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第2話 牢獄
3時間ほど延々と怒号を聞いたところで、森川がまた居室にやってきてニコニコしたまま
「砂金さん。申し訳ありませんが、菊川くんをそろそろ返してもらっていいですか?」
と言ってくれた。
「あぁ……。僕もね。予定があるんだよ。やらなきゃいけないことがたくさんあるから。もう出て行ってくれ」
さすがに、3時間延々と怒鳴り続けたからか、砂金も最後の方は疲れも見え、俺はあっさりと解放された。
砂金に頭を下げながら、廊下に出ると森川がドアを閉めながら俺に言った。
「菊川くん。お陰様で砂金さんは今夜は寝てくれるかもしれない。ありがとうね。じゃ、次行こうか」
「どういうこと?」
「ごめんね。バタバタしちゃって説明できなかったね。砂金さんは、アルツハイマー型認知症なんだよ。しかも、最近昼夜逆転気味でね。この時間帯、いつもだったら寝ちゃってたんだよね。君が話を聴いてくれたおかげで、今夜は寝るかも」
「はぁ……?」
「夜中起きてるとね、スタッフの呼び出しコールを連打し続けてね、ずっと今みたいに昼間の文句を言い続けるんだよね」
「うわぁ‥‥‥‥」
「寝てくれたら、夜勤がちょっとは楽できるからねぇー」
「森川は、ここのスタッフなのか?」
「たまーに、手伝いにくるの。私も知り合いに手伝ってって呼ばれてさ。呼んどいてそいつは、もうやめちゃったんだけどね。なんか、放っておけなくて来れる時は来てるの」
「へぇ」
あらためて森川を見ると、身長は160㎝程度で、やたらスレンダー。それでいながら、胸はそこそこあってスレンダーな体型だからこそ、その大きさが目立つ。目もタレ目で、黒い肩まである髪を、今はシュシュでうまくまとめ上げている。……なんというか狸顔だ。初対面の人間誰しもが、優しい人間だろうと予想するだろう。
実際、優しくて面倒見が良いと思う。
ひねくれ者だろう俺にも優しく声をかけてくれる。だから、勘違いしてしまうわけだが。
今は、彼氏もできたのだろうか。
「ああやってね。部屋にこもりっきりだとね」
「え?あぁ、うん」
「気力が萎えちゃって、だんだんと寝たきりになっちゃうの。だから本当は食事も部屋じゃなくて、1Fのダイニングまで来てもらわないと本当はダメなんだけどね」
「言う事聞かないんだ?」
「うん。まぁ、あの歳になったら生き方変えられないよね」
「うーん」
「さぁさぁ、次行くよー。次はね、小松はるさん。98歳で、要介護1。あぁ、ちなみに砂金さんも要介護1ね。要介護といっても、お風呂の手伝いとリハパンをちゃんと毎日履き替えているかどうかのチェック以外は、全部自分でやってるわ」
「うん?うん」
「ただ、なんか楽しいことがないっていって、部屋で寝てばかりなのよねぇ。今、1Fのデイルームにいるから紹介するね」
そう言って、森川と俺は3Fの現在地から、エレベータに乗って1Fへ降りる。
エレベータの扉が開くと、向かって左側がソファやTVがあるリビング的な雰囲気がある広間、右側が食堂然としたテーブルと椅子が並ぶ空間がある。
小松はると呼ばれる婆さんが、ソファに一人で座ってTVを見ている。
周りに車椅子に座った爺さん婆さんが何人かいるが、全く会話があるようにみえない。
「小松さん!良い男連れてきたわよ!」
つかつかと森川が近づいて行って、わりと友達かのような口調で話しかけた。
小松はるは、身長は150㎝程度、体重は40㎏ないんじゃないかってくらい痩せていて、うすくなってほとんど頭皮が透けて見える白髪を、オールバックになでつけていた。
森川の声かけに、俊敏に顔を向けていたから、耳はちゃんと聞こえているようだし、動きも悪くないようだ。脇には杖がたてかけてある。
「えー!ほんとー!?」
小松が顔にかけている大きな眼鏡の位置を直しながら、わざとらしく嬉しそうに反応を返している。森川に促されて、小松の前に歩み寄って、さっきのように怒られないように、小松の目の前でしゃがみこみ、小松の優しそうな顔を上に仰ぎ見ながら
「菊川です。お話を聴きにきました。よろしくお願いします」
と俺が言うと
「あらあら。わっかいおとこねぇ。おいくつ?」と聞いてきた。
「今年で21歳です」
「はぁはぁはぁ。うちのひ孫と同じくらいだわねぇ」
「お孫さんじゃなくて、ひ孫さんですか?」
「そうよぉ。孫なんてもう40過ぎたわよぉ」
「えぇ!?」
「昔は産むのも早かったのよぉ」
「あぁ、まぁ、そうですよねぇ。そうなると……お子さんは……」
「うちのバカ息子はね、もう75になりますよ。ほら、そこに座ってる」
小松がそう言って指さした方向に顔を向けると、この中では比較的若いであろう…それでもお爺さんが黒い1人がけのソファに座って、なんだか……今にもそのまま死んでしまいそうな感じに眠っていた。
「お、親子でここで暮らしているんですね」
「そうよぉ。なんか胃癌をね。やったのよ。それ以来、あんなによぼよぼになっちゃってねぇ」
「はぁ」
「いやよねぇ。わたしねぇ98歳よぉ?なのに、私よりあの子の方が先死にそう」
そう言って、小松はよよよと大げさに泣く真似をする。
すごい世界だ……。
98歳なら……息子もそうなるのか……。そりゃそうか……。
それにしても元気だ。しかも、話もハキハキとしていて、ボケているようには見えない。
「じゃあ、小松さん。しばらくこの良い男に小松さんのお話聞かせてあげてもらっていい?」
森川がそう言うと、またぴゅーっと風のごとくどこかへと行ってしまった。
小松がそれを目で見送ると、俺に顔を向き直して
「そこじゃあ足もつらいでしょ。ここ座んなさいよ」
とソファの隣の席を手でぽんぽんと叩いて指し示した。
「はぁ。じゃあ、遠慮なく」
そう言って隣に座る俺。
TVの向こう側は大きな掃き出し窓になっていて、窓からは夏のような眩しい日差しが差しこんでくる。
「こんなに天気がいいなら、外を歩きたいわねぇ」
「そうですね。外は結構暑いですけどねぇ。」
「でもね。歩いちゃダメなんですって。一人では。閉じ込められてるの」
「あぁ、そうなんですね。それは、みんな何かあったらいけないと心配してるからじゃないですか?」
「わかってるわ。そんなこと。でもねぇ。ここでぼーっとTV見てても仕方ないじゃない?」
「まぁ、そうですねぇ」
「あんたもねぇ。こんなババァと話しててもしょうがないでしょ?もっと若い子を捕まえなさいな」
「はぁ…」
そう言って小松は、ゆっくりと立ち上がると杖を使ってよたよたと歩いて行く。
「どちらに?」
「自分の部屋でちょっと寝るわ」
本来であれば、ここで俺は寝るのを阻止しないといけないのだろう。
しかし、なんと声をかければよいのか、さっぱりわからなかった。
ただただ、ちょっとずつ遠ざかっていく背中を見送るだけ。
エレベータに向かって歩いて行く小松を、他のスタッフが通りかかるたび、「あら小松さんもう帰ってしまわれるの?」と声をかけあっていき、そのたびにちらりと俺の方を見る。
なんだか、「あいつ役にたたねぇなぁ」って言われているように感じてしまった。
「あちゃあ。やっぱりだめかぁ」
そう言いながら森川がどこからともなく現れて言った。
「すまん」
「いいのいいの。誰が話してもあーなっちゃうから。まだ時間があるなら、他の人にも声かけてみて」
森川がそういって、他の老人たちも紹介していったので、名前を覚えようと挨拶しながら必死に頭を働かしたが……。
だめだ……。
みんな梅干しに見てしまって……。よほど体格に差がある人は覚えられるが、他はみんな同じに見える。
そもそも老人慣れしているなら、まだしも。自分の祖父母ともろくに交流していない自分では、そもそも老人と話すのが今回が初めてであり……。未知の部族のように見えてしまって、全然見分けがつかない。
帰る時間になったとき、
「まぁ、これにこりなかったらまた来てあげて」
と森川は笑顔で俺を見送ってくれたが、俺は、森川が後で俺のせいで怒られているのではないかと気が気でない思いでいっぱいで……。
また、来る気にはなれなかった。
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