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 結局、そんな風に過ごしながら律希は第一希望の大学に無事合格した。  はじめの約束通り、なんてことは当然無理で夏休み以降も貴之の部屋に行っていた様子の律希だったけれど、流石に冬休みになると貴之との逢瀬を諦め勉強に集中するようになる。  時折淋しそうなそぶりを見せるけれど「貴之とは別れたの?」と聞けば首を横に振り、テキストに視線を落とす。 「邪魔したくないからって、最近は連絡も少ない」  そう言って律希は眉間に皺を寄せるけれど、貴之は貴之なりに律希の事を心配しているのかもしれない。 「志望校はどうするつもり?」 「健ちゃんと同じところ、受けるよ」 「それでいいの?」 「地元の大学反対してたくせに、変なの」  僕の言葉に困ったように笑うと言葉を続ける。 「このままずっと貴之と続くなんて思ってないし」  言いながらテキストの隅にシャーペンを走らせ、ため息を吐く。意味のない文字の羅列は悩む心の表れなのかもしれない。  律希は律希なりに自分の将来の事を考えてはいるのだろう。 「駄目になった後で顔、合わせ辛いでしょ?だからボクは近くにいない方がいい」  ポツリと溢した律希は目を伏せたまま言葉を続ける。 「ボクね、貴之がボクのことを待つように呪いをかけたんだ」 「呪い?」  不穏な言葉に思わず聞き返してしまう。 「そう、呪い。  貴之から地元の大学に行けばいいのにって言われた時に『貴之との将来のために取りたい資格があるから進路は変えない』って言ったんだ。  貴之の役に立ちたいから進路は変えられないって」  その言葉に、〈呪い〉にどんな効力があるというのだろうか。  所詮口約束だし、その資格をとったとしても貴之の家の会社の規模で律希を雇う余裕があるかどうか。そもそも、その資格を本当に取れるのか。そして、その資格が本当に貴之の役に立つのか。 「それって、何か意味があるの?」 「だって、〈貴之のために〉って言われたらボクのことを全て忘れることなんてできなくなるでしょ?」  顔を伏せたままだけど微かに笑っているのが伝わってくる。 「ボクと別れた後、ボクのことを忘れて誰かと付き合ったとしても、何かの拍子に、それこそ仕事でボクが取ろうとしている資格の話になった時に嫌でもボクのこと思い出すでしょ?  仕事を続ける限りボクのことを忘れられないんだよ?」  そう言って、仄暗い笑みを浮かべた顔を上げる。 「その資格とボクは貴之にとってセットなんだから忘れることなんてできないし、忘れさせなんてしない。  綺麗に別れたら良い思い出になるだろうし、そうじゃなければ苦い思い出としてずっと残るんだ。  よくあるじゃない?  匂いで記憶が蘇るって。  貴之はその資格のことを思い出す度にボクのことを思い出すんだ。  良い思い出になるのも、苦い思い出になるのも貴之次第だよね」  そんな事を言いながら…ニヤリと笑った。  僕は律希を見くびっていたかもしれない。僕は律希の事を庇護する対象だと思っていたけれど、貴之こそ守る必要があったのかもしれない。  そんな風に思ってしまうような笑み。 「別れる前提なんだ?」 「…そうだね。  このまま続くとは思ってないよ。  だからしばらくは放っておいて」  そう言った律希は第一志望の大学に進学するために最後の追い込みをかけ、無事に合格した。  合格発表の日は1人で見たくないと僕の部屋で合否の確認をし、「最後に貴之に会ってくる」と僕の部屋を後にした律希は嬉しそうに貴之の元へと向かった。 「貴之、大丈夫かな」  律希を見送った後でそんな風に呟いてしまったのは律希の悪意を知ってしまったから。  最後に会ってくると言ったあの日、2人の間でどんな言葉が交わされたのかは僕に走る由もない。だけど、その頃にはもう貴之は律希の掌の上で転がされていたのかもしれない。  それに気付いたのは親に連れられてスーツを買いに行った時。  引っ越し準備や書類の手続きは2人で一緒にやった方が間違いが少ないはず、とお互いにチェックをしながら進める。家具や家電は日付指定で配送手続きをしてあるし、自室から持って行く荷物はそれほど多く無い。今まで集めた本の中に持っていきたいものはあるけれど、この街に帰る気がないと言っても帰省しないつもりはないからその都度、必要な本を持って帰るなり送るなりすれば良いだけのことだ。  入学用のスーツはそこまで良いものでなくてもいいと両方の母と連れ立って見に行ったものの、結局僕たちの意見は通る事なく、親が着せたいと思う僕たちに似合うであろうスーツを選ばれてそれを試着する。  4月から大学生になる僕たちは親に見られることが気恥ずかしくて、親に見せる前に互いの着こなしをチェックし合う。  そして気付いてしまった貴之の独占欲。 「ねぇ、貴之は馬鹿なの?」  律希の首元に赤い痕を見つけて襟元を直す。「首元、ちゃんと止めておかないとおばさんから見えるよ」そう言いながら見えないようにボタンを止めるけれどコレはきっとわざとだろう。  こんなにも見える場所に付けられた跡に気付かないわけがない。僕に貴之との関係が切れていない事を伝えるためにわざと見せた赤い痕。  きっと、目に見えない場所にはもっとたくさんの痕が貴之の独占欲を主張しているのだろう。 「律希も嫌な事はちゃんと嫌って言わなきゃダメだよ?」  そう言った僕に弱く笑って見せた律希だけど、その笑みの意味は〈言っても無駄だってわかってるくせに〉とでも言いたげに見えた。  引っ越し当日に貴之は来ないのかと聞いた僕に「健琥と2人でいるところ、見たくないんだって」と平然と答えた律希はこの頃から少しずつ貴之に対する態度を変えて行く。 「スーツの写真、撮ろうか?  貴之に送ったら?」  入学式で写真を撮る様子を見ながら声をかけると「貴之には送らないけど母さんが欲しいって言ってた」と笑顔を見せる。 「健ちゃんもおばさんに送りなよ。  あ、どうせなら2人で撮ろう」  そう言ってなぜか2人で写真を撮らされる。「健ちゃん、笑わないよね」そんな風に呆れるけれど、確かに笑顔の律希の横で表情のない顔で映る僕は呆れられても仕方ないかもしれない。  そんな写真を貴之に送っていたなんて、僕は全く知らなかった。貴之の独占欲を煽るためなら何でも利用するつもりらしい。  それを送られた貴之が『律希、やっぱり健琥と』と苛立ち、「貴之はボクと健ちゃんの事、信じられないの?」なんて茶番を繰り広げていたなんて全然知らなかったんだ。  そんな風に始まった2人の生活だけど、貴之の気配がない生活は穏やかなものだった。  学部が違えば授業の内容も違ってくるためすれ違う時間も出てくるけれど、足りない部分をお互いに補う生活は快適だった。両親共に働いていたため自分のできる家事を手伝うようにしていた僕と、甘えさせられているように見えて基本的な事は教えられていた律希は基本的な生活に困る事はなかった。  掃除洗濯は毎日はしないけれど曜日を決めてやるようにして、食事は簡単なものなら作ることができるから不自由はない。いつもと違うものが食べたければファミレスに行けばいい。  家では2人で過ごすものの、大学ではそれぞれ友人を作り、少しずつ違う人間関係を築いていく。  だけど帰る部屋は同じ部屋だし、2人の関係は変わることがない。  僕は律希の人間関係が広がってもやっぱりお兄ちゃん振りたいし、律希は弟のように振る舞う。  律希と貴之の関係が続いているのは時折くる電話で確認はしていた。  友人からの電話にはどこか事務的に出るくせに、貴之からの電話には嬉しそうな声を出す律希は〈呪い〉だなんて言っていたけれど、結局は自分から貴之が離れて行くのが嫌で何とか繋ぎ止めたくてそんな言い方をしただけだろう。そう思っていた。 「もうっ、一回しか言わないからね。  貴之の事、ちゃんと好きだから」  自分の部屋で電話をすればいいのに、共有部分でわざわざ電話をするのは、僕の気配で貴之にヤキモチを妬かせたいから。きっと電話の向こうで貴之が『俺のこと、好きって言って』とか何とか言ったのだろう。 「馬鹿ップル…」  思わずそんな風に口を動かすと律希がニヤリと笑う。  貴之はこんな計算高い律希を知らないのだろう。律希の思惑になんて気付いていないのだろう。  律希は僕の存在を匂わせることに満足すると自室に引っ込みそれからまた貴之との時間を楽しんでいるようだ。 「スピーカーモードで話したまま寝ちゃった」  そんな事を言いながら、朝食中にスマホの充電をするのも当たり前の光景だった。  学生生活は新たな人間関係が広がるけれど、律希と貴之の関係は変わることなく続いている。 「ゴールデンウィークはどうする?」  こちらに来て2週間ほど経った時にそう聞くと律希はうっすらと笑い「帰らないよ」と答える。程々にしておけと言ったのにコソコソと貴之に会いに行っていたくせに、と不満げな顔をした僕に気付いたのだろう。 「だって、夏休みには帰ってくるんだろう?って言ってたから。  まだこっちに来たばっかりだし、最後に会った時にやな事されたからしばらくはおあずけ、かな?」 「おあずけ?」 「そう。  最後の時に貴之ってば健ちゃんにヤキモチ妬いて酷くって」  そう言って教えられた貴之が律希にした仕打ち。スーツを買いに行ったあの日、首元の赤い痕は薄くなっていたように思えたけれど、見えないところはなかなかにひどい状態だったと笑う。 「血が出るほど噛むとか、最低じゃない?」  そんな風に言うけれど、その笑顔はとても嬉しそうで〈呪い〉と言った時の律希を思い出させる。 「律希はそれで良いの?」 「痛いのは嫌だし、信じてくれないのも腹立つけど…こうやってボクから離れられなくなればいいんだ。  貴之ってば、健ちゃんと何かあるんじゃないかって心配なのか、痕見せろとか、誰かに痕付けられてないかって、うるさいんだよ。  だからビデオ通話で見せてあげるの。  変態だよね、貴之」  そう言った律希は今度こそ満面の笑みを浮かべる。 「最近、夏休みにいつ帰ってくるかってうるさくて可愛いんだよね」 「可愛いんだ?」 「うん。  あの大きな身体でこんな風にメッセージ送ってくるの、可愛くない?」 「可愛いなら帰って顔見せてあげたら?」 「それはしない。  だって、おあずけだもん」  やっぱり、気をかけるべき存在は律希ではなくて貴之だったのかもしれない…。  
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