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『今日、買い物に行った時に貴之君のお母さんに会ったんだけど』  そんな言葉で始まった話は予想通り過ぎて笑えてしまう内容だった。  貴之に彼女ができた事。  きっかけは同窓会だった事。  付き合い始めてすぐに彼女が家に出入りするようになり、ご近所では知らない人はいないと言う事。  だからあの街は嫌なんだ…。  貴之の母は元々僕の母に対抗意識を持っていたから今回も僕と貴之を比べたのだろう。学生の僕と比べ、貴之は家業を継いで彼女もできて、結婚も間近だと、孫の顔を見られるのもきっと直ぐだと得意そうに告げられたと呆れた様子で話された。  ただ、それだけの事で貴之と律希の関係を確認するなんてと思い僕も口を開く。 「それで何で貴之と律希が付き合ってることになるの?」 『それが、いつもなら律希君のお母さんの前では律希君のこと褒めちぎる癖に「律ちゃんは彼女は?」って。「健ちゃんは彼女は?」って聞かない癖に律希君にだけ言うなんて、ねぇ?  そもそも貴之君が早いだけで律希君だって健琥だって全然遅くないし、まだまだこれからだし、孫ならうちも律希君とこもとっくにいるんだし。  だからおかしいと思ったのよね』  いつも冷静な母はそんな時でも冷静らしい。そもそも、母だけでいる時にはほとんど話しかけてくる事はないし、律希の母といる時に話しかけてきても「律ちゃんと健ちゃん仲良いけどたまには貴之も仲間に入れてね」と言うだけなのに、それなのにやけに饒舌なのが気になったと。 『律希君のお母さんは「あら、おめでたいわね」なんて言ってたけど何か、嫌な感じがしたのよね…。  今度2人でそっちに遊びに行くじゃない?その時にきっと、貴之君の話も出ると思うのよ、だから健琥には言っておいた方がいいかと思って…』  離れて暮らしていても母は母なのだろう。律希の事は本当に小さい頃から知っていて、必要以上に肩入れはしないけれど何かあれば自分の子どもと同じように心配をしてしまう存在。 「そっか…」  いつかはそんな日が来ると思っていたけれど、思っていた以上に早いその日に声が沈む。貴之からの連絡が素っ気ないと律希が言った時から嫌な感じはしていたけれど〈夏には浴衣を着る約束をした〉と言った時の顔を思い出し、「浴衣、いらなくなったな」と小さな声で呟いてしまう。 『何か言った?』  聞こえた母の声で話し中だったことを思い出す。 「ごめん、独り言。  母さん、ありがとう。  じゃあ、おばさんがその話した時には僕がフォローするから」 『やっぱり、そうだった?』 「うん。  貴之のおばさんは気付いてたんだろうね、きっと」 『多分ね。  「律ちゃん、帰ってくるとずっと貴之と遊んでるんですよ」なんて得意そうに言ってたけど、内心は複雑だったのかもね』  ため息と共に聞こえた母の声は少し重いものだったけれど、僕の声も似たようなものだろう。 『健琥はお付き合いしてる人はいるの?』 「何、急に。  僕は今のところいないよ?」 『そっか。  じゃあ、しばらくは律希君のこと気にかけてあげて』 「いつも気にかけてるよ」 『健琥は律希君のこと好きじゃないの?』 「好きの種類のもよるけど…僕の好きは友達っていうより兄弟の好きかな。  恋愛的な好きではないよ」 『そうだと思ってたけどね』  これから律希に降りかかる事を思ってか、親子の軽い会話なのに軽い雰囲気にならない。 『でも好きな人ができたら律希君のことよりそっち優先しなさいね』 「それは無理かな…」 『そうだと思ってたけどね』  母の苦笑いが目に浮かぶ。 『とりあえず、日にち決まったらまた連絡するから。あ、その部屋には泊まらないから安心してね』 「え、ホテル代勿体無いよ?」 『でも布団、無いでしょ?  お母さんたちもたまには羽を伸ばして贅沢したいの』  そんな風にいうけれど、きっとその日に起こることを考えての事だろう。 『ディナーっていうとお酒入るだろうから、ランチくらいは付き合ってね』  そんな言葉で話し終え、電話を切る。 「律希、泣くかな…」  その日のことを考えると胃が痛くなる気がする。  律希は相変わらず貴之に連絡を入れているけれど、欲しい返事が返ってこないようで「健ちゃん、一緒に寝よ?」という回数が少しだけ増えたように思う。だけど、何か思うところがあるのか貴之の話をする事はない。  取り止めのない会話で過ごす夜は少しだけよそよそしいけれど、知ってしまった僕はそのことを告げられないまま律希の淋しさに寄り添う。  本来ならば貴之が自分の口で告げるべき話を僕が代弁する必要はないし、それこそ余計なお世話だ。  貴之なりに考えて律希に自分の言葉で伝えるつもりがあるのかもしれないと願う気持ちもあったし、もしかしたら、もしかしたら周囲に流されただけで律希の元に戻るために苦しんでいるのかもしれないという勝手な期待もあった。  律希が不安に思っている時に貴之も苦しんでいるかもしれない、そんな僕の願いを無視してその日はやってくる。 「ねぇねぇ、貴之君のこと聞いてる?」  嬉しそうに言ったのは律希の母だった。  その日、駅まで迎えに行くと言った僕たちに「駅の近くだから荷物置いてから合流でいいから」と言われてたせいで、母たちの泊まるホテルのロビーで待ち合わせた。ロビーで見つけた母達は、いつもよりお洒落をしていて〈母〉というより〈女性〉に見えたけれど、僕たちの顔を見るとその顔はすぐに母の顔になる。 「久しぶり」  そう言った母は何か言いたそうに目配せをするため〈分かってる〉と答えるために小さく頷いてみせる。 「健ちゃん、いつも律希のことありがとね」  そんな風に言った自分の母に対して律希は「何で健ちゃんにお礼言うの?」と不満そうな顔を見せる律希だけど、「だって、健ちゃんにお世話してもらってるんでしょ?」と言ってやり込められる。自覚はあっても母の口から言われるのは面白くない、という気持ちは僕にもよくわかるから律希に同情してしまう。  そして始まったランチ会はお互いの近況を伝え合い、3年生になると始まる就活の話へと移行していく。 「どこを受けるとか、もう決めてるの?」  母の言葉にいくつかの会社の名前を出し、インターンに参加するため帰省する回数を減らすつもりだと告げる。 「まぁ、そうなるのは仕方ないのよね」  納得していても淋しそうに見えるのはやはり〈母〉だからだろう。律希の母も同じように問いかけるけれどインターンに参加すると言いつつも具体的な会社名を出さない息子に「健ちゃん見習いなさいよ」なんて言って律希を膨れさせる。 「だって、何がしたいかなんて決められないし」 「それも分かるけどねって言うか、そんなふうに迷う健琥を見てみたい」  これは律希とうちの母の会話。 「健ちゃんみたいにしっかりしててくれる方が安心よ?」  そして、2人の会話にそう言って入っていった律希の母が思い出したように言った言葉が貴之の現状についてだった。 「貴之の事って?」 「なに、律希ってば帰ってきても貴之君と過ごす時間の方が長いのに聞いてないの?」  その言葉に母が僕をチラリと見る。頷く事のできない僕は母に視線を合わせる事で了解の合図をする。  突然出てきた貴之の名前に不安そうな顔を見せた律希は言葉を続ける。 「家を継ぐって事?」 「何言ってるのよ、そんなのまだまだ先の話でしょ?  だいたい貴之君、まだ見習にもなれてないし」  母の言葉に律希から聞いていた話とだいぶ違うと思いながらも話をしやすいような言葉を促す。中途半端に知らされて小さな傷を重ねていくよりも、はっきりと告げられ大きな傷を負った方が引きずらないのかもしれない。 「母さんたちさぁ、そんな抽象的な言い方しても何が言いたいのか伝わらないよ?」  僕の言葉に2人は目を合わせ、ふふッと笑う。貴之の名前が出た時点で母はその話に乗ることに決めていたのだろう。 「幼馴染にだと照れ臭くて言えないのかしら?」 「男の子だしね」  少しずつ少しずつ律希の顔色が悪くなっていく気がする。きっと、何か予感しているのだろう。 「貴之君、このまま結婚しちゃうかもね?」  そして告げられる残酷な現実。 「…結婚って、貴之がですか?」  我ながら白々しいと思いながら質問して、表情を無くした律希の足をテーブルの下で軽く蹴る。ここで泣いてしまったら律希の母にまで全てバレてしまうだろう。 「そうなのよ。  何かね、毎日家に来てるって。  貴之君のお母さんに会うたびに自慢されるのよ」  母たちは律希の変化に気づくことなく話を続ける。 「あんた達は試験があるからって式にだけ出て帰ったけど、同窓会で再会しちゃったんだって」 「なんか、憧れよね。  まぁ、貴之君がイケメンだからなんだろうけど」  そう言って「自分の時は」なんて2人で盛り上がっているけれど、母の本意は何処にあるのだろう…。 「安珠ちゃん?」  無意識なのか、表情を変えずに律希が口を開く。同級生の中でも〈可愛い〉と評判だったその娘は貴之の〈初恋〉の相手。好きな子、気になる子の話になると貴之が必ず出していた名前。 「そうそう、そんな名前。  なんか、初恋の相手なの?  さすが幼馴染、聞いてるんじゃない」 「聞いてないけど…ずっと好きだったんだね、きっと」  律希の泣きそうな顔を見てもう一度足を蹴る。まだだ、まだ泣くのは早い。  母たちは2人での会話に夢中で律希の様子を気にすることもない。  律希は話すことなく食事を無理に口に押し込んでいる。 「車のシート、また動いてるんだろうな…」  貴之との関係を匂わせるような言葉に蹴る足に少しだけ力が入る。 「母さんたち、喋るのもいいけど食べなよ。僕たち、この後まだバイトに行くんだけど?」  バイトなんて入れてないけれど、律希をこの場から連れ出したくてそう言ってしまう。 「何でこんな日にバイト入れてるのよ」と不満そうな母だったけれど「僕たちが付き合って楽しいとこになんて行く気無いくせに」と言えば2人して苦笑いを見せる。 「こんな時じゃないと羽伸ばせないし、2人の元気な顔見れたから良いんだけどね」  これを言ったのは律希の母。  ランチと会話を楽しんだ母たちは「しっかり遊んでくるから」と僕たちに手を振り背中を見せたけれど、ホテルを出る前にそっと僕に近づき「健ちゃん、律希のことお願いね」と囁いたのは律希の母だった。 「えっ?」と声を上げると無言のまま唇に人差し指を当て話すなとジェスチャーで告げる。  僕の母と同じように、律希の母も何かしら気付いていたようだ。 「しっかり楽しんでくるからね」と何も知らないふりをした2人は僕たちに手を振り背中を見せる。  買い物に行くとか、観劇したいとか話していたけれど、本当は律希の様子が気になっているのを誤魔化したかったのだろう。  母たちだってあの街で暮らしているのだからその関係が続かない事は分かっていたはずだ。このタイミングで告げたのは傷が少しでも浅いうちに、という思いと就活を始める律希の選択肢を広げるため。  無理に地元に戻る必要はないと、遠回しにだけど、そう告げたかったのかもしれない。 「律希、大丈夫?」  母たちの後ろ姿を見ながら声をかける。 「大丈夫ではないかな?  バイト、入れてなくてよかった」 「だね。  とりあえず帰ろうか?」  言いながら母たちに背を向けて歩き出す。 「初恋の相手だって。  だから連絡も減ったし、帰ってこなくてもいいなんて言ったんだね」  歩きながら落とすようにポツリポツリと言葉を繋いでいく。 「同窓会、行けばよかったのかなぁ?    前の晩は2人で過ごしたのにね。  健ちゃんの言った通りだったね。  逃げ道、作っておいてよかった」  応じて欲しい訳ではない、自分の気持ちを整理するために発する言葉は僕に聞かせるというよりも、自分に言い聞かせるかのように告げられる言葉。  貴之を責めるでもなく、安珠に不満をぶつける訳でもなく、ただただ自分に言い聞かせるかのように繰り返される言葉。 「まだ半分なのにな…」  4年間だけ、そう願っていた律希の初恋は、こうして終わりを告げることになった。
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