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《今日はありがとう》  帰宅後、貴之から届いたメッセージ。  ペコリと頭を下げるスタンプが可愛いけれど、遡ると同じスタンプが出てくる。中学の頃から使い続けているのかと思わず笑ってしまう。 〈ゆっくりできなくてごめん〉 《健琥、超怖ぇ》 〈だって受験生だもん〉 《でも遊びたい》  よほど暇なのかすぐに返信があるため続いていくメッセージ。 《暇な日とか無いの?》 〈基本、毎日勉強〉 《健琥と?》 〈塾のある日はね〉  そう返して少しだけ返信の言葉を期待する。自分から言い出す事はできないけれど誘導されてしまえば…。  狡いボクの考え。 《塾って、毎日?》 〈毎日じゃ無いけど塾がない日は自習〉 《健琥も一緒?》 〈一緒だったり一緒じゃなかったり〉  欲しい答えをもらうためのボクのメッセージ。 《じゃあさ、健琥いない時遊びに来てよ》    これがボクが堕ちた瞬間。  貴之の部屋に行ってしまった時から逃げられない事はわかっていたんだ。 〈え~、勉強しないと落ちたら困る〉 《たまには息抜きも必要だって》 〈貴之、自分が暇なだけじゃん〉  今ならまだ間に合う、そう思いながらも気持ちは抑える事はできないし、気持ちを抑えたくない。本当はすぐにOKと答えたいのに健琥の顔がチラつく。 《そうだよ。  だから律希が来てくれたら嬉しい》 〈じゃあ、健ちゃんも一緒に行ける日なら〉 《健琥、説教しそうじゃん?  怪我した俺のこと、慰めてよ》  そんな風に言われてしまったボクは、とうとう流されてしまう。 〈仕方ないなぁ。  たまにしか行けないよ?〉  そう返した途端かかってきた電話。 『いつ来る?  明日?明後日??』 「貴之、どれだけ暇なの?」 『だってさ、動けないし』 「普通に生活できるって、」 『今まで常に身体動かしてたから部屋で独りでいると辛い…』  吐かれた弱音に言葉に詰まる。  今まで当たり前だった事ができなくなる生活をボクは知らないけれど、貴之にとってそれは、ボクが想像している以上に辛い事なのかもしれない。 「それ、健ちゃんに言えば部屋でできる筋トレ教えてくれるよ?」 『それくらい自分でできるし…』  健琥の名前を出すと少しだけ不機嫌になるのは気のせいなのだろうか? 「じゃあ、塾の予定見てまたメッセージするよ」 『明日も塾なの?』 「今日会ったばっかだし」 『健琥とは塾で会うんだから塾のない時くらい俺と遊んでくれても良くない?』  貴之の言葉に期待してしまうボクがいた。貴之のヤキモチとボクのヤキモチは種類が違うのはわかってる。貴之のヤキモチは3人でいつも一緒だったボクたちが2対1になってしまった事による幼い独占欲によるものであって、ボクの感じるような恋愛的なヤキモチじゃない。  あの時、健琥が〈彼女〉という言葉を出した時に苦しくて仕方がなかった。可能性は考えてなかったわけじゃないけれど、あの時に〈彼女〉の存在を匂わされていたら泣いてしまったかもしれない。そして、そんな気持ちを知っているからこそ健琥はボクに忠告したのだ。  いつも近くでボクを見ていたから気持ちを、想いを1番理解してくれている健琥の忠告は正しい。中途半端に貴之に近付けば辛くなるのはボクなんだとわかっていても、それでもボクに弱音を吐いた貴之を放っておけなかったんだ。 「明日、時間作って顔出すよ」 『…ありがとう』  さっきまでの調子だと手放しで喜ぶか、本当かと疑うかどちらかだと思ったのに嬉しそうに、それでも安心したように告げられた〈ありがとう〉に胸が高まる。  別に、悪いことをするわけじゃない。怪我をして落ち込む幼馴染の話し相手になるだけだ。勉強の時間は多少削られるけど、それ以上に大切な時間の過ごし方だって有るはずだ。  だけど、後ろめたい気持ちのあるボクはその時間の存在を健琥に隠して貴之の部屋に通う回数を増やしていく。 『課題、俺の部屋でやれば毎日会えるんじゃない?』  そんな風に言われたのは新学期が始まって少ししてから。春休み中に時間を見つけては顔を出し、行けない日にはメッセージや電話で連絡を取る毎日を繰り返したせいで、会えない日には電話で話すのが日常となっていた。  学校の友達には落ち込んでいる姿は見せたくないのかもしれない。  そんな風に過ごしているせいで貴之はボクに甘え、ボクはそんな貴之の態度に期待してしまった。  そして、言われた貴之の言葉。  学校が始まったせいで塾のある日は当然顔を出す事はできないし、塾がなければ自習に充てるためやる事はたくさんあるのだけど、そんな風に言われてしまうと心が動いてしまう。 「毎日は無理だよ。  塾もあるし、健ちゃんとの約束もあるし」  何も考えずに健琥の名前を出すと電話越しでも貴之の機嫌が一気に悪くなったのが伝わってきた。 『健ちゃん、健ちゃんって、仲良いよね』 「…だって、勉強見てもらってるし」 『付き合ってるの?』 「何でそうなるの?」 『だって、律希の口から出てくる名前、健琥の名前ばっかだし』  そう言って黙り込んでしまう。  貴之と共通の話題をと思って話すとどうしても健琥の話になってしまうのは仕方のない事だろう。だけど、貴之の言葉はそんなことを求めていないと告げている。  期待するな。  警鐘を鳴らす声が聞こえるけれど、期待する気持ちを抑える事はできない。駄目だと思いながらも期待してしまう。健琥から言われた言葉を思い出すのを無意識に拒否してしまう。 『電話してる間は俺のことだけ考えて』  自分の都合のいいように解釈してしまいたくなる。 「なにそれ、ヤキモチ?」 『悪いか?』  深入りしてはいけないと茶化したボクに返ってきたのは真剣な声だった。 「健ちゃんにヤキモチ妬くとか、」 『だから健琥の話するなって』  誤解したくないと、期待したくないと思っていたのに貴之がそれを許そうとする。 『俺、律希に毎日会いたい。  健琥よりもたくさん会いたいし、健琥よりも律希のこと知りたい』 「何言ってるの?」 『久しぶりに会ってから、ずっと思ってた。律希の隣にいたいって…』  そう言って沈黙が続く。 「何それ、告白みたい」  その沈黙が怖くてなるべく冗談みたいに聞こえるように言ったけれど、声が震えないように、声が上擦らないように注意を払う。黒髪のあの娘が好きだと言った貴之だから、ボクと同じ意味で〈好き〉だなんてあり得ないから。 『告白だよって言ったら…困らせるよな』  貴之の絞り出すような声に流されそうになるけれど、そのタイミングで健琥からのメッセージが入りなんとか思いとどまる事ができた。 「貴之さぁ、ボクに甘え過ぎて勘違いしちゃってるんじゃない?少し冷静になったほうが良いよ?  とりあえず、行けそうな日見つけてまた連絡するから。  ごめん、今日は課題しないとだから切るね」 『律希っ』  貴之の咎めるような声が聞こえたけれど、聞こえなかったふりをして「じゃあね」と電話を切る。健琥のメッセージが無ければ流されてしまっていたかもしれない。 《明日、前に見てたテキスト持ってこれる?》  何でもない内容なのに、何か気付いているのかと勘繰りたくなるタイミングで来たメッセージ。 〈わかった。  今から鞄に入れておく〉  そんな風に返している間にも送られてくる貴之からのメッセージ。 《律希、ごめん》 《焦りすぎた》 《毎日会ってたから淋しくて》 《待ってるから》 《宿題の邪魔だよな》 《ごめん》 《会いたい》  素直にメッセージを送ってくる貴之が羨ましくて、疎ましかった。  ボクが我慢してきた何年間かを軽く飛び越えようとしてくる貴之が怖かった。  それでもボクを想い、ボクを求める貴之の事が愛おしかった。  忘れようと蓋をした思いが零れ落ちそうになる。開かないように蓋をして、鍵をかけたはずなのにその鍵を貴之がこじ開けようとしている。 〈予定がはっきりしたら連絡する〉  そのメッセージに対する返信は、ペコリと頭を下げるあのスタンプだった。  それからも波風が立つことなく日常は続いていく。  変わったのは部屋にいる時間に入っていたメッセージが不定期に入るようになったこと。 《おはよう、今起きた》 《体育、見学するのだりぃ》 《昼メシ、足りねぇ》 《午後の授業、寝みぃ》 《部活無いとヒマ》 《帰ってもやる事ねぇ》 《宿題、やりたくねぇ》 《おやすみ、もう寝る》  そんなメッセージがランダムに1日数回入る。それに対して無難な言葉を返すけれど、毎日入るメッセージの意味を理解しているボクは根負けして木曜の夜に〈明日、塾の帰りに寄るから〉と送ってしまった。  明日ならば翌日は土曜日だ。金曜日の夜に少しサボっても土日で取り戻す事ができるだろう。  すぐに返信が来ると思って送ったメッセージだったけど、その予想に反して返信が来ることはなく自分のメッセージが何か悪かったのかと不安になる。焦らしていたつもりはないけれど、貴之を不快にさせていたのかもしれない。  こんなことならいつもみたいに無難に返しておけばよかったと思い始めた頃に聞こえた通知音。貴之からだと思い急いで開いたメッセージは健琥からのもので、明日の予定の確認だったため短く〈わかった〉とだけ送っておく。健琥とのメッセージはこんなやりとりばかりだ。  欲しいメッセージが届かないため仕方なくテキストを取り出す。いつもならすぐに返信のある時間。メッセージを交わし《おやすみ》の言葉で閉め、貴之はベッドに入り、ボクは今日の復習をするための時間。貴之のメッセージがボクのやる気につながっていたのかと思うほど、今日は効率が悪い。 「なんだよ、せっかく頑張って送ったのに…」  不満を口にしてしまう。  その日はやるべきことを済ませてさっさとベッドに入る。やる気のない時に無理に時間をかけても効率は上がらない。明日、貴之に会えないのならその分自習に費やせば良い。  そんなことを考えてふて寝したせいか、真夜中に届いたメッセージにボクが気づくことはなかった。 《ごめん、寝てた》 《明日楽しみにしてる》 《おやすみ》 《おはよう、今日待ってるから》  朝早くに起こされたメッセージはボクの気持ちを上向かせる。 〈じゃあ、また夜に〉  返ってきたのはあの可愛いスタンプだった。  
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