62人が本棚に入れています
本棚に追加
2-12 メルロッテ
「シルビ〜、今日も可愛いのねぇ。」
メルロッテがダークレッドの髪を揺らしながら、ニアの赤子・シルビーに頬擦りをしている。
ドラバルーラの宮殿にある女官の仕事場兼、住まい。
女性用ダールと呼ばれる一室に、メルロッテはニア達を訪ね毎日やって来くるのだ。
「メルロッテったら、貴女は奴隷棟に来ていても大丈夫なの?」
エナリーナは薬草を煎じながら、メルロッテの話相手をしている。
ハーレムに入ってから特に仕事が無いニアは、エナリーナが薬草を調合する様子を、シルビーを育てながら眺める日々。
気が付けば、入宮から一週間が経っていた。
「いいのよ〜。正室様の近くでウロチョロしていたら、睨まれるだけだもの〜。こんな事なら、さっさと処女なんて散らしておけば良かったのかなあ〜。」
メルロッテは緑の瞳を揺らしてエナリーナに答えると、ニアとエナリーナが着る女官の御仕着せに視線を投げる。
メルロッテはニア達よりも鮮やかな色使いの衣装を纏い、一目でニア達とは待遇が違う事が分かる。
パレスのハーレムでは『女官』と言われるが、所謂『女奴隷』としての身分が此のドラバルーラでのニアの身分だ。
紺碧の巨大オアシスを取り巻く様に形成する『砂漠の宝石ドラバルーラ』。
其の王族後宮であるハーレムに、ダフネが率いる娼婦のキャラバンから、仲買人に引き渡され入宮したニアとエナリーナ。
そして、リュリアール皇国では男爵令嬢だったという、一つ年下の娘メルロッテ。
ニアは、自分の子供を無条件に可愛いがるメルロッテの頭に手を伸ばすと、まるで大きな子供をあやす様に、ポンポンとメルロッテの軽く叩いた。
(私が言うのでは、説得力が無いけれど。)
ニア自身、エリザベーラ時代から曖昧な閨教育しか受けていなかったのもあるが、男女の情事が子供を産む事だと、肝に銘じていた訳では無かったといのが正直な気持ち。
(確かに子を成して一人前の夫人と言われる様な此の時代でも、早く行為をしたいだけで、ジョシューと逢瀬を重ねたのじゃ無いもの。)
とわいえタニアとしての夏至祭の一夜が、どんな気持ちだったのかは未だ分からない。
其れでも、ニアはメルロッテに伝える。
「メルロッテ自身が思う相手に出会わなかったのだから、無理しなくて良かったのだと思う。」
メルロッテが形の良い唇を尖らせた。
横から見ても、メルロッテの顔はチャーミングで、ニアとよく似た垂れた瞳が魅力的だ。
「あ〜、でもシルビーが可愛い過ぎる〜。」
メルロッテが溺愛する桃色の髪を持つ赤子が、メルロッテの顔に涎を付けたのが見えて、ニアは慌ててメルロッテの顔を化粧が取れない様に拭いた。
エナリーナが『シルビー』と付けたニアの赤子は、此の一週間ですっかりハーレムの人気者と成っている。
名前の由来は『豊かなる森』だと、砂漠の中に広がるドラバルーラの姿を見ながら、キャラバンに向かう仲買人を待つ間、エナリーナはニアに告げた。
そんなエナリーナの言葉に、今もニアは意外な気がしている。
(てっきり、エリオットに因んだ名前を付けると思っていたけれど、森なんて、、意外だった。)
しかも貴族らしい名前でも無い。
其れに関しては全く抵抗が無いニアだが、エナリーナが命名した名前には、今のエナリーナの気持ちを感じるのだ。
入宮前夜。
二人だけの『禊』もあって、未だにニアはエナリーナに、ランダとの馴れ初めさえ聞けていないのだが、、
(婚約解消をしたのか、エナリーナが拉致されたのか。)
ハーレムの女達に毎日渡す薬を作り続けるエナリーナは、メルロッテとの遣り取りの間でも手を止める事は無い。
「こんなに可愛いんだよ〜。赤ちゃん欲しいかも〜。」
言いながらもメルロッテは、豊満な薄褐色の胸にシルビーを抱き込んで、ニアが自分の顔を拭いてくれた礼を言う。
「なら、メルロッテが『幸運なる者』に成ればいいじゃ無いの?王様の子供よ?」
ドラバルーラの中央には巨大なオアシスが在り、オアシスの半分を覆うが如く石造りの宮殿が建てられている。
ダフネが率いる娼婦のキャラバンのテントから宮殿へと、別の商人の手でニア達は連れて来られた。
ドラバルーラの王族が住まう宮殿は『カーリフ・パレス』と呼ばれ、パレスの裏口から女官候補は入れられ、検分を受ける。
「メルロッテ夫人。もしかすれば首席に成るかもしれない。」
「やめてよぉ、ニーアもエナリーナも。ただ乙女だっただけの幸運だよ〜。」
白い女官服は、きっちりと肌を隠した作りで、ハーレムでは既婚もしくは処女喪失の者を表す。
入宮検分の一つに、ユニコーンが処女を嗅ぎ分ける儀式があり、メルロッテは其の場で処女だと判明した為、ニアとエナリーナと違う衣装をメルロッテは着せられている。
(山の人のナタユに連れて来られのに、処女だったのは意外だったのよね。ランダとエナリーナの関係が、特別珍しい訳では無さそうだし。)
メルロッテはシルビーをニアの手を渡すと、ダールの装飾窓に腰を上げて座った。
カーリフ・パレスは石造りの砂漠建築で、薄褐色肌に、ダークレッドの髪をしたメルロッテの姿は、一際映える。
ハーレムに連れて来られた女達と共に、宮殿の広場で鋭利な一角を持つユニコーンに、ニアやエナリーナは激しく威嚇をされた。
まるで射殺さんばかりの勢いで、美しき幻獣に歯を剥かれるのだ。
(其の中の数人には、大人しく膝に頭を擦り付けたのよね、ユニコーンは。)
ニアは赤子がいる故に、威嚇されるのは当たり前で、問題は無い。
ドラバルーラのハーレムで働く女官は基本女奴隷であるが、処女だと王族の『お手付き』の可能性が出てくる。
(マラフィナの時にも、似た様な処女検分はあったから。)
かつての前世とは違う方法での検分だったが、何せよメルロッテに擦り寄るユニコーンの姿には、ニアもエナリーナも驚いた。
メルロッテは女官では無く、『幸福なる者』成る乙女として、正妃の侍女に成ったのだ。
王の後継者は多いに越した事が無いと言う、考え方の現れは、マラフィナ時代と同様だった。
例え奴隷の子であっても。
「あたしは、逆にエナリーナが羨ましいよ〜。あんなにランダに愛されててぇ。」
何の悪気も無く言うメルロッテの言葉に、エナリーナは敢えて答える事をしないままに、遠慮気味に微笑んだ。
どうやらランダの独占欲の強さは、他の山の人の間でも話に挙がる程らしい。
其れともメルロッテをドラバルーラに連れて来た、ランダの相棒であるナタユから話を聞いているのだろうかと、ニアはエナリーナを見た。
エナリーナに会いにキャラバンへ来る時には、必ずランダはナタユという男も連れ立って来る仲なのだ。
余程信頼しているのか、親友なのか。
(イグザムとザネリの間柄と似ているかもしれない。)
「あら?確かナタユはリュリアールじゃ無くて、ドラバルーラの出身だって聞いた気がするわ。」
「そんな話じゃ無くて、って。え、ナタユはドラバルーラ人?」
「ええ。ドラバルーラから捨てられたって、、ランダが言ってたわ。」
「だからなんだぁ、あの人、一晩中踊らせるんだよねぇ。いくら踊り巫女の末裔っていってもねぇ限界があるよ〜。でも、リュリアールの男じゃ無いって言うなら納得〜。」
リュリアール皇国は割と移民にも寛大に国を開いている。
メルロッテは『踊り巫女の末裔』と呼ばれる一族が母が実母だと語っていた。
「ドラバルーラの人って男でも、本当っ踊りとか歌が好きだよねぇ。あたしの部屋の近くでも夜になると、男の謳うが聞こえるんだよぉ。」
メルロッテの母から考えれば、彼女自身が薄めの褐色肌であるのも頷け、きっと身体能力も高いのだろう。
メルロッテは聞こえる歌に合わせて、毎夜庭で踊るという振り付けを、遊び半分でニア達に披露する。
ダフネのキャラバンから仲買人に渡されたニア達は、乗せられた幌車の中で、少しは互いの話をしていたのだ。
「メルロッテって、男爵令嬢だったよね。違ってたらごめん。」
ニアは、シルビーの尻布を当て直しながらメルロッテに聞く。
「全然だからぁ!だって〜男爵の父の隠し子みたいなものよぉ。 もともと踊り巫女は色んな国を渡り歩く移民。ママンは踊りが上手かったの〜。父親だって奴に見初められたのはいいけれど、ママンは自由人だったからなぁ。」
メルロッテは、窓の石段に立ち上がり、軽く腰を振りながら一回りする。
「子供の時にママンが死んで、リュリアールから父親って男爵男の使いが来て、養子にさせられたのが運の尽きかなぁ。」
そう笑うメルロッテの、男爵屋敷での生活は悲惨だったと続くのを、既にニアとエナリーナは幌車で聞き知っている。
メルロッテは男爵屋敷で虐げられいたが、貴族学園に通う事で、過酷な屋敷生活を抜け出せたと言う。
何よりの恐怖が、父親が母親似のメルロッテを手籠めにしようとしていた事。
「挙げ句、あんな屋敷にいたら父親に襲われていたもん〜。本当っとに、気持ち悪いったらぁ。」
夫を誘惑する毒婦の娘と罵しる義理の母から、父親に隠れ、夜毎折檻を繰り返され、、
其の証に、窓辺で踊るメルロッテの足の裏は、鞭傷で埋まっている。
「メルロッテ、、薬、欠かさないでね。」
エナリーナが、薬を煎じる手を止めると、横の棚から一つの瓶を出してメルロッテの足裏へと、中身を塗り付ける。
「本当!学園じゃぁ、ニーアもエナにも会え無かったのが不思議よぉ。もっと早く会いたかったあ〜。」
「メルロッテは一つ下だし、私は途中で学園に入ったから、仕方ない。」
ニアは、尻布を変えて気持ち良さそうにするシルビーを、抱き上げる。
「そっかぁ。とにかくね、学園は楽しかったぁ。呼び戻されて卒業出来なかったのが残念〜。ちょっといいなあって人もいたしねぇ。でも、全然釣り合わないからさぁ。ほら、男爵の妾子なんて、平民みたいなもんだし、、、」
メルロッテは、呼び戻された男爵屋敷から、キャラバンに売られたのだ。
(、、メルロッテには、少しでも恋する季節があって良かった、、)
恋を知らず、娼婦のキャラバンに売られ、
処女のまま、ハーレムに入った、、成人前の少女は、気の向くままに、夜に聴こえる歌に合わせて踊っているのだ。
「メルロッテ、そろそろ戻った方が良いわよ。」
ニアに抱かれたシルビーを愛おしそうに、眺めるメルロッテに、エナリーナが瓶を戻しながらも、忠告する。
「わ!しまった〜!」
正妃付き侍女の、自由時間の終わりを告げるドラが鳴った。
正妃が昼寝から目覚めた合図だった。
メルロッテは窓から飛び降りると、鮮やか衣装を翻し、ニアとエナリーナの視界から走って消えた。
最初のコメントを投稿しよう!