第2話 夢のような現実

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第2話 夢のような現実

① 給料は悪くない。 しかし、少数精鋭とはうまく言ったものだ。 一人当たりの業務量が途方もない。 いつも、帰るのは終電間際だ。 土日祝日は休みだから、世間的にはブラック企業とは言えないのかもしれない。 夢があって入社した。世界が変わると思った。ITにはそれだけの力があると思った。 しかし、自分に夢をかなえる器がないことを痛感させるには十分な年月も経った。 どんどんと脱落していく同僚。人が辞めるから風通しが良いだけで、業界全体の古臭い構造は変わる気配は無い。 大地が同僚の小川裕也(おがわゆうや)と顧客との要件定義について話をしていると、女性社員達から黄色い声があがった。声の方を見てみると、入社からずっと面倒を見てきた後輩の小倉和歌(おぐらわか)を中心に集まっていて、和歌がスマホの画面を他の女性社員達に見せている。 それに、興味をひかれた小川が女性社員達の方へ歩いて行くので、大地もついていった。 「なになに? なんかいいことあったの?」 小川が話しかけると、女性陣は顔を見合わせながら、どうしようか話してもいいのかな? といった具合に様子をうかがう。話題の中心にいたであろう和歌がハニカムような笑顔で口を開いた。 「いえ、ちょっと、アプリで知り合った男性と良い感じになりまして。その話を」 「へー。どんな男だ。俺にも見せてくれよ」 和歌がスマホの画面を大地と小川に見せる。 そこには、黒髪短髪の爽やかな好青年が写っていた。控えめにいってもイケメンだ。 「ほぉ。俺に次いでイケメンだな」 小川が軽口をたたくと、和歌以外の女性陣が爆笑する。 小川さん自分に自信ありすぎ! と聞こえてくる。 「なに? もう結婚も考えてるの?」 「正直、このままいけたらいいなとは思ってはいるんですけど」 「あらあら、ごちそうさまです」 そんなやりとりを端から見て、大地は新卒で入ってきて初々しかった後輩が結婚するまでになったかと思うと、なんだか娘を見送る父親のような心境になって複雑な顔をした。それに気づいたか気づかないか、和歌が大地へと話を振る。 「先輩は結婚しないんですか?」 「相手がいない」 そこに小川も口をはさみこむ。 「まーだ。引きずっているのか? もういいじゃないか。俺は、お前に孤独死して欲しくないんだよなぁ。会社に来なくなったなぁと思ったら、部屋で死んでましたなんて嫌だぞ」 「え!? 引きずるってなんですか!? 聞きたいです! 先輩!」 「いやいや……。あー、つまらない話だよ。浮気されて振られたってだけ」 「あー……」 特別何か凄い物語があるわけじゃない。 この仕事の忙しさにかまかけて、大学から付き合っていた彼女をほったらかしていたら、いつの間にか他の男とくっついていたというだけだ。 浮気と言ったが、向こうとしては自然消滅していた認識で浮気とも思ってなかったかもしれない。 仕事で疲れ切った毎日の中、相手を見つけて、アプローチをしてデートをして、死ぬほど気を使って……。 億劫だ。 そんなこんなで、気が付けばもう30を過ぎていた。 仕事の辛さを紛らわせるためにこのような雑談をしながら進める仕事。 腕時計をちらりと見ると、20時を示していた。 正規の労働時間が9時30分~18時30分なので、既に残業中だ。 今夜も終電間際での帰宅になるのだろうなと思っていると、顔を真っ赤にした60代くらいの男性がズカズカと部屋に入ってくると、けたたましくわめきちらした。 「あー! 今日はもうやめだ!! みんな、帰れ帰れ! なんて馬鹿馬鹿しい! あんなやつらと付き合うんじゃなかった!! いいか! 俺は帰るぞ!! なんだったら皆で飲んで来い!!!」 男――大地達の上司は、叫ぶだけ叫んだら、やけくそ気味に財布から万札を何枚か机に叩きつけると、さっさとその場を去っていった。 その場にいた大地達を含めた10人程度が、ぽかーんと顔を見合わせると、やったー! と歓喜の雄たけびを上げた。 今日は金曜日で明日は休み。 なら、狂宴の始まりだ!!! 毎日終電間際まで残業しているせいで、滅多にない飲み会。 皆浴びるように酒を飲み、仕事の愚痴に花を咲かせた。 ② 瞼を閉じていても明るく感じる日の光が窓から差し込んでいる。 「うっ……。今日は……休み……だよな?」 酒は抜けたと思うが、今までの疲れが溜まっているのか、気怠い体をベッドから起こそうと蠢き始める。 駆け布団をめくると、ふわりと甘い匂い。 そして、シーツについた赤いシミが一つ。 極めつけは、生まれた姿のままの自分。 斎藤大地の頭に、昨夜の出来事がフラッシュバックする。 白無垢姿の猫耳娘が突然訪れて、いや、しかし、それは夢のはずだ。 「なんだ。この赤いシミは。いや、まさか。えっ、でも、この匂いは!?」 裸族でない自分が一人で全裸で寝ることはないはずだ。そして、この甘い眠たくなるような優しい匂いは……アラサーとなった自分から発せられるものではない。 「えっ。そんな。あれは、夢ではなかったのか? いや、どこまでが夢だ? 酔って俺は誰かをお持ち帰りしたのか!?」 脳裏に、頭の上に猫耳がある可憐な女の子とキスをした映像、身体を重ねた映像が流れ込む。 大地が混乱しながらベッドから出ると、美味しそうな焼けた卵の匂い、そして、とんとんと包丁がまな板を叩く音が聞こえてくる。 慌てて、その辺にあったガウンを羽織って寝室を飛び出し、リビングに飛び込んだ。 「あっ、旦那様。おはようございます。まだ、お疲れでしょう? まだ寝ていてよろしかったのに」 そこには、夢だと思っていた女の子がキッチンに立っていた。 着替えたのか、それとも白無垢と猫耳は夢だったのか、今は黒いブラウスとスカートに白いエプロンを身に着けていて、頭の上にも獣の耳はなかった。 美しも可愛い人間の女の子に見える。 「お、おはよう」 「はい。おはようございます。旦那様」 「えっと……大変、申し訳ないのだけれど」 「はい?」 「夢じゃ……ないんだ……ね?」 「はい。……はい」 女の子は途中で昨夜の睦事を思い出したのか、顔を赤くしながら少しうつむいて返事をした。 「えっと、ごめん。凄い酔っていたからなんだと思うけど」 「はい?」 「君が急に夜中に白無垢姿で現れて……はは。そんなわけないよな。猫耳が生えていただなんて……。えっと、怒らないで聞いてほしいんだけど、俺は君とどこで出逢って、どういう経緯でこうなっているんだっけ?」 「あぁ、耳ですか?」 女の子はあっけらかんと返事をすると、手で頭を撫でる。撫でたとたん、魔法のようにぴょこっと獣の耳、猫耳が頭の上から生えてきた。 「!?」 その様子にしばし絶句し固まる大地。 1分ほどだろうか? 必死に昨夜の記憶を思い出そうとし、目の前に起きている現実と整合性を取ろうとする。 「えっと、つまり、昨夜の出来事は何一つ夢ではなくて……?」 「はい。旦那様にご恩をお返しするために、こうして嫁ぎに参りました」 「まだ……夢を見ているのか?」 しかし、大地の目に入ってくる光景は、日の光に照らされて鮮やかに色を放ち、匂いと音も自分の五感は現実であると告げている。 「あ、あの?」 黙り込んでしまった大地を、困惑した様子で見ている女の子。 大地は呆然とした様子で、女の子の傍まで歩み寄ると、その猫耳を恐る恐る触ってみる。 暖かく、それでいて耳の背はしっとりと吸いつくような肌触りの良い毛並みが感じられる。 作り物には感じられない。 「旦那様? 猫耳がそんなに珍しいですか?」 「……夢ではないのか……」 「はい。私は確かにここにいますよ」 女の子が優しくニコリと微笑んで、耳心地の良い穏やかなソプラノの声で答えた。 (あれが、夢ではないとするなら……俺は……!?) 初対面の女の子を家の中に連れ込み、更に酔った勢いで初めてを奪ってしまった……。 顔からサーっと血の気が引いていくのがわかる。 「あ、あの旦那様。今からするのですか? ちょ、ちょっとまだその違和感が残っていまして……いえ、旦那様が望まれるのでしたらお応えする覚悟はあるのですが……その……」 大地は混乱していある間ずっと、猫耳を撫でまわしているのに気が付いた。 肌触りの良いしっとりとした上品な毛並みのせいで、いつまでも撫でまわしたくなる魅力がある。 いつまでも撫でまわすので、これからことが始まると思ったのか、女の子が顔を赤くして潤んだ瞳で大地に訴える。 「あっ、ごめん! ……いや、本当にごめん。というか、申し訳ございませんでした!!」 大地はその場に土下座した。 ガスコンロで火をかけられていた小鍋から、美味しそうなみそ汁の匂いがしていた。
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