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6
「はぁ…」
僕に聞かせるように律希がため息を吐くのは何回目だろう。
2人で生活を始め、学校が始まってから何度も繰り返される茶番劇。
そのやり取りに呆れて無視していても僕が声をかけるまでため息を吐いては僕の様子を気にしているのなんてとっくに気付いていた。これはきっと、貴之に会わせてしまった僕に対する当て付けなのだろう。あの時僕が律希を連れて行かなければ、あの時僕がもっと邪魔をしていれば律希は貴之との関係をここまで深める事はなかったのかもしれない。
「また貴之?」
律希の思うように行動するのは癪だけど、同じ部屋でため息を吐き続けられるのも息苦しくてついつい声をかけてしまう。自室に戻る事もできるけど、それをしてしまうと律希が機嫌を損なうのを知っているからそれはそれで面倒だ。
どこまでも僕に甘えて、何でも僕に伝えたがる律希。貴之との間に何があったかも、同居するようになって全て聞かされた。
僕の忠告を聞かずに貴之の家に行く様になった理由、貴之に家に通ううちに近付いた2人の気持ち。そして、近くなって行く距離と一線を越えた日。
そんな事は聞きたくないと言っても許してくれなかったのは、律希なりに気持ちの整理をしたいせいだと思っていたけれど、幼馴染という関係の中で律希に寄り添っていたつもりだったけれど、律希の本音を知った僕が離れられない様にするためだったのかもしれない。
〈呪い〉の話を聞いたあの日、それまで律希の擁護ばかりしていた僕だったけれど、もしかしたらそれは間違いだったかもと思いはじめた。律希のために貴之から遠ざけたつもりだったけれど、貴之のために律希を遠ざけておいた方が良かったのかもと思うようになったのだ。
確かに貴之の行動は褒められたものじゃない。
律希を囲い込み、律希を気遣う事なく自分の想いをぶつけ、自分の欲望のままに律希を蹂躙した。それは紛れもない事実。
だけど、律希には拒否する事だってできたんだ。一線を越えてしまうように仕向けたのはもしかしたら律希だったのかもしれない。律希に想いをぶつけ、欲望を向けるように仕向けたのかもしれない。
そして、〈呪い〉という言葉で貴之を縛り付けておいて執着を増した貴之から物理的な距離を取ったのだ。
「まだバイトも決まらないし、夏休みの予定なんてまだ分からないって言ってるんだけどね。
何なら夏の間、向こうでバイトすればいいって」
律希が困ったように言うけれど、向こうに帰る気なんて無いくせにと毒付きたくなる。僕から見たら貴之の事を弄んでいるようにしか見えない。確かに、肉体的には支配されていたかもしれないけれど、精神的に貴之を支配しているのは律希の方だ。
「まぁ、貴之らしいよね、言う事が」
そんな風に答えてはみるけれど、そう言わせているのは律希だという思いが捨てきれない。
「でしょ?」
そして、そう答える律希は支配するもの特有の優越感を覗かせる。
僕たちが新しい生活を始めたように貴之だって新しい生活が始まっている。生活環境は変わらないものの、その境遇はだいぶ変わっているだろう。
今までは〈経営者の息子〉という可愛がられるだけの存在だった貴之は、この4月からは〈新入社員〉という立場になった。
貴之は資格も取ったし、昔から見慣れた仕事だからと余裕ぶっていたらしいけれど、それはきっと強がり。
甘えたなくせにプライドの高い貴之の事だから厳しくされても叱られても喰らい付いていくのだろうけれど、気を張った毎日の中での癒しが律希なのだろう、きっと。
だから律希に会いたいと告げるのは貴之の本心。
「あんまり焦らすと貴之、彼女作っちゃうかもよ?」
「大丈夫だよ、貴之は僕から離れられないから。
貴之はね、ボクのこと好きで好きで仕方がないんだから」
そんな風に得意そうにいう理由を知るのはその少し後。
その日もいつもの様に僕の前で貴之に「好き」と告げて自室に戻った律希だったけれど、しばらくすると僕のスマホに貴之から着信があったため勉強の手を止める。さっきまで律希と電話をしていたはずだし、貴之が僕に電話なんて珍しいと思いながら出てみると挨拶も無しに「律希は?」と聞かれて返答に困ってしまう。
「律希はって、貴之と電話してたんじゃないの?」
何が起こっているのか分からないためそんな間抜けな言葉しか返す事ができない。
「それが…、ちょっと怒らせちゃったみたいで電話に出てくれないし、メッセージも返してくれないし。
もしかしてどこかに行ったのかと思ったんだけど…部屋にいるんだよな?」
歯切れの悪い言葉に喧嘩でもしたのかと思わずため息を吐いてしまう。痴話喧嘩の仲裁なんて嫌な役目だ。
「外出するときはお互いに声掛け合う様にしてるけど、何も言われてないから部屋にいると思うよ」
「じゃあ、律希の様子見てもらっていいか?」
「もう一回電話してみたら?」
「もう何回もしたけど駄目だったんだよ」
僕の提案は即却下されてしまった。
「そう言えば貴之ってずっと律希と付き合っていくつもり?」
律希が自室にいる間にずっと気になっていたことを聞いてみる。律希は貴之の事を〈呪い〉で縛り付けたと言っているけれど、貴之がどう思っているかが気になっていたのだ。
「ずっと?」
「そう、ずっと。
結婚とか、子どもとか、先のことまで考えた事ある?」
今ならまだ引き返せるかもしれない。律希がこちらにきたのを機会にその関係を精算して、地元で結婚をして子どもを育て、その子どもが家業を継いでいく。そうやって貴之の家も段々と街に受け入れられていくのだろう。だけど、貴之が律希との未来しか考えていないとなるとあの街での未来は諦めるしかない。
ただ、貴之はそれで良いとしても貴之の環境はそれを許さないだろう。
「おじさんやおばさんに律希との事、ちゃんと理解して認めてもらえる?」
「それは…」
僕の質問に言葉を濁す。きっと、そんな未来のことまで考えてなんていないのだろう。
「でも…好きなんだ」
考えて考えて、そして出した答えがそれなのだろう。だけど〈好き〉なだけで将来を決めることなんてできない。
「それは分かってるよ。
でもそれってずっと継続するの?」
「律希は資格を取って俺のそばにいるって、」
「言ったみたいだね。
でも、貴之の会社って律希を雇うほどの規模じゃないよね?」
「………」
僕の言葉に少しずつ貴之が苛立つのが分かっていたけれど、それでも言葉を止める事はしない。
「別に今すぐ別れろなんて言わないけど、距離が離れてる間にちゃんと考えた方がいい事もあるよ」
本当は律希が言った〈呪い〉の意図を伝えたかったけれど、それは僕のして良い事じゃないし、言ったところで貴之は信じる事はないだろう。だけど、心の片隅に残しておいて考える事はできるはずだ。
「それって、俺たちが別れたら良いと思ってるってこと?」
「それは別にどっちでも良いかな。
でも、律希の言葉に流されすぎちゃ駄目だよ」
僕に言えるのはそれくらいだと思い「律希の部屋、見てみるね」と部屋を移動する。貴之は何か言いたそうなそぶりを見せたけれど、これ以上僕が言うことはないし、考え、決めるのは貴之自身だ。
自室を出て共有部分を挟めばすぐに律希の部屋だから、そのドアの前までは本当にわずかな距離。「律希、貴之から連絡がつかないって電話きたけどどうした?」そう言いながらドアをノックする。
『律希、いた?
何か言ってる?』
そんな風に焦って質問してくる貴之に「ちょっと待ちなって」と声をかけながら律希の返答を待つ。
「ごめん、ちょっと調子悪いみたい」
しばらくして薄くドアが開くと律希がそれだけ言って、再びドアが閉ざされる。貴之と話す気は無いとの意思表示なのだろう。
「なんか律希、調子悪いみたい。様子見てまた連絡するから」
とりあえず貴之にそう告げて『そんな訳ない』『律希と話させて』と引き下がる気のない貴之を宥めて電話を切る。
「後でちゃんと連絡するから。
約束する」
そこまで言ってやっと貴之を落ち着かせると、今度はドアの向こうの律希の番だ。
「律希、開けていい?」
できるだけ優しくそう声をかけてドアをノックする。鍵のついていないドアは問答無用で開ける事が可能だけど、いくら弟みたいに思っていても他人なのだから当たり前の配慮だ。「りつき」怒ったり拗ねたりした律希を宥める時に使う優しい声色でその名を呼び、ドアが開くのを待つ。まるで天岩戸だ。
それ以上は何も言わず、静かにドアの前で待つ。開けて良いかと聞いたけれど、僕の手でドアを開けるつもりは無い。
どれくらいで律希が根負けするのかとスマホを触りながら待っているとほんの数分でドアが開く。僕はスマホを触っていただけなのに、堪え性のないアマテラスだ。
「大丈夫?
コーヒー入れる?」
調子が悪いだなんてただの言い訳なのは知っているから律希が出てきやすい様にそう誘い「牛乳たくさん入れてね」と答えた律希と共有部分のリビングに移動する、と言ってもドアの前はリビングだから座って待つ様に促す。
コーヒーメーカーなんて無いし、ドリップコーヒーは律希が飲まないから自然とインスタントコーヒーを買う事になり、律希の好むカフェオレ、というよりコーヒー牛乳と言ったほうがしっくりくる飲み物をチョコを添えて目の前に置く。ちなみに僕のコーヒーは律希のものよりも牛乳が少なめなカフェオレ風だ。
「喧嘩した?」
コーヒー牛乳をゆっくりと飲み始めた律希に話のきっかけを提供する。本当は話したいくせに、きっかけを欲しがる律希は案外狡賢い事に気付いたのは一緒に暮らす様になってから。
弱いふりをして、従うふりをして、自分の思うように貴之をコントロールしていたのかもしれない。
「喧嘩じゃない」
「そっか」
じゃあ何なのかと聞きたい気持ちを抑え、律希が口を開くのを待つ。下手なことを言って巻き添えを喰らうのはごめんだ。
「付き合うってよくわからない…」
「今更?」
「信じてもらえないし、したくないことしろって言われるし」
「それ、僕が聞いても大丈夫な話?」
「健琥にしか話せない」
「話したいなら聞くけど、無理しなくていいよ?」
面倒になってそう言うと、やっと律希が話し出す。
「もぅ、何が正しいのかわからない」
そんな言葉で聞かされた2人のすれ違いの原因と貴之の執着。
自分以外の男にと言うか、僕が律希に触れていないかと身体のチェックのために言われるがままに素肌を見せていたこと。そして、そんな事を繰り返していたせいか、そのまま自慰をするように言われたため拒否して電話を切ったこと。折り返しを無視していたらメッセージで貴之の自慰に付き合って欲しいと言われたこと。
結局僕は、痴話喧嘩に巻き込まれてしまったらしい。
「あいつ、馬鹿?」
思わず言ってしまったのは心底呆れたから。
自分の要求を聞き入れる律希に対して調子に乗った貴之が無理を押し通そう出したように見えるけど、実のところ律希に誘導されたのだろう。嫌がるそぶりを見せながら、貴之の劣情を煽るようなそぶりを見せたのかもしれない。自分が優位に立つためなら律希は何だってするはずだ。
貴之に言われたからといって身体を見せる必要なんてないのに、自慰をするように言わせたくなるような見せ方をしたのだろう、きっと。
いいように弄ばれている貴之に少しだけ助け舟を出したくなってしまう。
「律希はどう思ったのかはその様子を見ればわかるけど、別に貴之がおかしいわけではないよ?そういうのが好きな人もいるし、会えない間のコミニュケーションとしては有りだと思うし。
だけど、お互いの同意があってはじめて成り立つことだから貴之のした事は褒められたことじゃないね」
そう言ってため息を吐いてみせる。あくまで律希の味方をするふりをして、貴之を擁護しつつ話を続ける。
「上手く行ってないの?」
「どうなんだろう、学校のことで忙しいって言っても信じてもらえないのは正直辛い」
どの口が、と言いたいけれど律希は律希で貴之を繋ぎ止めようと必死なのだろう。だけど、貴之が律希のことを信じきれないのは律希のせいでもある事にどうして気付かないのだろう。
単純な貴之に対して試すようなことをせず、〈呪い〉なんてわかりにくい執着を見せず、素直に好きだと、ずっと一緒にいたいと告げれば良かったのに。
一時の感情ではない、一生貴之と共に在りたいと。そこまで言えば貴之だってもっと真剣に考えて、ちゃんと結論を出してくれたはずなのに、中途半端に〈呪い〉だなんて変な執着を見せるから拗れるのだ。
「ちゃんと話したほうがいいよ」
そう釘を刺すと不満そうな顔を見せる。そして「少し前まで僕の前で好きだとか言ってたくせに」とため息を吐けば僕が全面的に味方ではないと気付いたのか、言い訳を始める。
「そうなんだけど…。
不安でチェックしたいって言われるのだって本当は嫌なのに、健琥がいるの知っててそんな事しろなんて悪趣味だ」
「別に、僕は自分の部屋にいるんだから気にしなくていいよ?」
「そうじゃなくて…」
「それなら僕がいない時に一度してみたら?なんなら今からコンビニにでも行ってこようか?」
「そういう問題じゃないし」
自分の欲しい答えを引き出そうとする律希は、僕に対して案外我儘だ。
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