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1 陰鬱な食卓
「子供を産むことができないなら、せめて家事ぐらい完璧にこなしなさい」
姑の口から放たれた容赦のないその言葉は、麻由の心を深くえぐった。
嫌味や小言はいつものことだが、子供について言われるのはさすがにこたえてしまう。
(私だって、早く赤ちゃんが欲しいのに)
麻由は悲しい気持ちを押し殺して、相手の言葉に頷いた。
「はい、ごめんなさい」
麻由は素直に謝るが、姑、理沙子はまだ気が済まないらしい。
「今日は掃除をしておくように頼んでおいたのに、廊下に埃が残っていたわよ」
「すみません、ちゃんとやったつもりだったのですが」
おずおずと麻由は言い返そうとしたが、最後まで言う前に遮られてしまう。
「言い訳は結構よ。どうせあなたのことだから、手を抜いていたんじゃないの?」
「いえ……そんなことはありません」
「どうでしょうね。あなたはいつも口だけだもの」
理沙子は冷たく言い放つと、露骨な溜息を吐いた。麻由は悔しくてたまらなかったが、これ以上何か言っても余計に相手の怒りを買うだけだとわかっている。
この家の食卓には、いつも重苦しい空気が流れていた。
食事中、麻由はほとんど話さない。黙々と料理を口に運び、たまに夫である智樹と会話を交わす程度だ。しかし理沙子は違う。理沙子は智樹に対して優しく接しているものの、麻由には厳しい態度を取るのだ。
「ねぇ麻由さん、この味付けは何? ちょっと味が濃すぎるんじゃない? こんな物ばかり食べさせて、智樹の健康に何かあったらどうするの?」
「それは……すみません」
麻由は小さな声で謝罪する。
理沙子はそれすら気に入らないといった様子で、麻由は更に萎縮してしまう。
「母さん、そんな風に言わなくてもいいじゃないか」
二人の様子を見て、智樹が静かに口を開いた。
「僕からしたら麻由はよくやってくれているし、何も不満なんてないよ。それに、麻由の料理は美味しいじゃないか」
智樹が庇うように言ってくれて、麻由は少しだけホッとする。
「あのねぇ、智樹。あなたは少し麻由さんに甘すぎない? もっと厳しく言ってあげないと、この子のためにならないでしょう」
理沙子は呆れ顔で首を振る。
「だって麻由さんったら、本当に何もできないのよ。確かに本人は一生懸命やっているつもりかもしれないけど、私にはそう見えないわ」
嫌味っぽい口調でそう言われ、麻由は唇を噛んだ。
しかし反論することはできない。自分が無能であることは自分が一番よくわかっているのだから。
「麻由にだっていいところはたくさんあるよ。彼女が頑張ってくれているから、僕は仕事に集中できるんじゃないか」
「あなたは麻由さんの味方ばかりするのね。まあいいわ。あなたがこの人で満足しているのなら」
刺々しい言い方に、麻由は思わず身を固くした。智樹は少し困ったような表情を浮かべて麻由の方を見る。
「なぁ麻由。そんなに気にすることないよ。母さんだって、ちょっと言い過ぎただけだと思うし」
智樹のその言葉に、麻由はぎこちない微笑みを浮かべながら頷いた。
「ありがとう智樹さん」
麻由はそう答えると、食事を再開する。しかし箸を持つ手が震えてしまう。食事がうまく喉を通らない。
優しい夫は何とかこの場を収めようとしてくれているが、麻由にはそれが辛かった。智樹に気を遣わせてしまう自分が、情けなくて仕方がないのだ。
理沙子は自分の意見に賛同しない息子を見て不満そうにしていたが、やがて諦めたようにつくづくと息を吐いた。
「もういいわ。でも、いつまでもそんな調子じゃ困るからね」
麻由は何も言えずに、ただ黙って俯いていた。
(どうして、こんなことに)
悲しさと惨めさで涙が出そうになる。
智樹と結婚したばかりの頃は、この家にはもっと和やかな空気が流れていた。
麻由は、智樹や理沙子と楽しく笑い合うのが好きだった。
それなのに今では、その笑顔を見ることもなくなってしまったのだ。
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