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オオヌマはそれからしばらく一言も発しなかった。
代わりにというわけではないだろうが、さらにトヨカワが詰めてくる。
「俺はヨシダさんのスタンスが悪いとは思わないけど」
「……」
「イズミとの相性は最悪だと思ってる」
試合前のルーティンでも、ここまで冷えた声は出していなかったように思う。
恐れか、怒りか。
はたまたなんにも感情は動いていなかったのか。
傍観者としてそこに存在していた。
「そうか」
「……下にいた俺が、一番とは言わないけどよくわかってる」
トヨカワが口を開いたことで、なんとなく、その空気が薄れて、呼吸している音がする。
それほどまでに、緊迫させていたらしい。トヨカワは先ほどまでの圧を、さらりとなかったことに変えていく。
「アンタはそろそろ群れの長としての考えを持ったほうがいい」
「……」
「イズミは、アンタのおもちゃじゃない。ちゃんとした肉親も、大事な世界もあるって、知ってるはずだろ? たかだかいちファンだった奴だ」
――おもちゃにするなら外でやれ。
――ここに居る時点で、全てが群れの責任になることは誰よりわかっているだろう。
どれも、親を引き受けたときにトヨカワから言われた言葉だ。
オオヌマがいる手前、出す言葉を選んでいるようだが、言いたいことはその時から変わらずいる俺に対してだろう。
トヨカワの言うことは正論だ。
ほかの選手は、俺にはないものをきちんと持っている。だからこそ、一番近くでその被害に遭ったトヨカワは俺と組まされたのだろう。
俺が、唯一折れなかった奴。いや、折らせてもらえなかった奴、が正しい。
「だから、ちゃんと、個として向き合え」
区別するのは構わないが、それはあくまで親というポジションとしてではない。
わかっている。
自分が一番、封じていることだ。
「トヨカワ……俺に期待するな」
「してたらこんなところで、しかも後輩の見てる前で言うわけない。でも」
ここにきてイズミが心配なんだ。
あんなに普通の奴が、居続けられる環境である方が大事だろうが。
切々と、トヨカワは俺に向かって言う。
こちらが応える結果など分かっているはずの彼が、続ける。
「……イズミは、アンタのこと、ただの憧れと思ってる。それを壊したくはない」
ここに長年いて、麻痺している。
コートで戦う以上に、情なんてものは必要ない。
ただ戦うために必要な性格がそうだっただけで、何も残っていない。
「俺とトヨカワ、どちらのやり方のほうが残酷だろうな」
「……っ」
俺のことをただの憧れとして神格化し続けるのと、これまでの見えない悪行を晒して心を折るのと。
結果、どちらを選んでも残酷なことをしている。
自分で今後の一般的な幸福とやらを放り出させておいて、と憤る気持ちも分かる。
だからこそ、彼には、ゆがんでほしくはない。
「……わかってる。俺がおかしいことくらい」
悩ませているのは、俺の責任だ。
まだ視線だけでおろおろとしているオオヌマに、しばらくは任せる、とだけ言った。
トヨカワは頭を抱えていたが、まあ、事実そうなるであろうことはわかっていたはずだ。
「え、っと。まあ別にそれはそれでいいんですけど……お二人が言っている内容ってのが、まあ、よくわかんないというか」
「だろうなー」
「軽いっすね」
軽くなければやってられない、とでも言いたげなトヨカワに、オオヌマは真面目に問いかけている。
目標らしい目標がない、とぼやいていたオオヌマが、少しずつ殻を破り始めているのだと思うと感慨深いものがある。
「むしろおまえがそこまでちゃんと理解しようとしてたのがすごい」
「ぶっちゃけヨシダさんにもトヨカワさんにも訳わかんないことばっか言われてるんで、俺の方で勝手にさせてもらいます、宣言なんですけど」
「まあ、それでいいと思うわ、俺」
「俺もトヨカワに同意だ」
雑に言いながらも、なんとか咀嚼を終えたオオヌマに、俺は言う。
「イズミにはまずおまえを頼るように言っている」
「顔合わせのときのこと、覚えてるかはわかんないけどね」
ニヤニヤ笑いながらややこしい話をぶち込んだ男は、こちらをチラリと見て被せて言った。
「……そのうえで、判断に迷うことがあればどちらかに聞け。俺達も情報共有はする」
「最初に聞くのがどっちだってだけで、別に、お互い喧嘩してるわけでも、協力しないわけでもないから、それは心配しないで」
「ただ、どうにもトヨカワの方針が合わないだけで」
「ヨシダさん、それは俺の台詞なんですけど」
「はあ」
「……まあ、そういうわけで」
俺の手と、トヨカワの手が、オオヌマの両肩にそれぞれ乗る。
重ならない重みは、果たして正解に近付いているのだろうか。
後輩に無理を強いているのは百も承知で、俺は言う。
「第三の道を期待している」
「……は、あ。まあ、はい、がんばりますけど」
「おおー、不服そうだねえ」
「当たり前じゃないですか。こんなに丸投げって……当たり前っすけど、何やったらいいかわかんなくなりますって」
イズミくんだって、普通にキラキラしてて、何してんだよーって思ってますしね。
そう言うオオヌマにも、同輩として、彼を導こうとする意識が芽生えつつあるのだと思う。
「じゃあ、適当にやればいいと思うよー」
「そういうとこ……あんたたちほんときらい!」
「言うねー」
「言ったな」
「まあ、険悪にならない程度にイズミくんの憧れを削ってやりますよ」
「ほう?」
「これでも、ここのチームでレギュラー狙ってるんですからね」
前言撤回。
そういう何某かを目指しているのであれば、もう容赦はない。
わかりやすく否定の言葉を言ってくれた後輩に向かって、俺とトヨカワは、同じように微笑んでいたことを、後々知ったのだった。
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