴之と同じ高校はもったいないよ?」  塾にいかなくてもそれなりの成績の律希を一応牽制する。学力的には同じ高校を狙えるし、その先の進路だってたぶん大丈夫なはずだ。だけど律希の口から地元を出たいと聞いた事がないのは…きっと貴之のそばにいたいから。  律希は僕の言葉に驚いた顔を見せたけど、その気持ちを確認しないまま話を続ける。 「律希が本当にそうしたいなら別に止めないけどね」 「貴之と同じところに行こうとは思ってないよ。進路説明の紙に書いたのは違うとこだし」  少し突き放すように言えば焦って志望校を教えてくれるけど、その高校は僕の行きたい高校ではなくて、それなりのレベルで貴之の行く予定の工業高校と通学路が重なるところだった。別に悪い高校ではないけれど、そこに行くならと思ってしまう。 「律希ね、貴之中心に物事を考えちゃダメだよ?自分の将来だからね」  その言葉を口にした時の律希の顔は今思い出しても不満げで、きっと初恋の人に会うために大学を決めた僕への不満の現れだったのだろう。  その時に延々と自分の主張を律希に聞かせた覚えはある。本心からじゃない適当な主張。  その時に少なからず律希の心を少しだけ動かすことはできた。  だけど、律希の心を決定的に動かしたのは僕じゃなくて貴之だった。
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