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「…ごめん」
部屋に入りソファーに座る律希にそう謝った。
「僕がこっちに誘わなかったら…そうしたら同窓会にも出れたし、彼女とのことも阻止できたのかも」
今更どうにもならないと分かっていたけれど、それでも言わずにはいられなかった。律希のためにとった行動で律希を傷付け、貴之を苦しめたのだろう、きっと。
嘘をついて律希に会うことも、律希に会いにくることもできるはずなのに、それをしなかったのは貴之の誠意だと思いたい。
例えそれが間違った誠意だったとしても。
そう考えるとやっぱり僕のとった行動が元凶だったとしか思えない。
幼馴染の2人を傷付け、幼馴染の2人を引き離してしまったのだ。
「どうだろうね?
こっちに来てなかったら…もっと早く駄目になってたんじゃない?
適度に離れてたから大事にしてもらえたし、執着もされたけど…きっと近くにいたら当たり前になって、大切にされなくなって、向こうに残ったことを後悔してたんじゃないかな」
律希には律希の思う事があるのだろう。
「貴之には貴之を支えるために資格を取りたいって言ったけど…本当は向こうに戻る気なんてなかったんだ」
律希の言葉に無言で頷く。律希の選んだ会社を見ても帰る気がないことは分かっていたし、そもそも〈4年〉と言ったのは律希だ。
「向こうに戻ったところであの会社でボクが生かせることなんて何もないし、貴之とボクが付き合い続ける未来なんて無かったんだよ。
そもそも、あの家が同性と付き合うことを許すわけがないし」
律希が学生の間だけの、貴之が律希に飽きるまでの期間限定の付き合いだなんて、そんなことは初めから覚悟していたのだろう。
律希にとって〈初恋〉はそれ程までに大切なものだったのだ。
「貴之が怪我しなければこんな関係、あり得なかったんだ。
だから、少しだけでも願いが叶ったんだからこれで良いんだよ、きっと。
できればボクが学生の間だけでも貴之のこと独占できたらって思ったけど…初恋には叶わないよね」
部屋に戻り感情のタガが外れてしまったのか、ポロポロと涙を流しながら律希が無理に笑って見せる。
「ちゃんと話してくれたらおめでとうって言えたのに…」
きっと、貴之との関係をどこかで諦めていたのだろう。
その時が来たら笑って別れようと思っていたのかもしれない。
「律希はバカだから」
自分のしてきたことを棚に上げてそう言いながら律希にティッシュを渡す。
いつかの逆だ。
「我慢することないし、怒っても良いんだよ?
今すぐ電話して、怒って、泣いて、貴之が傷つく言葉言っても僕は止めないよ?」
貴之のことを心配したこともあったけど、律希は僕にとってやっぱり特別な存在らしい。律希が諦めていたと知ってもやっぱり律希の幸せを願ってしまう。
そして、せっかく手に入れたはずの律希を裏切った貴之を責めたくなってしまう。
それなのに律希は僕の言葉がおかしいと、僕の言葉が嬉しいと笑って見せる。
「いつかはこうなるって思ってたし。
相手が安珠ちゃんだとは思ってなかったけどね」
初恋に敗れた律希と初恋を成就させた貴之。
貴之は律希がどこかで諦めていたことに気づいていたのだろうか?
「貴之に連絡はしないの?」
「したところで何話せばいいの?」
「だよね…」
律希はきっと貴之の事をブロックをする事もないし、着信拒否をするつもりもないのだろう。そして、自分からメッセージを送る事も、電話をする事もないだろう。
もしかしたらメッセージを返す事も、電話を取る事もないのかもしれない。
不自然なほどに貴之の名前を出さないまま過ごす毎日は思いのほか快適で、知らず知らずのうちに貴之の存在が重荷になっていたことに気付く。
別れる事が前提の関係は不自然だと感じながらも見て見ぬ振りをしていたせいで、知らず知らずのうちに気を使い過ぎていたのかもしれない。
春休みの間もそれぞれにバイトに入り、新学年になればそれぞれの学部での授業が始まる。
貴之と予定を合わせる必要の無くなった律希だけど淋しさを埋めるためだけではなく何か不安な事があると「健ちゃん、今日は一緒に寝ない?」と言って僕を誘う。
それは、学部での人間関係だったり、就活についてだったり、将来への不安だったり。僕自身も悩みがない訳ではないため律希の話を聞きながら、自分の悩みを見つめ直すための大切な時間になっている。
「そういえば前に言った声かけてくるヤツのこと、覚えてる?」
「最初にごちゃごちゃ言ってきた相手のことを?」
貴之の存在を持ち出し、律希の動揺を誘った相手を表すのに〈貴之〉と口に出す事を躊躇ってそんな聞き方をする。律希の傷はまだ癒えてなんかいないはずだから。
「そう、それ」
「それって、物じゃないんだから。
その人がどうかした?」
「なんか、最近大人しいんだよね。
声かけられると面倒だけど、毎日毎日話しかけられてたからそれがないとなんか変な感じ」
そう言って笑ったのはGW前の事。
あれから貴之からの連絡が有ったのか無かったのか、律希が口にしたことはないけれど、僕のところには貴之からの連絡は来ていない。
「ねぇ、律希と同居してるのってアンタだよね?」
そんな風に声をかけられたのは梅雨に入る頃。その日は今にも雨が降りそうな嫌な天気だった。
律希の名前を出すのだから誰かと勘違いしているわけではないようだけど、見覚えのある顔ではない。
背の高さは僕とあまり変わらないし、体型もよく似ている。明るい髪色と流行りの太いフレームの眼鏡のせいか、軽薄に見える。
「そうだけど?」
訝しげな顔をしてしまったのだろう、バツの悪そうな顔を向けられてしまう。
「あ、ごめん。
オレは経済学部で律希と同じ講義を取ってる佐崎です。佐崎祐樹」
「はぁ…」
知らない顔と知らない名前にどう答えて良いのか分からず気の抜けた返事を返すことしかできない。一方的に名乗られても僕が名乗る必要は無いはずだ。
「律希からオレの名前は…聞いたことなさそうですね」
そう言って凹んだ顔を見せる。
佐崎にしても、祐樹にしても、律希の口から聞いた覚えはない。と言うか、律希は友人との話はしても具体的な名前を出すことはない。共通の知り合い、例えばバイト仲間の話題は名前を出して話すけれど、同じように僕も大学で新しくできた友人の名前を出して話すことはない。
「それで、佐崎君は僕に何か用があるのかな?」
名前を知ってる、知らないで話を広げるつもりはないから先を促す。雨が降ってきそうな天気が鬱陶しいのに勿体ぶって話されたら鬱陶しさ倍増だ。
「ここだと話しにくいから…」
校舎の出入り口に近いこの場所は確かに人の出入りがあるけれど、人に聞かれたくないような話で律希に関係のある話だとすると気が重くなる。以前流れた噂、〈経済学部のお姫様〉に関する話だとしたらここで話すのは賢い選択ではない。
「どこか外のベンチにでも?」
そう言って外に向かって歩き出す。僕のことを偶然見つけたのか、それとも探していたのか。どちらでも良いけれど、律希と同じ学部ならこちらの校舎にはあまり馴染みがないだろう。
「雨、大丈夫かな」
そんな風に言って着いてくる佐崎だけど、雨が降れば話を強制的に終わらせて帰ることができるだろうと思っての選択だ。
「じゃあ、雨が降る前に終わらせたらいいんじゃない?」
「だね」
「なら早速、律希の何を知りたいの?」
空いているベンチを見つけて座ると佐崎が口を開く前に聞いてみる。どんな内容の話になるのか分からないけれど、イニシアチブを取っておけば話が進めやすいはずだ。
「春休みに律希に何があった?」
「何がって?」
「それが分からないから聞いてる」
同級生の気やすさなのか、律希という共通の相手を介しているせいか、初対面だというのに砕けた口調を面白く感じてしまう。初対面の相手には構えた接し方をされることが多いため、佐崎の距離感は新鮮だ。
「テストの後くらいからちょっと気になってたけど、最近暗くない?」
「まぁ、そうかもね」
「何があった?」
「それは律希に聞くべきなんじゃない?」
「…それが出来ればそうしてる」
そう言ってため息を吐いた佐崎に少しだけ違和感を覚える。律希のことを知っていて、同居人の俺を知っていて、わざわざ僕に声をかけにくるくらいの仲なのに「何があった?」の一言が言えない関係。
同じ講義を取っていると言われて安易に友人だと判断してしまったことを後悔する。
「律希とは友達なんじゃないの?」
遠回しに聞いたところで話が長引くだけだと思い単刀直入に聞いてみる。佐崎の返答次第で返す言葉も違ってくるだろう。
「友達は友達だけど、元友達?
それも君と律希みたいな友達じゃなくて、まぁ、そういう事だよ」
友達だけど友達じゃない元友達。
「もしかして律希がお姫様とか言われてた時の友達?」
その言葉に無言で頷く。
律希の淋しさを感じとったのかもしれないけれど、それなら律希に直接声をかければいいのにと腹立たしさを感じる。外堀を埋めるなんて遠回しなことをするような奴に律希のことを教える気はない。
「ごめん、律希との関係はわかったけど、僕に話せることはないかな」
巻き込まれるのはごめんだ。
だけど僕が何を考えたのかなんとなく悟ったのだろう、佐崎は僕を引き止めるために話を続ける。
「俺は律希の事を傷付けたから気になっても話しかけられないんだよ。
もともと俺が変なこと言わなければ律希が〈お姫様〉なんて呼ばれることもなかったはずだし。
だけど元気がない律希見ると心配で。
だから幼馴染がこっちの学部にいるって聞いてたから探したんだ」
その口調で佐崎がことの発端、貴之のことを持ち出して律希を惑わせた張本人だと気付く。外見の割に中身は真面目そうだなんて思ったけれど、ただのクズのようだ。
「…その話は律希から聞いてるよ。
余計なことを言ったのは律希が好きだったから、とか言いたそうだけどやったことはただの間男だからね」
2人の別れが佐崎のせいだとは言わないけれど律希を惑わせたのは事実だし、どちらが悪いとは言えない関係だったけれど今の律希につけ込むようなことはされたくない。
「それは、」
「もういいかな?
律希のことが気になるなら直接聞けば」
「…俺が声かけたら流されるんじゃないの?」
その場を去ろうと立ち上がったのにその言葉で動けなくなる。
「律希、地元の彼と別れたんじゃないのか?もしそうだったら…優しい言葉をかければつけ込むことができる」
そう言って心配だと優しい言葉をかけたいけれど、それで流されたら律希が後悔するだろうと続ける。
律希の変化に気付き、その淋しさにつけ込もうとするような相手がいないわけじゃないけれど、自分が気をつけろと声をかけたところで警戒されるだけだろうし、お前も同じだと言われるだろうと困ったように笑う。
「健ちゃんって、あんただろ?
律希の1番信頼してる健ちゃんから言われたら気をつけるだろうし」
「…健ちゃんって、友達じゃないんだから」
「じゃあ、健さん?
だって、名前聞いてないし」
「健琥さんとか、健琥君にしてくれる?
健ちゃんとか健さんとか、仲良しみたいで嫌だ」
「じゃあ俺のことは」
「佐崎君、まだ律希のこと好きなんだ?」
訳のわからないことを言われる前に言葉を遮る。名前の一部が知られているのなら仕方ないけれど、フルネームを教えるつもりはない。だから佐崎の言葉を遮って話を続ける。
律希が僕のことを〈健ちゃん〉と呼んで名前を出すくらいには親しかったのだろう。だから、佐崎の気持ちを聞いてみる気になったんだ。
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