家族の温もり

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 流されるまま、自分の部屋に戻っていたらしい。  別に汚しているわけでもないので、そこまで気にすることはないが、やはりほかのひとに見られるというのはどこか気が引けるように思う。  オレが部屋に入ると、じゃあまた、とヨシダさん以外の三人は戻ってしまった。  代わりに、鍵を渡されたヨシダさんが、オレの部屋にいる。  それだけで、きっと普段なら緊張してしまうところなのに、今日のオレは、なんとなく気が抜けてしまった。  ふらふらと、自分のベッドに向かう。目の前に歩けたところで、ぼすんと、体を横たえる。  ――こんなこと、しちゃだめなのに。  ――きっと失礼なのに。  オレは、そのままいちばん近くにあった枕を手でたぐり寄せ、抱きしめた。  あるべきものが、ない。  体にかかる重力とか、姿勢のバランスとか、なんか違う。  体調は万全のはずなのに、心がそれを許容していない。 「けっこう、きますね。これ」  おれがおれじゃなくなるみたいに感じます。  ぽつり、と枕の内側に向かって言った。 「……慣れはする」 「そ、うですか」  きちんと聞こえていたらしい。ヨシダさんからあっさりと言われると、これくらいでへこむな、と言われているようで、結構、つらい。  ぶわっ、と涙が溢れそうになって、慌てて枕に頭を突っ込み直した。 「そうですよね。ヨシダさん、オレがこんくらいの頃から、ずっと……です、もんね……」 「……」  憧れのひとに追いつきたかった。  追いつくだけで、正直満足だった。  書類にサインして、実際に会って名前を呼んでもらって。  練習着もようやく手に入ると聞いた。ということは、間もなく練習に合流できる。  そういう浮ついた気持ちしかなかったけど。  けっこう。  現実はシビアだ。 「なれるかなあ……オレ……」  誰に言うでもなく、つぶやいた。  オレ、このまま泣いたまんまで、いたら。  結局、選手になれなかったら。  すうと血の気が引いていくのがわかる。  どれだけポジティブに考えようとしても、頭の奥底にこびりついて離れない。  ――こわい。 「なれ、ないと……」  クビにはなるだろうし、この状態で生き続けるしかない。  出戻った自分のツノが回復するまでどれだけ引きこもっていたらいいだろう。母にも申し訳がない。こんな見た目のやつと群れを作りたいやつなんているのか。いないだろう。  母は女性だ。どこでもアテはあるだろう。  だがオレはどうだ。  自分で群れを作れなくなったら、誰かと。  だれか、と。  だれが。こんなオレを。  ぎゅっと枕を抱きしめる。  平たく小さく、きゅうきゅうになるまで。  こわばる体に、声が聞こえてきた。 「……イズミ」 「は、い」 「実家から持ってきたものはあるか」  突然の話に、思考がついていかない。  けど。  なにかは返さないと。  そういう気持ちだけはあった。  けど。 「……あ、ります。あの、どうし」 「ああ……これだな」  見なくてもわかる。新しい部屋に不釣り合いな、へたへたになったクッション。  枕元にあったそれに気付いたヨシダさんは、おそらくそれを手に取った。 「大丈夫だ」  それをオレの胸のあたりに抱き直させて。  ヨシダさんが座ったような、どすどす、という音がした。  頭に、体温が当たる。大きな手のひらが、オレの額にある。  もぞ、とそちら側を少し見るように額をあらわにすると、手のひらとは違うものが、当たった。  たぶん、ツノが本来あったところ同士。 「よく、頑張った」  暖かいのに、こわい。  しっかりと閉じていた目を、ちょっとだけ開く。こぼれた涙の向こう、こわばる体の先を探す。  ヨシダさんは、オレの挙動に伏せた目を開いた。  オレをみて、いる。 「……っ!」  それだけのことなのに。  オレの頭は混乱した。 「ひ、ど……」  思わず出た、言葉。ヨシダさんは特になにも感じなかったのか、まばたきひとつでかわされた。  こんな姿を見ようとするなんて。  オレだってこんなに我慢しようとしているのに。  一切合切、さらけ出させようとするなんて。 「ひどい……、せっ、かく」 「泣くのは今しかできないぞ」 「わ、かって……ます、で、も」  あったかい。  あったかいのに。  ――さみしい。  ずっとこうしていたいのに、たぶん、これが何度もあることではないとわかっている。  わかってる。  独り立ちできるようにならないと。  このままじゃだめだってことも。  でも溢れてしまう。  帰りたいとか、もうやだとか、二度と試合もしたくないとか、今まで通りアマでよかったとか。  文句ばっかりの自分だってことも、わかってる。  わかっているから。  これ以上は、もう。  甘やかさないでほしい。  どんどん溢れてくる涙を拭えないまま、オレはヨシダさんの声を聞く。 「俺が引退したら、こうして、選手として抱きしめることもないんだ」 「……っ」  それは死別と同義だと感じた。  おれは、これからここにいる。けれど、ヨシダさんはこれから、少し先で生きている群れが、変わる。  ここからいなくなる。  こわい。また、こわくなる。  でも、とヨシダさんは言った。 「まだ現役でやっててよかったとは、思う。若い奴らには悪いがな」  こういうの、憧れのひとにやってもらったら、効くって聞いてる。  そう言って、また柔らかく胸のほうへ抱きしめられた。  クッションごと、ヨシダさんの内側に収まった自分。  ヨシダさんは想像していたよりもずっと固くて、やさしくて、とってもひどいひとだと思った。  でも。 「ヨシダ、さん……っ」  これから先も一緒にいきてたいのに。  同じ世界に入ったばかりのオレと、もうまもなくここから去るであろうヨシダさん。  少しでも長くあなたの隣で、一緒に戦いたいのに。  今まさに、心が折れてしまいそうだということまで、理解されてしまっている。  通過儀礼とはいったか。  ヨシダさんは、むかし、こうやって泣いたのだろうか。  だれかの胸で。だれかに抱かれて。  一瞬浮かんだそれも、温かさに溶けていく。  涙声で、ヨシダさんの胸の中で、いろいろ言ったような気がする。  ――さみしい、こわい、つらい。  ――かなしい。  ――でも、それでも、ここに。  ――一緒に、試合が、したい。  いつまでもあなたの近くにいたいのに、今しか、あなたに甘えられない。  きっと、これからどんなことがあって、あなたに泣きついても許してもらえないんだろう。  いつものクッションに混じった違うにおいに、自分はなぜか安心感と喪失感を同時に覚えたのだった。
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