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 律希が貴之に連絡をしないように釘を刺すのは簡単だ。  はっきりと「1人で会いに行くな」と言えば素直な律希は貴之に連絡を取りたくても後ろめたくて動くことができなくなるだろう。だけどそれをしてしまったら律希の気持ちを押しつぶすことと同じで、押しつぶされた気持ちがどこに飛んでいくのかを僕には予測できない。  貴之は僕のことは嫌いじゃないようだけれど、どちらかと言えば苦手な部類に入るようで、そんな僕に律希が行動を制限されていると知れば必要以上に律希に関わろうとするだろう。  律希だって子どもじゃないのだから自分で考えることはできるし、今の時期に大切なことが何かだなんて当然分かってるはずだ。  だからあえて何も言わなかった。  あれから、塾の帰り道にソワソワしているのも気付いていたけれどそれを指摘することはなかったし、塾のない日によく入っていた質問のメッセージを受け取ることも無くなった。  こちらから貴之にメッセージを送ったこともあったけれど〈明日顔出そうか?〉と送っても《ごめん、明日は予定がある》と返ってくれば僕が貴之の予定を聞いてまで約束をする必要はない。あちらから《◯日なら大丈夫》と言われれば予定の確認もするけれど、何も言われなければそれまでだ。  春休みは短い。  律希が何をどう思っているのかなんて僕に全て理解することは無理だけど、どうせ貴之に寄り添いたいとか思っていそうだ。新学期が始まれば落ち着くだろう。  そんな風に思っていたけれど、新学期に入っても律希が貴之の家に行く回数はあまり変わらないようで、僕にバレていた事がわかると後ろめたさが無くなったのか、時には「そう言えば貴之が」と貴之との会話で知ったことを話したりもする。  その日は朝から律希の様子がいつもと違ってきた。ソワソワしているのだけど不安そうな、それでも嬉しそうな様子を見て〈何か〉があるのだろうと気付く。だけも〈何か〉が何かを気付いたけれど見て見ないふりをするしかなかった。  律希と貴之の関係がそろそろもう一歩進むのだろうけれど、僕にはそれに対して何も言う権利はない。律希から〈何か〉相談されれば話を聞く事はできるけれど、それ以上でもそれ以下でもない。 『律っちゃん、最近よくうちに来てくれてるんですよ』  そんな風に自慢にもならない自慢をされたと母に話されたのは新学期が始まってしばらくしてから。 「あんたが行ったこと、無かった事になってない?」  ニヤニヤしながらそう告げる母は本当に楽しそうだ。 「そうかもね」  短く答えると「揶揄っても面白くない」と不満げな顔を見せるけど、そんなことを言われてもこんな風に育てたのは母である。 「一緒に行かないの?」 「僕が行くと説教くさいから楽しくないんじゃない?」  そんな風に言えば「まぁ、そうよね」なんて返されるのは面白くないけれど、そんなのは僕が1番よく知っている。  貴之はずっど前から僕だけと遊ぶ時には楽しそうにしてあるけれど、その輪の中に律希が入ると途端に不機嫌になる。僕が律希を気にして本気で遊びに参加しなくなるのが面白くないと言い、それならば律希も一緒に遊べることをと言えばそれを拒否する。それならと僕と律希が抜けるのが面白くないと言うけれど、僕たち3人で遊んでいるわけではないのだ。自分のやりたい事は同じことをしたい相手と楽しめば良い。  嫌がる律希を無理に誘う必要なんてどこにもないはずだ。  そんな風に貴之が律希に対して頑ななのには理由があることを僕は知っている。僕の母は専門職に就いているため夜に家を空けることもあり、そんな時に僕が律希の家に帰っていたのが気に入らないのだろう。律希の家に帰ると言っても兄や父が帰ってくるまでの数時間のことだったし、律希の家でやることといえば宿題なのだけど…。どうせ宿題をやるだけなのだから家で1人で過ごしたっていいじゃないかと思い、高学年になりそれを親に直談判するまで続いた習慣。  貴之の家は先代である祖父が一代で築き上げた会社を経営していてそれなりに羽振りは良く見える。ただ、割と古い繋がりの残るこの地ではまだまだ新参者扱いだ。僕の家のようにサラリーマン家庭にはどうでも良い事に思えるような地元の繋がりが欲しかったのだろう。  律希の父の実家は代々続く、と言ってもいいような家だから貴之の母は何かと律希の母と繋がりを持とうとしていたけれど、天然なように見える律希の母は「自分は嫁の立場だから」とそのスタンスを崩さず、それでいて僕の母とは親しくしているのだから面白く無かったのかもしれない。  だから貴之が律希と仲良くすれば、という打算を持って貴之に律希と仲良くするよう言っていたのかもしれない。  僕の母は自分の親だから褒めるという訳ではないけれど、打算とか駆け引きが嫌いな人で、僕とは正直似ていない。そんな人だから律希の家がどうだとか、貴之の家がどうだとか、そんなことを気にする人ではない。だけど、何かにつけて2人の間に入ってくる貴之の母のことを苦手にしているのは何となく伝わってくる。  あまり子どものことに、ましてや友達関係のことに口を出すことのない母がこんな風に言うのだからよほど絡まれているのだろう。 「まぁ、健琥は健琥のペースでね。  引きずられちゃダメよ?」  こんなところも母らしい。  律希の事も、貴之の事も余計なことは言わない。ただ、僕が進む道を間違えないよう導くだけ。いくら律希の母と親しくしていても、いくら貴之の母が苦手でもどちらにも肩入れする事なく公平だ。  律希のことをどれだけ小さな頃から知っていると言っても律希のために何かしろとも言わない。 「大丈夫。  僕は僕で目標があるから」 「本当にここ(地元)の事、嫌いよね」  母は僕がここ(地元)から出たいために遠方の大学を選んだ事を知っている。だからこそ、自分のペースを守るように釘を刺したのだろう。 「そうだね、ずっとあんなの見てるとね…」  そして思い出す地元が嫌いな理由。  幼馴染として3人で過ごす中で見てきた律希の家に対する好意的な視線と、貴之の家に対する妬みと蔑みの視線。  もともと地元で顔の知られた祖父母を持つ律希は地元の年配層からも可愛がられているのに、祖父が一代で今の会社を築き上げた貴之に対しては新参者がと妬み蔑む。昔からこの土地に住んでいるから偉いだなんて時代錯誤も甚だしいと思うけれど、この土地では当たり前のことなのだ。  そんな、自分でもどうすることのできないことで差別される人間関係を〈幼馴染〉として3人で過ごしてきた年月の分だけ見てきたせいで、このまま地元で過ごす事を厭うようになったのはいつからだったのか?  小中学生の頃は子ども同士の繋がりでそんな関係が影響する事はなく、律希の事は弟のように気にして可愛がり、貴之の事は人気者として羨望の目を向ける。  高校生にもなれば地元の人間ばかりが集まるわけではないから割と公平だろう。  大学生ともなれば全く関係なくなっていくだろう。  だけど地元の大学に進み、地元で就職したら?  地元で結婚したら?  地元で子育てをすることになったら?  そんな事を考えていくうちに怖くなってしまったのだ。  幸いにも僕の家はサラリーマン家庭で地元との繋がりは無い。父にしても母にしてもこの土地では働いているため当然仕事関係の知り合いはいるけれど、律希や貴之のように祖父母の代、そのまた上の世代にまで遡って何か言われるような事は無い。  だけどもしも配偶者が地元と繋がりの強い相手だった場合、否が応でもその流れに巻き込まれるのだ。  僕にはそれが耐えられず、この街を出ようと決めたのはいつの頃だったのか…。  律希は人からの目が多いものの好意的な目が多いためまだ良い。だけど貴之は〈何か〉あれば揚げ足を取ってやろうと思っているかのような、含みを持った視線を向けられることが多々ある事に気付いていた。  貴之本人は無頓着だったのがせめてもの救いだろう。  こういった好意や悪意は本人達よりも一歩引いた視点で見ている者の方が感じやすいのだろう。だから僕は好意であっても悪意であっても、人の視線に晒される事を厭いこの地で生きる事を放棄した。  子どもの悪意のない残酷さも怖いけれど、大人の意図した残酷さはもっと怖い。気付かなければ何とも思わないけれど、気付いてしまうと何とも気持ち悪く、何とも息苦しい。 「ねえ、どうして律希は良くて貴之は駄目なの?」  いつだったかどうしても気になって母に聞いたことがある。  律希の祖父母は会えば僕のことも可愛がってくれたし、周りの大人も律希の祖父母と一緒にいると何かと声をかけてくれた。そんな人たちは律希と2人の時でも何かと声をかけて可愛がってくれる。  貴之の祖父母も僕のことを可愛がってくれたし、周りの大人も僕たちを可愛がってくれるふりをする。だけど、貴之と2人でいる時はそんな大人にとって僕たちは透明人間になるらしい。  僕達は何も変わっていないのに、一緒にいる相手によって透明人間のように扱うくせに、何をしているのかと遠くから観察されているような視線が気持ち悪くて仕方がなかった。 「別に律希君や貴之君に何かあるわけじゃないのよ。  何て説明したら良いのかな…。  大人になるとね、打算が働くのよ。  打算って分かる?  この人と付き合ってて得なのか損なのかって考える事なんだけど…。  友達と付き合う時に健琥はどうやって友達を選ぶ?」 「選ぶって言うか、好きか嫌いか?  好きな子とは遊ぶけど、嫌いな子とは遊ばない…時もある」  はっきりと〈遊ばない〉なんて言ってはいけない気がしてそんなふうに誤魔化す。だけど母はそんな気持ちなんてお見通しで僕の顔を見てクスリと笑った。 「嫌いでも苦手でも、嫌な思いしてまで一緒に遊ぶ必要はないからそれはそれで良いのよ?  ただね、大人になると好きな人とは当然お付き合いするけれど、苦手な人とでもその人と付き合うと得になると思えば苦手な気持ちを我慢して付き合えちゃうの。だけど好きな人と付き合っていればその人の周りの人にも優しくできるけど、苦手な人と我慢して付き合っているとその周りの人にまで優しくできない。」  母の説明が理解できず、途中で口を挟む。 「じゃあ律希は好かれてて、貴之は嫌われてるの?」 「律希君と貴之君は直接関係ないかな。  ただ、律希君のおじいちゃんおばあちゃんは簡単に言っちゃうと〈偉い〉の。  それで貴之君のおじいちゃんおばあちゃんはまだまだ新人さん。だから偉い人には声をかけるけど、新人さんにはわざわざ声かけないって、分かりにくいか…」  僕の質問に母が頭を抱えてしまう。  地元の繋がりを理解してない僕に説明するのは難しいのだろう。今ならばちゃんと理解できている事だけど、当時は一緒にいる相手によって態度の変わる大人が怖かった。  僕がこんなふうに感じるのだから貴之はもっと…と思ったのだけれど、貴之自身はそんなことを気にするそぶりは全くない。  僕が気にし過ぎなのか、貴之が鈍感なのか。当事者よりも少し離れた位置で見ている僕の方が視野が広いのかもしれない。  母とそんな会話をした事を思い出し、今まで貴之に向けられていた視線を思い出すと2人の関係が進む事を邪魔しようとは思わないものの、あの視線がどうなるのかが気になってしまう。  律希と貴之といれば周りの視線は優しいだろう。だけど、2人の関係がただの友人ではないと知られた時にその視線がどうなるのか…。  それでも好意的な視線が向けられるのならば良いだろう。だけど貴之に向けられたような視線が律希にも向けられた時に、その視線に律希が耐えることができるのだろうか。 「程々にしときなよ」  だから、そんな風に釘を刺してしまう。 「模試の結果、良かったし」  その言葉に僕の考えとは違う答えが返ってくる。律希の成績を心配していると思っているのだろう。僕の想いは全く伝わってはいないけれど、律希がそう思うのならそれに話を合わせることにする。貴之に溺れるなと言いたいけれど、2人の恋路を邪魔する権利は僕には無い。  「それ受けたの、貴之の部屋に行く前でしょ?」  その言葉に呆れた声が出る。その模試を受けたのは貴之の部屋に行く前だから結果が良いのは当たり前だ。 「別に、律希がしたいようにすればいいけど目標を見失っちゃダメだからね」  とりあえずそんな風にもう一度釘を刺し、話を終える。こんな時に何を言っても無駄だろう、と諦めの気持ちと共に。 「1人用の部屋、探した方がいいかもな」  律希の後ろ姿を見ながらそんな言葉を呟いてみる。  この時に本気で止めていたら律希と貴之は一線を超えなかったのだろうか。  この時に本気で止めていたら律希も貴之も傷付かなかったのだろうか。  そんな風に後悔する時が来るのだけれど、もしも今、同じ状況になったとしても僕は2人を止める事はないだろう。  
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