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 あれから、どうなるのかと見守っていた2人の関係は変わる事なく続いている。  …変わる事なく、ではなく形を変えて続いている。 「貴之に新しい〈呪い〉かけちゃった」  あの電話の翌日、無邪気に言った律希は僕に対して勝ち誇った顔を見せた。 「新しい呪いって?」 「ボクのことを信じて。  ボクのことを好きでいて。  ボクを試さないで。  ボクの気持ちを離さないで。  そうお願いしただけなんだけどね」  その言葉を聞いた貴之に同情したくなってしまう。  あんなにも執着を見せた貴之がこんな言葉を言われてしまったら…逃げることなんてできないだろう。 「だってさ、ボクは貴之のことが好きで、健ちゃんに言われた事を無視して貴之に会いに行ったのに、よりによってボクと健ちゃんがエッチなことしないかとか心配してたんだよ?  健ちゃんと暮らすのが許せないとか、健ちゃんに触らせたくないとか。  せっかくボクと貴之を引き合わせてくれた健ちゃんにも失礼だよね。  だからボクのことを信じて、ボクのことをもっと好きになるように〈呪い〉をかけ直しただけ」  僕に対してそんな気遣いをするのなら貴之ともっと向き合えば良いのにと思うけれど、律希にとって貴之と僕の立ち位置はだいぶ違うようだ。  昨夜、律希に対しても貴之に対しても僕の想いは伝えたはずなのに、それなのにこんな風に言われてしまうと何も伝わっていなかったのだと自覚せざるを得ない。 「………だから、事あるごとに僕の名前出すのやめてくれない?」  僕の存在が2人の仲を邪魔するのなら僕の存在は不必要だ。 「健ちゃんの名前出したのは貴之だもん」  僕の言葉にクスクスと笑い、満足そうに話す律希は僕が守りたかった律希ではない。僕は貴之を守るべきだったのかもしれない。 「律希、変わったね」  そう言った僕に律希は呆れたと言いたげな顔を見せる。 「だって、欲しいんだから仕方なくない?  いつかは別れるんだろうけど、今はまだボクのものなんだし」 「別れる前提なんだ?」 「だって、ボクはもう別れようって言ったのに、嫌だって縋り付いたのは貴之だよ?  だから、ボクはこっちで頑張るから帰った時はボクだけの貴之でいて欲しいって、ボクだけのために時間を使って欲しいってお願いしただけ。  貴之みたいに身体に傷をつけたわけじゃないし、無茶なお願いもしてない。  好きな人に会えた時にはその人の時間を独占したいなんて、ボクってば凄く健気だよね」  その言葉にため息を吐きたくなるけれど、律希に苦言を呈したところで意味がないのだと気付いてしまった。逆に僕が何か言えば言うほど貴之のことを縛りつけようとするのだろう。  できるだけ長い時間貴之を縛りつけようとする律希と、目先の事だけを、今の気持ちだけを優先して自ら罠に嵌った貴之。 「女郎蜘蛛…」  ポツリと溢した僕の言葉は律希には届かない。 「貴之もボクを信じるし、ボクのこと好きでいてくれるって約束してくれたし。  健ちゃん、ありがとう」  そう言った微笑みは弟のような可愛いものではなくて、艶やかな、どこか妖艶な笑みだった。  僕もきっと、どこかで間違えてしまったのだろう。 「貴之、ごめん」  伝えたい相手に僕の言葉が届くことは無いのだろう、きっと。  そして、2人の関係は穏やかな様子を見せて続いていく。  結局、同じバイト先を選んだ僕と律希はお互いの都合を考慮して、休みが重ならないようにバイトに入るため重宝されている。特に長期休みは予定をずらしてシフトに入ることで、バイトに穴を空けることなく気兼ねなく休めると律希は笑う。貴之の休みに合わせ、忙しい盆正月に優先的に休む律希には都合のいいことばかりなようだ。  僕はといえば盆正月にこだわる家で育ったわけでははなかったし、専門職に就く母は盆正月もあまり関係無いため元気な顔を見せるための帰省の日にちにこだわりは無く、時給の高い時にバイトに入るのは嫌じゃない。  だから律希に都合よく使われているわけではなくて、Win-Winの関係。  祝日と週末を続けた連休があれば貴之がこちらに来ることもあったけれど、そんな日は僕は部屋から出ることに決めていた。  いくら部屋が別でも同じ空間で過ごせば、ドア越しに2人が何をしているのかなんて気配でわかってしまう。律希はそれもスパイスになるからと僕の外出を止めようとしたけれど、そんなことに使われるのは勘弁して欲しいと同じ学部の友人宅に身を寄せる。  大学で新しい友人は作ったものの、どこまでも貴之に固執する律希と違い、僕は僕の交友関係を拡げていたから。 「健琥さぁ、あの子と一緒に住んでて大変じゃない?」  そんなことを言われるようになったのは律希が貴之に2度目の〈呪い〉をかけたと言ったあの日から少し経ってから。  学部が違えば生活時間も違ってくるし、付き合う相手も変わってくる。僕に見える律希は相変わらず貴之を縛り付けて可愛いふりを続けているし、バイト先では急に休んだり遅刻したりすることもなく真面目に過ごしている。ただ、僕の見えないところではそれなりに奔放に過ごしているらしい。 「もしかして健琥もあの子と付き合ってる?」 「健琥もって、律希って誰かと付き合ってるの?」  思わず聞き返してしまった。付き合っているという言葉を否定していないせいで相手が〈しまった〉という顔をしたため「あ、律希と付き合ってるのは僕じゃないよ。地元の幼馴染」と誤解だけは解いておく。  いくら〈あの街〉とは違うとはいえ、自分から噂話のスパイスになる気はない。  そして聞かされた奔放な律希の姿。  誘われても簡単には靡かないけれど、諦めずに何度もアプローチをすればチャンスが回ってくることもあること。律希に気に入られれば2度、3度と声をかけられることもあること。 「経営学部のお姫様って、一部では有名みたいだよ」  そう言って締められた話に呆れてしまう。貴之の事を〈呪い〉という言葉で縛り付けておいて何をしているのだとため息を吐きたくなる。 「僕に付き合ってるのかって聞くってことは、相手って」 「うん、男ばっかりだね」 「だよね」  よくよく聞いてみれば女の子に声をかけられた時に「女の子と付き合う気はないから」と答えたことが発端らしく、律希の受け答えに腹を立てたその子が「律希の恋愛の対象は異性らしい」と悪意をもって囁いた事で噂が広まったらしい。その噂話のせいで同性が性愛の対象である相手から声をかけられるようになり、噂が広がるとともに律希の奔放な様が見られるようになったと教えられた。  全く気付いていなかった自分に呆れながらも、律希の迂闊さに今度こそため息が出てしまう。〈あの街〉を離れてタガが外れたのか、貴之をコントロールできるようになったことで余裕ができたのか。  どちらにしても、貴之じゃない相手でも大丈夫だというなら〈呪い〉なんて自分勝手な想いで貴之を縛りつける必要はないと思ってしまう。  貴之以外と付き合えるのなら貴之を解放するべきだ。 「一緒に暮らしてるせいで健琥のこと彼氏だと思ってる奴もいるみたいだから気を付けろよ」 「…わかった。  ありがとう」  それ以上は何も言えなかった。   「ねぇ、律希は貴之のことどう思ってるの?」  どちらもバイトがなくて家で過ごしていた時に聞いてみたのは無視することができなかったから。  注意して律希の様子を見ていれば、僕がバイトでいない時には家で食事をしていないことが頻繁にあることに気付く。新しい友人ができた話は何度も聞いていたけれど、「やっぱり健ちゃんといるのが1番楽で安心する」なんて言っていたからそんな〈深い〉付き合いをしている相手がいるだなんて想像をした事もなかった。  学部が違うせいなのか、律希なりに気をつけていたのか、僕の耳に入らなかった事柄だったけれど見ないフリはできない。この先、今回のように心配して好意的に接してくれる相手ばかりなら問題ないけれど、律希と僕の関係を疑って悪意をもって接してくる相手がいないとも限らない。それに、僕のせいで律希に囚われた貴之を解放するチャンスだと思ったから。 「何で?  ずっと好きだったし、今も好きだよ、もちろん」  嬉しそうに微笑みながらそう言った律希の言葉に嘘が隠れているとは思わないけれど、それならば何故、貴之以外の男と付き合っているのだろう。 「どうしたの、急に?」 「もう貴之のこと、解放してあげたら?  遠くにいる貴之よりも律希に寄り添ってくれる人がいるんでしょ?」  その言葉に律希の顔が曇り、それまでは僕の方を見ていたのに視線を彷徨わせる。 「律希と別れたら貴之はしばらくは落ち込むだろうけど、貴之は貴之でちゃんとパートナーを見つけるだろうし。律希に他に好きな人ができたなら貴之とは別れるべきだと思うよ」  具体的なことは言わないけれど、〈知っている〉事を匂わせながら律希の言葉を待つ。 「いつかは貴之と別れるつもりって言ってたよね?  だったらそれが〈今〉でも問題ないんじゃないの?  貴之の人生を弄ぶの、もうやめたら」 「他に好きな人なんていないし。  健ちゃん、何言ってるの?  何か聞いたの?」  多少は焦っているものの、それでも変に冷静で、だけど僕と目を合わせようとはしない。 「経営学部のお姫様って呼ばれてるんだってね」  その言葉に驚いたような顔を見せ、僕と目を合わせる。 「今日、僕〈も〉律希と付き合ってるのかって聞かれたよ。  そっちの学部だと案外有名な話なのかな」  そう言った僕に「誰だよ」と小さく呟く。否定をしないところを見るとやっぱり本当のことなのだろう。 「貴之じゃなくてもいいなら解放してあげな」  もう一度同じことを繰り返す。  肉体的に酷いことをして律希を束縛しようとした貴之と、精神的に貴之を縛り付けた律希。どっちもどっちだと思うけれど、今は穏やかな関係に見えてもこのまま平穏無事に続くとは思えない関係。  だったら絡み合って解けなくなる前に無理やり切ってしまったほうが良いのは誰の目にも明らかだ。 「…いやだ」  小声で返された言葉が聞き取れず「なに?」と聞き返すと「嫌だって言ってるのっ!」と、今度は僕と目を合わせ強い言葉で反論する。 「健ちゃん、なんでそんなこと言うの?  ボクがずっと、ずっとずっと貴之のこと好きなの知ってるはずなのに、なんで別れろって言うの?」 「だって、貴之以外にも誰かと付き合ってるんでしょ?」 「付き合ってなんかない」 「じゃあ、経営学部のお姫様って何?」  律希の言葉を信じてあげたくても今回ばかりは無理だと、違うと言うのならちゃんと説明をして欲しいと言った僕が聞かされた話は、何でそうなるのだと呆れてしまう話だった。  受験勉強に本格的に取り組むまでは貴之と頻繁に身体を重ねていたこと。  受験勉強をしている間は集中していたため性欲が抑えられていたけれど、こちらに引っ越しまい貴之となかなか会えないせいで発散できないこと。  電話で貴之に痕を確認されたり、自分以外の痕がないか疑われていたのは信じてもらえないようで嫌だったけれど、貴之の執着が律希を満足させていたこと。  そして、僕の仲裁で落ち着いた貴之との関係は嬉しいもののどこか物足りなくて、足りない部分を声をかけてきた相手で補っているのだと話は締められた。 「健ちゃんが仲裁したせいでこうなったんだから、放っておいてよね。  それとも健ちゃんが相手してくれる?」  そんな風に言われ、それなら仕方がないと容認できるような話ではなかった。 「…律希、それ本気で言ってる?」 「どの部分のこと?  相手してって言ったこと?」 「それは論外。  自分の言ってることが本当に正しいと思ってる?」  呆れと怒りで声が低くなるのを自覚すると、僕の変化に律希も何か感じたのだろう。「だって…」と何か言おうとするものの、言葉が続かない。 「そもそも、貴之とそうなったのは律希の責任だし、受け入れない選択だってあったのにそうしなかったのは律希だよね。貴之とセックスしたのだって律希の意思だし、律希だってしたかったんでしょ?  それをさも自分は被害者みたいにゴチャゴチャ言って、おまけに〈呪い〉とか言って貴之をコントロールしようとして。  どうせ僕が連れて行かなくても貴之のところに行ったくせに。  何でもかんでも僕のせいにして、今度は性欲が満たされないのは僕のせいだなんて………いい加減にしてくれる?」  僕は、言葉を止めることができなかった。
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