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 貴之のことが好きだと周囲に知られるのを恐れた律希は、結局僕と同じ進路を選んだ。  心配は無いだろうけれど確実にしたいからと同じ塾に通い続け、同じ高校に入る。そして、僕たちよりもルームシェアをする事に乗り気な母たちの助言もあり大学受験に備えて一緒に塾に通う。  母達は合格しないなんて考えてもいないようで、今から物件情報を見てあそこが良い、ここが良いと楽しそうだ。  まだ高校に入ったばかりなのに、自分たちが遊びに来る事を前提に部屋を選ぶのはやめてほしい。  貴之はと言えば僕たちよりも一足先にスポーツ推薦で高校を決め、卒業する前から部活に参加するようになったためほとんど会うこともなくなった。  卒業式の日には女子に囲まれる貴之を見たくない、とさっさと帰った律希は「女子はいいよね、ボタン欲しいって言えるし」と淋しそうな顔を見せたけれど、それ以降貴之のことを言うことはなくなった。  日々は恙無く過ぎていく。  高校に入り新しい友人はできたものの、登下校が一緒なせいで通学時間が長くなった分2人で過ごす時間も長くなる。進学校だけあって授業は多いし、塾もある。高校生活を楽しむ余裕が無いわけでは無いけれど、正直楽しみたいとも思えない。今は目標に向かってやらなければいけないことがあるから。  そして気付く言葉には出さない律希の想い。  貴之に似た体型、貴之に似た声、貴之を思わせるような事象に微かに反応してしまい、堪えるように少しだけ眉間に皺を寄せる。本人は気付いていないようだけど…。  新しい出会いがあれば気持ちに変化があるかもと少しだけ期待したけれど、長年積み重ねてきた想いはそんなに簡単に覆ることはない。  実ることのない思いは消化するしかないのだ。  大学に行ってしまえば貴之と会う事はなくなるだろう。会うとしても年に数回の帰省の時。その間に貴之にだって彼女ができたりするだろう。  そうなったら律希も諦めるしかないし、他の人に想いを向けることもあるかも知れない。高校でもいい、大学でもいい、できれば市街に住む相手を好きになって、知り合いの目のないところで恋愛を楽しめばいいんだ。  そんな風に思っていたのに転機は訪れてしまう。 「貴之君、怪我して部活辞めたんですって」  それは母の言葉から始まってしまった。3年生になる年の春休み、律希と受験に備えてスケジュールを組み始めていた頃。 「辞めた?」 「なんか、大きな怪我しちゃって手術したんだって。動けるようになった頃には引退だから無理はしないって」 「そうなんだ…」  この時、〈幼馴染〉を心配する気持ちは当然あった。だから連絡をしてみようかと思ったのは本心から。 「あんた達、高校違ってから遊んでないけどたまには連絡してみれば?  貴之君のお母さんも、律ちゃんも健ちゃんも遊びに来なくなって淋しって言ってたわよ?」  そんな風に言われてしまうくらいには疎遠になっている自覚はある。あるけれど、律希のことを考えたらそうするしかなったのだ。 「後でメッセージしてみるよ」  そう告げてから少し考える。  貴之の母親のことだ、僕の母に怪我のことを言ったのなら律希の母にも同じように伝えるだろう。  そして、同じように「律ちゃんも健ちゃんも遊びに来なくなって淋しい」と告げるだろう。  人の良い律希の母のことだ、そんなことを言われたら貴之のところに行くように律希に告げ、律希は戸惑いながらも連絡を取ろうとするだろう。  あと1年で離れることができたのに。  せめてあと半年後だったのなら〈受験〉を口実に断ることができたのに。  そんな風に思い、それならば僕が間に入ろうと部屋に戻り、すぐにメッセージを送る。 〈話聞いたけど何かできる事ある?〉  久しぶりという挨拶も、大丈夫かと気遣う言葉も何も無い素っ気ないメッセージ。  貴之相手に挨拶も過剰な気遣いも必要ないと、今までも連絡を取る時はこんな感じだったせいで怪我の具合を聞くような事もしない。  聞いたところで怪我に対して何かできる訳でもないし、貴之だって中途半端に同情されても嬉しくないだろう。  怪我をして暇なのか、返信はすぐに来た。 《退屈で腐る》 《遊んで》 〈受験生を誘惑するな〉 《健琥が聞いたんじゃん?》 〈元気そうだね〉 《元気だよ》 《だけど怖く人混み行けねぇ》  打てば響くような軽快なメッセージの応酬。だけど、そのメッセージにはどう返そうか悩んでしまった。  イメージ的には〈ガキ大将〉の貴之から出た弱音。僕の知っている貴之とはかけ離れたイメージの言葉。  律希ほど近い距離にいるわけではないけれど、貴之だって幼馴染だ。律希のように大切に思うわけではないけれど、弱音を吐かれれば心配になってしまう。 〈ゆっくりはできないけど話し相手くらいにはなれるよ〉 《遊びに来て》 〈宿題手伝おうか?〉 《うっざ》 《でも話し相手になって》 〈顔出すよ〉 〈また行ける日、連絡する〉 《了解》  しばらく会っていないことを感じさせないようなテンポの良い会話に顔を出すと約束をしてしまう。  この時に忙しいからと断ればよかったのだろうかと後悔する日が来るものの、先のことなどわからないのだから後悔するだけ無駄だと開き直るのはすぐだった。  貴之から律希を離して気持ちも離れればいいと思ったのに、人の想いはなかなか厄介なのだ。  この時だって、貴之に会いに行くことを約束しなければなんて思った時もあったけれど、僕が約束しなければ貴之はいずれ律希に直接連絡を取っただろう。貴之から連絡がなくても律希の事だから怪我のことを聞けば自分から連絡するかもしれない。 「どうしよっかな…」  どうせ会ってしまうのなら一対一で会うよりは僕が邪魔をした方が良いだろう。律希の事だから貴之にお願いされれば断ることもできないだろうし。  ずいぶん退屈しているようだから、遊びたいと言われれば無理をしてでも行ってしまうはずだ。  一晩色々と考えて、とりあえず律希の気持ちを聞いてからにしようと結論を出す。僕が色々と考えたところで人の気持ちなんて本人にしかわからないのだから仕方ない。 〈今日、塾の後で寄れたら寄る〉  塾に向かう前にとりあえず貴之に連絡をしてみる。都合が悪ければそう言われるだろう。 《了解》  よほど暇なのだろうか、すぐに既読がつき返信が来る。そして、続けられるメッセージ。 《律希も塾、一緒?》 〈一緒〉 《律希も連れてきて》 〈聞いてみるよ〉  こちらから律希に話をする前にそんな風に言われてしまえば律希に打診するしかない。打診するしか無いのだけど、僕からのメッセージを受けたのに律希に連絡をしなかったことが少し意外だった。  僕にこんな風に打診するという事は、律希には連絡もしてないし、連絡も来ていないという事だろう。 《よろしく~》  軽いメッセージに既読を付けて塾に行く準備をする。軽く食事をして律希にメッセージを送る。〈そろそろ出るよ〉そう送れば《了解》と帰ってくる。僕の家と律希の家の分岐点での待ち合わせはいつもの事だ。 〈塾の帰りに貴之の家に寄ります〉  母にはそんなメッセージを送っておく。休憩中なのか、そうじゃ無いのか微妙な時間だけど、気付けば返信があるだろう。帰宅はどちらが先か微妙なところだけど、連絡しておいて叱られる事はない。  その日会った律希は特に変わりなく、貴之の事を知らないのか、知っていて何も言わないのか判断しかねる。講習を受けていてもいつも通りだし、休憩中に貴之の名前を出すこともない。  年間スケジュールを確認したり、苦手な部分の強化をどうしようか話していても〈受験〉に前向きに見える。  このモチベーションを保ちたいけれど、保った先で衝撃を受けて崩れてしまっては元も子もない。それならばすっかりリズムができる前に刺激をしておいた方がいいかと思い、話を振ってみる。 「貴之の話、聞いた?」  なるべく軽い口調でそう聞いてみれば律希の目に動揺が走る。やはり知ってはいるのだろう。 「聞いたよ。怪我して部活辞めたって」 「会いに行く?」 「何て声かければいいのかわからないし」  気にしていないのではなくて、気になるのに何を言っていいのか分からないというのが本音のようだ。物理的に離して気持ちも少しずつ離していったつもりだった。でも、物理的な距離はともかく、心の距離はそんなに簡単に離れる事はないのだろう。  困ったような顔を見せる律希に苦笑いが漏れる。 「話聞いたけど何かできることある?って送ったら暇してるから家に来てって返ってきたよ。ここ、見て」  言いながら貴之からのメッセージを見せる。 《律希も連れてきて》  そう書かれたメッセージを見て律希は…嬉しそうに微笑んだ。「何で、ボク?」と戸惑ったように言っても嬉しさは隠すことができないのだろう。  貴之がどんな気持ちで律希を呼んだのかは分からないけれど、律希のこの様子では貴之から何かお願いされたら受験勉強よりも貴之を優先してしまいそうだ。だから少しだけ釘を刺しておく。 「だって、幼馴染でしょ?  中学の時は3人で遊んでたんだからその延長。貴之の中ではただの幼馴染だもん」  ただの幼馴染と言った言葉に少しだけ淋しげな顔をするけれど、それに追い打ちをかけて律希にとっての優先事項を自覚させる。 「大学行ったら会えなくなるんだから今のうちに会っておくのもいいんじゃない?帰りに顔出すって返しておくよ」  有無を言わせず貴之にメッセージを入れる。 「行くって言ってないのに…」  少し拗ねたように言う律希だったけど、その声色は嬉しそうだ。 「はぃはぃ、ごめんごめん」  さっさと終わらせて貴之に会いに行こうね」  そう言えば嬉しそうにする律希は貴之と再会したことで少しずつ変わっていくことになる。  これが律希と貴之の転機。  この時、僕の存在がストッパーになればなんて思ってした行動が貴之を追い詰めていくなんて思ってもいなかったんだ。  僕は〈想い人〉を公言していたし、自分の中で〈初恋〉が律希だったと自覚はあるけれど、それを口にした事はない。もちろん、律希本人に言った事だってない。  貴之は貴之で好きな子を聞かれると小学生の頃は〈安珠〉とはっきりと名前を出していたし、中学になり告白をされるようになった時には交際する事はなかったものの嬉しそうにしていた。  律希の好きが暴走しないようにと思う事はあっても、貴之までもそうなるとは予測もしていなかってんだ。  人の心は難しい…。
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