瓶詰人生、一番星。

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 何をしたって上には上が居るものだ。小学校から続けてきた吹奏楽。必死に頭に叩き込んだ勉強。始めこそてっぺんの方にいたけれど気づけば周りはどんどんと自分を追い抜いて行って、今じゃ年下の子にだって笑われる始末。努力が足りない。周りの子が追い付いてきただけ。あなたがサボってるんじゃないの。  限界だった。  曇天の中、比較的人通りの少ない道路のそばに立ってあの車ならという車を探し続ける。その間にも心の中ではまだ生きていたいという葛藤と、もう十分だろうという諦めがせめぎ合いを続けていた。その時、向こうから大きな黒い車が走ってくるのが見えた。あれにしよう。そう思って足を一歩踏み出そうとした瞬間。  にゃおん。という鳴き声、そしてふわふわとした感触が足に触れて驚いてしまった私は見事に後ろの方に尻餅をついてしまい、目星をつけた車は何事もなく道を走っていってしまった。唖然としている私に猫はお構いなしと擦り寄ってきている。 「あなたのせいで死に損なっちゃったじゃない」  脚に擦り寄って来ていたその黒い毛玉をわしゃわしゃもふもふと撫でてやれば満足したのか立ち上がって後ろにあった路地の方へ歩いて行ってしまった。なんて気まぐれなんだろう。猫の中でもあの子は特にそうなんじゃないか。呆れながらもう一度道路のそばに立つ。が、何故だろうさっきと違って恐怖心が大きく私の足を引きずってくる。怖い。死にたくない。そんな単純な恐怖が私を支配して自然と足が半歩、そして一歩と着実に下がっていく。  私は一体何をしようとしていたんだろう。今までの自分の異常さに頭を抱えてうずくまる。それと同時に何もなせない半端者だと責め立てる声も聞こえてくる。やっぱりしっかり死なないと。その時背後からにゃあ。とさっきの猫の声が聞こえた。路地の先に行ってしまったのだと思っていたが猫は路地の入口でずっと座っていて、まるで私がついてくるのを待っているようだった。どうせ捨て損ねた命だ。今更猫についていく変人になった所で痛くも痒くもないだろう。私がついていく意思を示すと黒猫はご機嫌にしっぽを揺らしながら私の先を歩いて行った。  結構歩いただろうか。気付けば灰色のコンクリートの路地はレンガや緑で彩られたファンタジー風の路地に変わっていた。こんな場所あっただろうかと思いながら猫についていく。この猫も不思議な猫だ。ずいぶんと人慣れしている。赤い首輪もついているし誰かの飼い猫だろうか。考えを巡らせながら歩いていると不意に猫がにゃんと一鳴きした。意識を志向の海から引き戻すとそこにはまさにファンタジーですよと言わんばかりの木製のドアが一枚。猫はそのドアの下についていた猫ドアから器用に中に入っていってしまった。ここで一人取り残されると思わなかった。ここから戻るのも最早億劫だ。ええい、ままよと半ばやけくそ気味に扉を開いた。扉から溢れてきた眩しい白い光に思わず目を瞑った。  目を開くとそこはアンティークショップのような場所だった。ような、というのはどうも普通のアンティークショップと様子が違うからである。周りを見渡しても瓶しか置いていない。しかしその瓶の種類は豊富で様々な色や形、大きさがある。そのうちの一つが気になり、手に取ろうとした時、凛とした声が響いた。 「いらっしゃいませ。ようこそ僕のお店へ」  声のした方を向くと、ちょっとぼさっとした髪で身長が高めの男性が居た。 「驚かせてしまってごめんなさい。久しぶりのお客さんだからお話がしたくなってしまって」  控えめに笑う彼が少し可愛いなと感じたのは置いておいて、こんなに素敵なお店なのにそんなに人が来ないのだろうかと疑問に思った。 「綺麗なお店なのにな」 「ここは、来たいと思ったからといって見つけられるお店じゃないですから。でも、ありがとうございます」  声に出てしまっていたらしい。それにしても期待と思っても見つけられないというのはどういうことだろう。 「ここで立ち話もなんですから、奥で何か飲みながら話しませんか。その瓶についても話したくて」  普通に考えて知らない店で知らない男の人から急にお茶に誘われたら断るべきだろう。だけど、この人からは悪意というものが感じ取れなかったのでついていくことにした。  連れてこられた場所は柔らかな日差しが差し込むサンルームのような場所で、けれども決して眩しすぎない心地よい場所だった。 「座って待っていてください。今飲み物を持ってきます」  そう言って彼は店の奥の方へ行ってしまった。さて、周りを見渡していて妙なことに気付いた。私が路地に入った時確かに天気はどんよりとした曇りだったはず。それがどうだ今じゃ棚から取ってきた瓶がキラキラと輝くぐらいの晴天だ。そんなに時間が経っていたのだろうか。足りない頭を必死に捻っていると甘い香りが漂ってきた。 「ココアを持ってきました。ゆっくりしたいかなって思って。多分今日は不思議な体験を何度もなさっているでしょうから」  何故知っているのだろう。温かいココアの入ったマグカップに口をつけながら相手の言葉が続くのを待つ。 「申し遅れました。僕、黒崎って言います。このお店を一人でやっています」 「この瓶も黒崎さんが集めてくるんですか」  そう聞くと彼は嬉しそうにそうなんです。と答えた。 「僕、定期的に旅に出ていまして。行く先々で見つけた瓶を集めては棚に並べているんです」  私が手に取ったこのすこし楕円に近いような丸い、コルク栓をしてある瓶は一体どこから探してきたのだろう。なかなか見かけない形だと思う。 「その瓶は寒い地域で見つけたんです。一年中寒くて、氷の洞窟が近くにあるような場所なんです。その地域の村で作られたみたいで、雪と氷とその瓶がきれいに輝いていて思わず買ってきちゃいました。」  瓶を手元に持ってきてまじまじと見つめる。雪が降り積もる街でふと上を見上げる。そこには美しい夜空があって。もちろん星は輝いている。そんな情景が脳裏に浮かんできた。 「不思議でしょう。このお店にある瓶は皆そうやって自分の生まれ故郷を見せてくれるんです」  それと、とどこからいつ持ってきたのかわからないが一つ瓶を持ち出して手渡してくる。そのまま受け取ろうとするとキーンッと甲高い音が響く。思わず耳を塞ぐ。瓶を落とすのではないかと不安になったが黒崎さんがしっかりと持っていたようだ。 「ごめんなさい。大丈夫ですか」 「なんとか。それよりも、瓶が割れなくてよかった。一体何の音?」  まだ、耳鳴りが残る耳は知らないものとして尋ねる。 「実は、今の音は僕には聞こえていないんです」  あの甲高い音が聞こえていないなんて嘘でしょう。だってあまりにも響く音で。 「このお店にある瓶は一緒に居たいと思う人を選ぶんです。選ばれた人はそれに気づかないまま買うのでなんだかお気に入りぐらいにしか思わないんですが、こんな風に他の瓶を手に取ろうとすると怒ってしまうんです。」  瓶が怒る。なるほど確かに不思議だ。ただ不思議なことが起こりすぎてそういうこともあるのかぐらいにしか受け止められない。 「その瓶はお客さんのことが気に入ったみたいです。どうか大切にしてあげてください。あ、お持ち帰り用にお包みしますね。」  そう言って黒崎さんは瓶を持って店のレジの方に行ってしまった。  瓶か。あの、雪の降る土地からやってきた瓶は私のどこが気に入ったのだろう。あんなに綺麗な情景を私に見せて何を伝えたかったんだろう。 「お待たせしました。どうぞ。」  紙袋を受け取ると確かにしっくりと来る重さが腕にかかった。 「あの。瓶ってどうすればいいんですか。この形だと花もさしにくそうだし。飾っておくだけなのもちょっともったいないというか」  黒崎さんはきょとんとした顔からすぐにやさしい笑顔になったかと思えば頭に手をポンと乗せそのまま話し始めた。 「これは僕からの提案、というかおすすめなんですけど。まずあの空っぽの瓶を思い浮かべてください。」  楕円に近くて丸い、それでいてコルク栓がされた瓶。 「思い浮かべました?じゃあその瓶の中に何か物を入れてみてください。僕はお菓子を入れるのが好きです。飴とか、金平糖とか。」  瓶の中に小さな金平糖が溜まっていく。あの夜空に輝く星みたいな小さな金平糖。 「平和に一日が終わったらお菓子を一つ入れるんです。逆に嫌なことがあったり落ち込んじゃったりしたらその中から一つお菓子を取り出して食べるんです。」  それじゃあ私の瓶はいつまで経っても空かもしれない。 「焦らないで。本当に毎日嫌なことだけですか。例えば帰りに可愛い猫を見たとか、不思議なお店に迷い込んだとか……これは少し自惚れすぎましたね。でもそんな小さな良いことがあった日もお菓子を足していいんです。どうですか」  私にしてみればこの店に迷い込んだことだって素敵な出来事だ。家に帰るまえに金平糖を買って帰ろう。そして家に帰って瓶に一番星を入れてやろう。 「うん。それがいいです。きっと瓶も喜びます。あなたと瓶が素敵な未来へ歩んでいけますように。他の瓶たちとお祈りしてます」  黒崎さんは私の頭を一回だけ撫でて、最後にポンポンと軽く叩いた。 「御代は、次にまたあなたに会えたらその瓶との話を聞かせてください。それで十分です」 そう言うと私の背をとんと押してくれた。きっと心も押してくれた。 「また会える日を楽しみにしてます。お気をつけて」 「ありがとうございました」  そう言って私は木製の扉を開く。足を一歩踏み出すと車を眺めていた場所に戻っていた。空はやっぱり曇っていた。  ちりん。と後ろから鈴の音がして振り向くとそこに路地はなかった。私が過ごしたあの時間、あのお店はなんだったんだろう。混乱している私を窘めるように腕の中からしっかりとした重さが伝わってきた。きっとまた会える。お前もそう思うでしょう。腕の中の瓶に聞けば不思議と心が落ち着いた。雲の切れ目から日が差して明るくなっていく街を歩いて私は星を探しに出たのだった。この瓶の中に美しい夜空を作るために。 「あの子はきっと大丈夫。もうあんなことしないよ」 「この店に連れてきてよかった。あの子ならそのうちすぐに瓶をいっぱいにするよ。名前聞いておけばよかったんじゃない?」 「あくまでも店員とお客さんだから。むやみに関係を広げすぎるもんじゃないよ姉さん。」 「あんたらしいや」 「さ、次はどこに行こう。不思議な森でもいいね。砂漠も気にならない?」 「平和なところがいいよ」  そこは貴方と不思議な瓶を引き合わせる運命のお店。店主は異世界の冒険者、お客さんは店主の姉が扮する黒猫にいざなわれないとたどり着くことができない隠されたお店。 『あなたの人生と瓶が輝く未来に進めますように』 アンティークショップ きらめき堂
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