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1話
私は気がついたら、百年近くを生きていた。
と言っても、髪は若い頃のままだ。肌や瞳も。体全体についてもだが。何故なのかは、確か母に説明はしてもらっている。
呪いのせいだとは言われた。そして、血筋にも要因があるとか。遠い祖先に女神と結婚した男がいて、私は先祖返りだと母は言っていた。けど、実母は私が十二の年の冬に流行り病で亡くなった。まだ、若かったのは覚えている。三十を少し越したくらいだったか。
父は母が亡くなり、喪が明けるのと同時に義母を屋敷に連れてきた。
『……ヘレナ、お前の新しい母様だぞ』
『初めまして、お義母様』
『初めまして、ヘレナさん。これからよろしくね』
義母はにっこりと笑いながら、私に声を掛けた。が、うなじがピリッと嫌な物が走り抜ける。最初は分からなかった。私は義母もとい、コリーンにぎこちなく笑いかけた。
コリーンは屋敷に伯爵夫人として、迎えられる。最初の一年目までは良かった。彼女は私に対しても、愛想よく接していたから。それが変わり始めたのはコリーンが懐妊してからだった。懐妊が分かった際、既に三ヶ月程にはなっていた。
『……なあに、あなた。辛気臭い面しないでよ』
『あの、お義母様?』
『は?実の娘でもないのに、母親呼ばわりしないでちょうだい。その紅い目も老婆みたいな髪も。不気味だわ!』
『……じゃ、じゃあ。コリーン様と呼びます』
『近寄らないで!!この魔女が!』
金切り声で言われ、固まるしかない。悪阻と呼ばれる症状が酷かったコリーンは次第に私を邪険に扱い出す。しまいには、私は身の回りの物をことごとく取り上げられた。衣服類もだ。今まで使っていた部屋ですらも。
『はははっ!いい気味だ。魔女にあんな上等な品々を使わせるなんて、身の程知らずというのよ。お前達、このガキを地下室に連れて行きな!』
『コ、コリーン様?!』
『うるさいよ、お前如きが伯爵夫人の私に話し掛けるなんて。許されないのよ』
コリーンは私を突き飛ばした。尻もちをついてしまい、立ち上がろうとする。が、足で顎を蹴り上げられ、後ろに吹っ飛んだ。おまけに背中を壁にしたたかに打ち付けてしまう。あまりの痛さに呻く。
『……ツウッ』
『無様な姿だねえ、ヘレナ。まあ、お前はこれから地下室で暮らすからね。だから、良い事を一つ教えてやる』
『?』
『……お前の母親はね、私から旦那様を奪ったのさ。私はね、あまりにも腹立たしくて、あの女に呪いを掛けてやった。そうしたら、呆気なく死んでくれて清々したよ』
私はあまりの事実の残酷さに、戦慄する。私の母親であったフレアはこの女に呪い殺されたのだ。少しずつ、熱い何かが頭や体中を駆け巡る。怒り、哀しみ、憎しみ。幾つもの感情がふつふつと滾り、目の前が真っ赤に染まった。
『……お、お前が母様を殺したのか!赦さない、絶対に赦さない!!』
『なっ、一体、何事だ?!こいつには霊力はないはずなのに!』
『コリーン、お前だけは!!』
無我夢中で私はコリーンに目掛けて、真っ白な雷撃をぶつけていた。が、コリーンは咄嗟に防御壁を張り、己の身を守る。それでも、諦めずに雷撃を放ち続けた。
『……くっ、このガキが!』
『私は魔女なんかじゃない、お前の方が余程、魔女だ!!』
私は叫びながら、コリーンを狙った。周りにいたはずの使用人達は逃げ惑う。負傷した者や息絶えた者、逃げおおせる者がいる。それでも構わずに雷撃の他に手から、真っ白な炎をコリーンに放った。
『あ、それは!』
『我を守りしルディア神、御力を乞い願う……』
私がコリーンにその炎をぶつけると、彼女の腕から肩、首筋に炎は移る。
『……アアアー!!』
断末魔の叫びが伯爵邸の廊下に響き渡った。全身を炎に包まれながら、コリーンはフラフラと歩き出す。が、白い炎は次第に収まり、真っ黒な靄が彼女の体から出ていく。それは私を避けて外に逃げ去っていった。霊力らしき物を使い果たした私は意識を失い、その場にくずおれたのだった。
意識を戻した時に、私は神殿にいた。後で聞いた話によると、私には悪魔祓いの才能があるとかで連れてこられたらしい。義母が倒れている傍らに私も倒れていた。現場に偶然にも遭遇した父はすぐに、治癒師を呼んだ。治癒師は告げたらしい。
『……あなたの奥方は悪魔憑きです、それをヘレナ嬢が祓ってみせた。まだ、幼い少女なのに。大したものですね』
『なっ、コリーンが悪魔憑きですか?』
『はい、奥方から悪しき者の気配が濃厚に感じます。ヘレナ嬢がいたから、去って行きましたが』
治癒師の話を聞いた父はまず、私を自身の部屋に運ばせた。治癒師はすぐに悪魔祓い師を呼び寄せるために、伝達魔法で知らせたそうだ。急いでやって来た悪魔祓い師はコリーンの体を調べた。
『……確かに、奥様から悪魔の気配がします。腹にいる子も人間ではない。恐らく、魔との間にもうけたものでしょう』
悪魔祓い師からそう告げられた父は酷く驚いたらしい。治癒師も悪魔祓い師も嘘はついていなかった。こうして、コリーンや私は神殿に移されたのだった。
意識を失ったままのコリーンは二年もの間、眠り続けた。翌々年の秋、彼女は目を覚ましたが。魔との間に成した子は墮胎させたらしい。魔女がその薬を調合したとは聞いた。コリーンは悪魔に憑かれていた期間の記憶を無くしていた。つまり、父であるホーリック伯爵や私の事は全く覚えていないとか。私はいくらか、その事実に安堵したのだった。
長年、私は悪魔祓いを生業にした。その間にある上級悪魔から、一つの呪いを掛けられた。
『お前に不老不死の呪いを掛けてやる』
そう言って、そいつは複雑な術式を使い、呪いを掛ける。悪魔は逃げ、その場には私だけが残された。舌打ちをしながら、神殿に戻った。
それから、私は悪魔を探し続けた。あいつを祓わない事には呪いは解けない。国中を巡り、上級悪魔に繋がる手掛かりを探し求める。十年、二十年と過ぎ、気がついたら百年近くが経っていた。
悪魔のルギウスめ、絶対にあいつだけは魔界に送り還してやる!その一心だけで隣国にも赴く。
馬に乗り、たった一人で明け方のひんやりとした中を進んだ。
隣国に着いて、拠点をある中級の宿屋に決める。部屋に荷物を置いたら、すぐに手掛かりを探しに町に出た。
「……なあ、ここ最近は悪魔憑きがよく出るって聞いたぜ」
「マジかよ、嫌だな。隣町にも悪魔憑きが出たとか言うし。物騒になったよなあ」
「本当だ、景気づけに飲みにでも行こうぜ!」
話をしていた若い男性二人組はそう言って、食堂に入って行く。ふむ、こちらにも隣町にも悪魔憑きが出たか。シラミ潰しになるが、片付けるとしますかね。私はニタリと人知れず、笑った。
一件ずつ悪魔祓いをしながら、ルギウスについて情報を集める。少しずつ、あいつを追い詰めていく。
長かったよ、百年は。やっと、あいつを倒せる。そう思いながら、私は古びた教会の扉を開けた。ギイと建てつけが悪いからか、嫌な音が鳴る。夜闇を白銀の月光が照らす。
「……探したよ、ルギウス」
「……へえ、ご苦労なこった。シスターさん」
「茶化すな、この外道が」
思いっきり、奴をこき下ろした。こんな蔑みの言葉でも足りないくらいにはこいつが憎たらしい。私は十字架を手に取り、構えた。
「ふうん、俺が掛けた呪いは健在か。シスターヘレナ、全く年を取らないな」
「お前にだけは言われたくない、ルギウス。元はお前のせいだろうが!」
「へっ、短気なとこは変わらねえな」
私は十字架を胸元に当て、祝詞を唱える。体が清らかな光に包まれのが分かった。
「……我を守護せし、ルディア神。御力を与え給ふ!光の雨!!」
「なっ?!」
教会内に白と黄金の光が満ちる。まるで、大量の光の雨だ。それは地面に降り注ぎ、ルギウスにも容赦なく当たった。あまりの眩しさに瞼を反射的に閉じた。
しばらくして、瞼を開く。そこには息も絶え絶えのルギウスがいた。
「……くっ、とっくにババアの癖して。何なんだ、この霊力は」
「ババアとは失礼な、私は今まで修練を積んできた。お前を倒すためにな」
「ふん、いくら百年近く生きていると言っても。所詮は人間、いつまでその霊力がもつか。見物だな!」
ルギウスは本気を出したらしい。が、私も光の上級魔法を編み出すために再び構える。
「かの者を滅せよ、緑に降り注ぐ日光!!」
「……ギャアアア!!」
ルギウスは断末魔の叫びをあげながら、消滅した。優しいながらに力強く、森に燦々と降り注ぐ光のような霊力により、辺りの空気も浄化されたらしい。瞼を開けたら、ルギウスの成れの果ての真っ白な灰が残されていた。月光は相変わらず、静寂に満ちた教会内を照らす。私はしばらく、その場に立ち尽くしていた。
ルギウスが消滅した後、私は神殿に戻る。やっと、奴を倒して呪いも解けた。上司である神殿長に報告をしに向かう。
「……おや、これは。久しぶりですね、シスターヘレナ」
「はい、お久しぶりです。ウェリントン神殿長」
「敬語は今更でしょう、ヘレナ様」
神殿長はそう言って、くすりと笑う。実は彼は私の正体や事情を知っている。百年近く生きている事や元は伯爵令嬢であった過去も含めてだ。そんなウェリントン神殿長はまだ、二十五歳と若い。私からすると孫も同然だが。
「ヘレナ様、あなたは魔を祓える数少ない聖女であられます。今や、大聖女と呼べましょうね」
「よしてください、私はただのシスターの内の一人に過ぎません」
「……まあ、冗談はこれくらいにします。それで目的は果たせましたか?」
「はい、おまけに呪いも解けました」
「そうですか、それは喜ばしい事です。シスターヘレナ」
神殿長はにっこりと笑った。私もぎこちなく、笑いかけたのだった。
神殿の廊下を静かに歩く。もう、私が悪魔祓いをする理由はない。神殿を出て旅にでも赴こうか。そう考えながら、自室に向かった。
荷造りをして、必要な物とそうでない物を選り分ける。それが終わったら、新人の聖女に一通の手紙を神殿長に渡すように頼んだ。
聖女は頷くと、神殿長の執務室に向かう。見送ったのだった。
翌日、私は徒歩で自身の故郷であるホーリック伯爵領へと旅立った。目的は今は亡き両親のお墓参りだ。ゆっくりと歩きながら、王都の賑やかな人混みの中を進む。
(思っていた以上に、人が多いわね)
驚きながらも、何とか王都の外れまで来た。が、何故かパカラパカラと遠くから、馬の蹄の音や嘶く声が耳に届く。振り向くと必死な形相でひた走る男性の姿が見えた。それは私の前でピタリと停まる。降りてきたのは昨日にも話したウェリントン神殿長だった。
「……ヘレナ様、私を置いて行くなんて。酷いにも程がありますよ!」
「あの、事情を手紙で知らせたはずですよね?」
「あんな手紙一通で私が納得すると思ったんですか」
神殿長は拗ねたような表情で言い募る。私はあまりの展開に付いて行けない。何で、神殿長が私の後を追いかける必要がある?
本当に理解ができないでいた。
「あーもう、はっきりと言いますよ。私はあなたを昔から慕っていました。要はヘレナ様を女性として好きでした」
「はい?」
「だから、あなたの故郷に私も連れて行ってください。ヘレナ様!」
あまりの押しの強さに茫然となる。それでも、神殿長は辛抱強く待った。
「……わ、分かりました。ウェリントン神殿長、一緒に行きましょう」
「あ、私の事はオルカと呼んでください。神殿長は弟子に譲って来ました。だから、今はただのオルカ・ウェリントンです」
「はあ」
神殿長もとい、オルカはそう言って満面の笑みを浮かべた。仕方ないと私は心からの笑みを彼に見せた。
あれから、ホーリック伯爵領に着いた。現在は私のいとこの息子であるケビン・ホーリックが伯爵位を引き継いでいる。彼は私達が伯爵領にある屋敷を訪れると夫人と共に出迎えてくれた。
「やあ、久しぶりですね。ヘレナ姉さん!」
「うん、久しぶりだね。ケビンさん」
「嫌だな、私の事は呼び捨てで構いませんよ」
「……分かった、ケビン。改めてただいま」
「お帰りなさい、姉さん」
ケビンはもう、三十八歳になっていた。夫人も似たような年齢だったはずだが。
「ふふっ、私からも言わせてくださいまし。ヘレナ様、お帰りなさいませ」
「うん、ただいま。マレナさん」
「本当に最後にお会いしたのはいつかしら、ね。旦那様」
「確かにな、今からだと八年前かな」
「あ、もうそんなに経っていたのね」
「はい、さ。姉さんもそちらの方も疲れているでしょう、入ってください」
私とオルカは頷いた。こうして、しばらくはケビンやマレナさんの住む屋敷に滞在する事が決まった。
私は両親の眠る墓地に向かい、百合の花を手向けた。隣にはオルカがいる。
「ここにヘレナさんのご両親が?」
「うん、そうだよ。私の父は冷たい所もあったけど、いつも穏やかで冷静な人だった。名を確か、エーリクと言ったかな」
「そうなんですか、名は聞いた事があります。いつも、冷静で公平な判断ができる方だったとか」
オルカの言葉に、私は頷いた。本当にそう言う人だった。コリーンを迎えるまでは優しくて良い父親で。けど、コリーンに憑いた奴のせいで何もかもが狂い出した。苦い思いが湧き上がるのを無理やり、ねじ伏せる。
「……大丈夫ですよ、ヘレナさん。私がいます」
「オルカ」
「私の前では怒っても泣いてもいいんです、むしろ。全てをぶつけても構いません。受けとめますから」
オルカはそう言って、私の手を力強く握った。私の目からぽたりと熱い何かが滴り落ちる。それが涙だと気づくのに、少し掛かった。泣き止むまで、彼は黙って寄り添ってくれた。
夕方に近くなり、私は腫れて赤くなった目をそのままに伯爵邸に戻る。出迎えてくれたマレナさんやメイド達が皆、驚いていた。
「な、ヘレナ様。どうなさいました?!」
「……あの、ちょっと。墓前で泣いてしまっただけで」
「あらまあ、そうでしたか。けど、そちらのオルカ様に泣かされた訳ではないのですね?」
「ち、違うって!ただ、慰めてもらっただけよ」
「分かりました、ヘレナ様がおっしゃるなら。そういう事にしておきます」
マレナさんは意味深な事を言ったが。それ以上は追及しないでおいた。
二か月が過ぎ、私はオルカと共に伯爵邸を出た。行き先は決めていない。呪いは解けたが、あまり影響はなかった。オルカの見解によると、呪いは解けても体は緩やかに年を取っているらしい。実はルギウスが掛けた術は体の成長や老化を止めていただけで。要は私の体の時を止めていたという事だった。寿命は長くても、四十年も無いとは聞いた。
「今日はどこに行こうか、ヘレナ」
「そうだねえ、オルカ。もう、旅はやめてさ。どこかに定住するのはどうかな?」
「……それもいいね、ならさ。この国の南部は温暖な気候で過ごしやすいらしいんだ。そちらに住んでみないかい?」
「うん、私も良いなと思ってた」
「決まりだね、ヘレナ」
オルカは優しく笑う。私も笑いながら、彼の肩にもたれ掛かる。オルカは私の肩を引き寄せた。穏やかな空気の中、私は亡き母に語りかけた。
――母様、私の長い長い旅は終わったよ。だから、見守っていてね――
そう内心で言いながら、瞼を閉じる。オルカの温かな手が私の髪を優しく撫でたのだった。
――The ending――
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