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幕間:軋轢
イズミの言葉が、やけに引っかかっていた。
「俺が引退したら、か」
まもなくその時はやってくる。衰えなんて誰よりも己が一番よくわかる。
同じだけの覚悟を持っていようがいまいが、どこかで入れ替わる。
コートで死ねるような生き方をしてこなかった自分に、できることなどないと分かっている。
なのに、彼が、イズミが自分を追ってきた。
どんな采配かは知りたくもないが、そういう配置になった。
だから、役割期待通りにしているだけで、特別視しているつもりはない。
彼の腫れあがったであろう目元の光を見ても、特段なにも思えない。
自分はきちんと、記録通りのことができただろうか。
それだけが不安だ。
チャットですでに報告はしていたが、イズミが寝入ったのを確認して、部屋を出た。
当然、部屋には施錠した。その鍵ですら、マネージャーに返却している。
ツノを落としたあとのケアとは、そういう行為だ。
ファミリーでの情報共有はすべきという判断から、俺は残り二人の待つ待機部屋に入った。
部屋に入ってすぐ、トヨカワがいた。俺からは見えないが、おそらく奥にオオヌマもいるのだろう。
剣呑さを隠そうともせず、トヨカワは立ち上がり、俺の前に立った。
「ヨシダさんが戻ったってことは、だいぶ、落ち着いたってことで合ってます?」
「……ああ。寝入ったらしい」
「そうですか。イズミくん、ピュアすぎて泣いてたらしいんですけど」
「……」
「かわいかったでしょう?」
さらっと言われた言葉も、特に何が浮かぶわけでもない。
多分、煽ろうとしているのだろうと思って「そうか」とだけ返した。
不服そうに、トヨカワは続ける。その後ろには、どう反応していいか困惑しているオオヌマが出てきていた。
「跡処置のフォロー、俺達はいらなかったみたいっすね」
「……」
「だいぶお上手になりまして」
待機部屋も、鍵を閉めた。
入室確認はこれでわかるだろう。
ここで何があっても、大人しかいない。
三人だけ。自己責任の世界だ。
「で、どうするんです」
「どう?」
意図している内容に概ね当たりはついているが、あえての言葉を告げる。
――これ以上、かき乱すな。
そういう意図の二文字はきちんと伝わったらしい。
「ヨシダさんはさ、どうせここにいてもいなくても、群れなんて作らないんでしょ」
「……」
雌雄のどちらでも、どうせ、ということだろう。
オオカミのようにはなれなくても、これ以上、ツノを活かし続ける意味もない。
「どうしたって、こういうかわいそうな子は出てくるってのに。本当、罪なオスですよね」
あなたのおかげで、どれだけの男がツノを折られて、削られてきたかわかってないんだ、と叱責されているようだった。
俺が黙ったままでいるのが、気にくわないのだろう。
あーあ、とさらに被せてくる。
「トヨカワ、なにが言いたい?」
「いや、わりと特別かわいがってるから、なんかあるのかなーってだけです」
「呆れるくらい変わらないな、おまえは」
特別視などしていない。ごく普通に、後輩として扱っている。
それ以上でも以下でもない。
例えばこの男が、入団した当初にした対応と、さして変わらないはずだ。
「昔みたいに、いろいろしませんよ。俺も」
ひと一倍、群れや番について暴れ回っていた当人が言うのだ。
きっと何かが違うのだろうが、俺は変わったと思っていない。
そういう見方で見られると、俺もただの雄なのだろうな、と自嘲した。
「昔の俺は酷かったのか」
「ええもう、俺が本能としての一生を捧げるくらいには」
「……酷いな」
「だから言ってるじゃないですか」
――あの子は、俺よりも単純で幼くて、こわい存在ですよ。
オオヌマにはできれば聞かせたくなかったのだろう。
多少落としたトーン、耳元に向かってボソボソ唱えられたのはきっと呪詛そのもの。
俺より身長が高いトヨカワから注がれた言葉。それを咀嚼し切るかどうかのタイミングで、今度はオオヌマに聞かせるような大きめな声を出してトヨカワは続ける。
「とはいえ、イズミは俺じゃないんで。親として、危ないと思ったら介入する覚悟はありますよ」
「……頼もしいな」
「誰のせいで」
「あの!」
――こうなったと思ってるんですか。
おそらくそういう主旨の言葉を告げようとしたトヨカワの口を閉じさせたのは、この中にいる最年少からだった。
「お二人って、昔なんかあったんですか」
オオヌマの疑問は最もだろう。
俺はそこまでチームメイトと話すほうではないし、トヨカワもここまであけすけに雑な物言いをするタイプではない。
ここはファミリーとして、一応、言った方がいいと判断した。
ちら、と目を向けたトヨカワもそれを了承したのか、軽く頷いた。
「トラブルではない。ただファミリー制度過渡期に、兄弟だった」
「もちろんリアルのほうじゃなくて、ここのね」
え、とわかりやすく二人の間で視線をさまよわせたオオヌマに、今日何度目かわからないため息をつく。
わりと噂話として吹聴されていたように思うが、彼の付近にはそういった情報はなかったらしい。
思わず俺もオオヌマを見た。トヨカワも同じようにじ、と見ていたらしく「逃げていいですか」と珍しくびびったオオヌマに、好きにしろと言いかけて、やめた。
そういった意味でも、オオヌマがここにいる意味があるのだろうなと、なんとなくトップの意向を感じずにはいられなかった。
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