epilogue

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epilogue

「健琥?」  そう声をかけられて振り返る。  この町で僕のことを健琥と呼び捨てにするのは親兄弟と貴之だけだ。  振り向いた先には…推定貴之。  最後に会ったのは結婚式のあの日だったけれど、あれから10年近く経ち、だいぶ貫禄が出たように見える。 「貴之、だよね」  きっと僕は苦笑いを浮かべているだろう。背が高く、いかにもスポーツマンという感じだった貴之はあの頃は牡鹿といった感じだったけれど、今はさながら森の熊さんといったところだろう。  腕には小さな子どもを抱いている。 「何人目?」  自分の外見が随分変わったと自覚しているのだろう、貴之も苦笑いを浮かべると「3人目」と答える。 「仕事始めて、20歳になって、仕事関係の飲み会とか、町内の飲み会とか。  あと青年会に入って飲みに行くようになったらすぐに体型変わっちゃってさ」  そんな風に言い訳をするけれど、1番の理由は怪我をしたことで運動をやめてしまったためだろう。怪我をしたことと、その後にあった律希との短くて濃い時間が貴之を運動から遠ざける原因にもなったはずだ。 「健琥は変わらないね。  今日は?」  そう言って僕の隣に立つパートナーに視線を向け、頭を下げる。 「一応、結婚の挨拶。  もう何度も会ってるから今更とも思うけど、ケジメだからってうるさいから」  そんな風にボヤくと隣に立つパートナーから「一応とか、言わないの」と苦言を呈されてしまった。 「紹介するよ、僕のパートナーの真那さん。こっちは幼馴染の貴之」 「はじめまして」  そう言い合って頭を下げる幼馴染とパートナー、そして僕のことをじっと見ている貴之の子ども。 「式は?」 「海外でやるから両親だけ」  そう答えるとホッとしたような、淋しそうな顔を見せる。本来ならば式に呼んでもらった相手は自分の式にも呼ぶものだけど、海外に友人を呼ぶのはなかなか難しい。若干1名、2名、出席すると張り切っているけれど…。  そんな友人に自分達の式の後にサプライズを贈る事ができないかと検討中なのは、僕たちだけの秘密だ。 「律希は元気?」  今まさに思い出していた相手の名前を出されて真那の表情が緩む。 「そっか、律ちゃんも幼馴染だもんね」  律希の事を自分の弟のように可愛がる真那にとって、その名前を聞くだけで嬉しくなる存在なのだろう。  正直、妬ける。 「元気だよ。  律希こそもう、こっちに帰ってくる気はないみたいだけどね。おばさんもしょっちゅう遊びに来てるし」 「そうなんだ…」  貴之の声が沈むけれど、気づかないふりをしておく。 「健琥も律希も結局、同窓会に来る事ないもんな」 「そうだね。  そもそも盆正月にも帰らないのに同窓会だからって、なかなかね」  批判めいた言葉にも気づかないふりのまま言葉を続ける。 「今日も顔合わせがてら向こうで集まればいいっていうのに、真那さんが来たいって言うからだし」 「だって、結婚のご挨拶、うちには来てくれたのに私が行かないっておかしくない?」 「うちの親はもうとっくに受け入れてるし、それなら遊びに行くからその時でもって笑ってたよ?」 「健琥君の育ったとこ、見ておきたかったんだから良いのよ、これで」  僕たちの間に何があったのかを知っている真那はそう言って、暗に僕も帰る気はなかったと告げる。律希を可愛がっている彼女だから貴之に対して面白くない感情もあるはずだ。 「律希は結婚は?」 「どうだろうね。  でもいつも楽しそうだし、形には拘らないんじゃない?」  祐樹と共にサプライズを考えているのだけど、それを貴之に教える必要はない。 「律ちゃん、いつ会っても幸せそうだもんね」  貴之の表情を見ていてそんな風に微笑む真那も案外タチが悪い。さすが僕のパートナーだけのことはある、と笑えてしまう。 「貴之も幸せそうで良かった」  幸せでなければ3人目なんて産まれないはずだ。  昔のような関係に戻ることはできないけれど、それでも幸せな様子を見ると安心させられる。僕との、僕たちとの関係は途絶えてしまうけれど、貴之は貴之でこの街での自分の位置を確立していくのだろう。 「それじゃ」 〈またね〉なんて確約できない言葉は言わずに世話向ける。 「またな」  再会を願う貴之の言葉にはあえて返事を返すことはしない。  顔を合わせれば会話くらいするけれど、再会して「食事でも」と言い合える関係に戻るのは難しいだろう。  律希との同居を解消し、それでも程よい距離に部屋を借りた僕は就職した先で偶然にも〈初恋のあの娘〉と再会した。  なんて都合のいい事がある訳もなく、目標にしていた会社に就職して充実した毎日を過ごしていた。  律希のいない生活は淋しいのかも、なんて心配したものの1人の生活は思いの外快適で、時折入る律希や祐樹からの《助けて》のメッセージに苦笑いをしながら返信をする余裕もあった。  彼女も、もちろん彼氏もいない僕を〈紹介〉と言う名目で連れ出す同僚には何度か食事会という名の合コンに連れ出されたりもしたけれど、なかなかご縁には恵まれなかった。  そんな中で出会ったのが真那だ。  僕が入社した当時は別の会社に出向していたため直接の関わりはなかったものの、帰任した時に挨拶されたのが初めての出会い。  5つほど年上の真那は見るからに〈出来る〉雰囲気を醸し出しているのに、確かに仕事はできるのに、見ていて危うい事が多く、それをフォローしているうちに自然と距離が縮まっていった。  コピー機をすぐ壊すとか、シュレッダーをすぐ詰まらせるとか、コーヒーが上手に淹れられないとか、ずっと律希のフォローをしてきた僕にとってはその都度手を貸すのはなんでもない事だったのだけれど、出向先で常に気を張っていた真那にしてみれば〈癒し〉だったらしい。 「健琥君、このままずっと私のことを癒してください」  仕事は出来るのに何処か抜けてる先輩の申し出を断る理由なんて、何処にも無かった。  付き合いを続ける中で自然と律希の話になり、当然だけど律希と祐樹の事を紹介する。  もしも律希に対してネガティブな印象を持つようなら迷わず別れようと思っていたものの、律希と意気投合した真那は「健琥君がお兄ちゃんなら私はお姉ちゃんね」と笑顔を見せる。 「そうなると祐樹君は義理の弟?」 「そこは俺も弟で良くないですか?」  と笑ったのは祐樹。 「でも小姑したいからやっぱり祐樹君は義理の弟で」  そんな風に始まった関係はそれぞれの親にも受け入れられ、幸せの輪が広がっていく。  律希と祐樹の交際も順調で、律希の家族はもちろん、祐樹の家族も「薄々は知ってたけどね」と2人のことを受け入れてくれたそうだ。ただし、どちらの地元にも帰る気は無いと笑う。聞けば祐樹の地元も僕たちが育ったあの街と似たようなものらしい。  テレビやネットの世界では様々な形のカップルが認められるようになってきたと言うけれど、それはきっと他人事だから。  実際に近い知り合いがマイノリティだった時に認めないわけではないけれど、対応に困ってしまうのは仕方がない事なのかもしれない。 「貴之君、少し淋しそうだったね」  挨拶をしたあの日、帰りの道中に真那がポツリと言ったけれどそれは仕方のないこと。 「貴之は貴之できっと幸せにしてるから大丈夫だよ。  子どもが小学生になったらPTAとか張り切りそうじゃない?  あそこはおじさんもおばさんも、PTAの常連だったし」 「あぁ、でもわかるような気がする」 「帰った時にあんな風に話ができるようになっただけでも良かったと思ってるよ、僕は」  お互いに無視する関係にならなくて良かったと言った僕に、真那は「そっか、そうだね」と小さく肯定してくれた。  結婚の挨拶を無事に終え、海外での挙式を計画している僕たちは本当にお互いの両親のみを招待するつもりだったのに、それぞれの兄弟姉妹が「旅行がてら実費で参加する」と言い出したり、律希と祐樹が「こんな機会がないとなかなか行けないし」と言い出して、少しずつ参加人数が増えたのは幸せな笑い話。 「別に健ちゃんのお式が見たい訳じゃなくて、旅行のついでに覗きに行くだけだからね」  そう言った律希を可愛くて仕方がないといった顔で見ている真那は、本気で律希の事を弟だと思っているのかもしれない。 そして、「結婚式、良いなぁ」と律希が呟やいたのを聞き逃さなかった真那は「祐樹君、サプライズはお好き?」と祐樹にサプライズを持ちかける。  「でも2人の結婚式なのに、そんなの申し訳ないです」と固辞した祐樹だけど、律希が可愛くて仕方ない真那に「律ちゃんの笑顔を見たい私たちのためだから」と説き伏せられ、僕たちの式の後で律希と祐樹も誓いの言葉を宣言することになる。 「健ちゃん、真那ちゃん、ありがとう」  初恋の相手であり、弟でもある律希の言葉は僕も、僕のパートナーである真那も、そして律希のパートナーの祐樹も幸せにしてくれる。  そして涙ぐみながら幸せそうな笑顔を浮かべ、パートナーと向き合う。 「祐樹も、ありがとう」  それぞれの初恋は、それぞれの胸の中で想い出となって、いつかは忘れられるのだろう。  それはきっと、毎日が満たされ、新しい思い出に埋もれていくから。  これからも僕たちはそれぞれの幸せを積み重ねていく。 fin.
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