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「ねぇ、律希進路変えた?」  ボクにそう聞いてきたのは母だった。  進路指導の紙を出す時に書いた学校名は母にも見せたけれど、正直少しだけ気持ちが揺れている。母はどこかから何か話を聞いたのか、それともボクの様子で察したのか。 「何で?」  不思議に思い聞いてみると「健琥君が大学生になったら律希とルームシェアすることも考えてるって言ってたって健琥ママから聞いたから」と笑う。両親同士も仲が良いため色々と情報が交わされるのは常のことだ。 「健琥から誘われたけど返事なんてしてないよ?」  ため息混じりにそう告げる。  ボクの気持ちがはっきりしないせいか、外堀から埋めるつもりだろう。 「そもそもまだ高校にも受かってないのに何で大学になった時の話?」 「でも行きたい大学があるならそれに見合った高校に行くべきでしょ?だから進路変えたのか聞いてるの」  健琥と同じように正論を並べられる。 「だって学力だって問題ないなら健琥君と一緒の高校、良いと思うよ。逆に何であそこにしないの?」  前からそう思っていたと言われてしまうと答えに困ってしまう。少しでも貴之の近くにいたいから、なんて言えるわけがない。 「健琥ママも律希が一緒なら安心だって言ってたけど…。  それ、ママの台詞だし」  母の中での健琥の評価は高い。 「まぁ、今から大学とか言われても困ると思うけど、進路変えるならちゃんと言いなさいよ?  健琥君みたいに塾行く?」 「…考えておく」  そんな話をしたのが2年生の秋。  結局、その年の冬には健琥の通う塾で冬季講習を受けることになり、そのまま健琥と共に塾に通い、同じ高校に入学することになる。  貴之は部活で成績を残してスポーツ推薦で希望の高校に入学し、僕たちが受験勉強をしている時にはもう高校で部活に参加していた。  別れてしまった道に淋しさはあったけれど、気持ちを告げる事を諦めたボクにはちょうど良かった。 「僕は最悪な事も想定してるんだけど、もしも彼女に再会できた時に彼氏がいたとしても、目標の大学に入れたらそれはそれで良かったと思える。だけど律希は貴之の近くにいたいって理由で高校選んだとして、貴之に彼女ができた時にこの高校にして良かったって言える?」  その言葉がボクの進路を決める決定打となったから。  中学の頃は想定してなかったけれど、高校生になれば出会いも増えるだろう。工業高校にだって女の子はいるし、部活の試合があれば他校の女の子に知り合う機会だってある。元々人気のある貴之だからすぐに彼女だってできるかもしれない。 「男は貴之だけじゃないし」 「別に、貴之以外好きだって思った事ないし」 「え?僕は??」 「貴之の好きと健ちゃんの好きは違うもん」 「だよね~」  これが健琥の優しさ。  貴之は部活で忙しく、健琥とボクは次の目標のために頑張る日々でボクたちの距離を広げていく。長期休みとなると貴之は部活が、ボクたちは講習があるせいで会おうという話も出ない。  入学したての頃はお互いに送り合っていたメッセージも気付けば途絶えていた。貴之は貴之の人間関係があるし、ボクたちはボクたちで忙しい。  時折親の口から貴之の名前を聞くことはあったけれど、基本的な生活時間が合わないのか会う事もない。このまま蓋をした気持ちは消えて無くなるんだろうな、そんな風に思っていた時に母から貴之の名前を告げられた。 「貴之君、怪我して部活辞めたって」  それは、3年になる直前に春休みだった。 「貴之の話、聞いた?」  先に口にしたのは健琥だった。  その日は塾の春季講習で、年間スケジュールを確認したり、苦手を克服したりと受験を見据えた目標を話していた時に〈おまけ〉のように言われた言葉。 「聞いたよ。怪我して部活辞めたって」 「会いに行く?」 「何て声かければいいのかわからないし」  連絡をしたかったけれど、高校に入り疎遠になってしまったせいでメッセージを送ることすらできなかったボクに健琥が苦笑いを見せる。 「話聞いたけど何かできることある?って送ったら暇してるから家に来てって返ってきたよ?」  そう言ってメッセージを見せる。 そして「ここ、見て」と指差した先には《律希も連れてきて》と書かれていた。 「何で、ボク?」 「だって、幼馴染でしょ?  中学の時は3人で遊んでたんだからその延長。貴之の中ではただの幼馴染だもん」  その言葉に嬉しさよりも淋しさを覚える。ボクは貴之を意識してその想いをしまい込んだのに、貴之には幼馴染だとしか思われていない事を改めて自覚させられてしまう。 「大学行ったら会えなくなるんだから今のうちに会っておくのもいいんじゃない?帰りに顔出すって返しておくよ」  有無を言わさずメッセージを返した健琥は頭を切り替え予定の見直しを始める。 「行くって言ってないのに…」  意識されてなくても自分の名前を出してくれた事が嬉しくて、それでも素直になれないボクは健琥に憎まれ口を叩く。 「はぃはぃ、ごめんごめん」  苦笑いの健琥にはお見通しなのだろう。「さっさと終わらせて貴之に会いに行こうね」そう言った声は優しかった。  これが貴之とボクの転機。  久しぶりに会った貴之は凛々しさを増し、ボクを見惚れさせる。  室内でやる競技だったけれど、屋外でのトレーニングもあったのだろう。日焼けの名残のある肌に、短く切った黒い髪。ゆるい部屋着の上からも鍛えられた身体が見て取れる。小さくて小さいままのボクとは大違いだ。マッシュのまま伸ばすでもなく、切るでもない髪型をキープしているボクは女の子に見えないまでも中性的な容姿で成長が止まっている。 「律希は相変わらず小さいなぁ」  そして、その一言で離れていた2年間は埋まってしまう。 「貴之は大きくなりすぎじゃない?」 「まぁ、律希に比べたらね。  でも健琥は同じくらい?」 「多分、身長は変わらないかな」  ボクと違って高校に入ってから急に身長が伸びた健琥が飄々と答える。体育会系丸出しの貴之とは対照的に〈インテリ眼鏡〉と言いたくなるような健琥はその聡明さと穏やかな口調で実はモテる。  コンタクトにすることなく眼鏡のままで、長めの前髪が鬱陶しいとボクは常々思っているのに女の子からは〈影があって大人びてる〉なんて言われている。影なんてないし、ボクのことを弟扱いする口うるさい一面は皆んな知らないんだ。  時折女の子から健琥の情報を教えて欲しいと言われるけれど、それを健琥に伝えた時に「自分で聞きに来るように言いな」と言われてからはそう伝えている。健琥に話しかけにくくて小さくて同性扱いしているボクを良いように扱っているのは健琥にバレバレだ。  目標の大学に行くためにと高校では部活にも入らなかったけれど、それなりに身体を動かしているのも知ってる。だからガタイのいい貴之と、それなりの体型の健琥と一緒だと背の伸びなかった自分が少し悲しくなってしまう。  貴之の怪我にどこまで触れていいのか分からずに進める会話は上辺だけのもので、だけど起こってしまった事実の確認はする必要無いから敢えて聞くこともない。  貴之とボクたちは部活の仲間じゃない。貴之の運動能力が如何であろうと幼馴染という関係に変わりはない。今だって怪我で部活を辞めたという事実はあるものの外見的に何か変化があるわけでもないし、ボクたちを迎えに出た時も部屋に通された時も何の違和感もない。 「別に怪我したって言っても部活を続ける事が難しくなっただけで生活に支障があるわけじゃないんだ」  何となく空気を察したのだろう。 「下手に部活に行って後輩に気を遣われるくらいならサッパリ引退した方が部内の雰囲気も良いし。就職するにしても家継ぐんだから就活も必要無いし。  少し早いけど仕事、覚えるのも悪くないかなと思って。  夏休み終わればどっちみち引退だったし、少しだけ早く引退しただけだよ」  そう言って笑うけれど、少し伏せた目が本心じゃない事を物語っている。 「2人は進学だったよな?」 「だね」  健琥だって貴之の強がりに気づいているはずだけど特に何か言うわけでもなく会話は続く。 「やっぱりあの子のこと追いかけるの?」 「そのつもり。  一応、合格圏内だし」 「律希は?」 「ボクも同じとこ行くつもり」  その言葉に貴之が少し驚いた顔をする。 「律希って、そんなに成績良かったっけ?」 「…それなりに」  貴之を諦めるために勉強を頑張ったなんて言えないけれど、貴之から離れるためにやってきた事が実を結んだだけだ。 「じゃあ、毎日受験勉強で忙しい?」 「それなりに」  そう答えると貴之がため息をつく。どうしたのかと思いその顔を見れば「遊び相手がいないんだよ」と苦笑いを見せる。何でも部活をやっている友人は夏の引退まで忙しいし、引退したら今度は就職試験の準備がある。部活を辞めて、就職先の決まっている貴之は暇で仕方がないらしい。 「彼女と遊べ、彼女と」 「いね~よ、そんなの。  部活忙しくてそれどころじゃなかった」 「じゃあ、作れば?」  2人の会話に入る事ができず、貴之の言葉に心が騒つく。 「好きな子とか、いないの?」 「基本、女子少ないし。  他校とかマネージャーめちゃくちゃ可愛いのにうちのマネージャー、男だし。  先輩、タオルとか言われても嬉しくね~っ‼︎」  ボクの気持ちを知らない貴之は容赦ない。ボクだって、同じ高校で男子でもマネージャーが出来るならやっていたかもしれない。 「友達は?」 「友達なんて部活一緒の奴ばっかだから見舞いすら来なかったし。まぁ、来るなって言ったんだけどな」  そう言った笑顔は少し淋しそうだった。ボクだったら…来るなと言われても来てしまっただろう。 「だから本当に暇なんだって。  幼馴染のよしみで暇な時でいいから遊ぼうぜ?」 「断る」  健琥は冷たい。 「律希は?」 「律希も一緒に春季講習」  その言葉に貴之があからさまに凹む。 「そんなに余裕無いの?」  少し馬鹿にするような、それでも少し縋るような顔をされてしまい答えに困ってしまう。 「余裕があるとか無いとか、油断してると足元掬われるから。貴之が真剣に部活をやってたみたいに僕たちは真剣に受験に向けて頑張ってるんだよ」 「…ごめん」  自分の都合で思ったことを口にしてしまったことを恥じたのか、気不味そうな顔をする貴之は更に凹んでしまう。 「久しぶりに会えたから嬉しくて…」  そんな風に言われてしまったら健琥もボクも笑うしかなかった。  その後は会わなかった間の話で離れてしまった時間を埋め、ある程度の時間になったところで「また、顔出すよ」と約束して貴之の家を出た。 「元気そうにしてたけど落ち込んでたね」 「絆されちゃダメだよ?」  ボクの思惑なんてバレバレなのだろう。貴之に会いに行く前は〈大学に行ったら会えなくなるから今のうちに会っておけ〉なんて言っていたくせに…。 「夏休み過ぎちゃえば友達も引退するんじゃない?」 「だからそれまで貴之に付き合うって?」 「だって、大学行ったらどうせ会えなくなるんだし」 「そうは言ったけど、貴之が希望してるのはたまに会う友達じゃないよ?  それこそ学校帰りに待ち合わせてどこか行ったり、家に遊びに来たり、行ったり。受験勉強を言い訳にして距離をとっておかないと自分が辛くなるんじゃない?」 「…そうだけど」  家までの道のりで健琥にそう言われてもボクはそのわずかな時間だけでいいから一緒に過ごしたいと思ってしまったんだ。  だから、帰ってすぐに貴之に連絡をしてしまったのは必然。
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