8人が本棚に入れています
本棚に追加
第1話 窓際にて
若葉にとって、ここが正念場だった。
一手の間違いも許されない。相手の動きのパターンは頭の中に叩き込んである。
「──チェック」
ここで追い込む。そして、一気に決めるんだ。
相手からの動きはない。
そう、チェックメイトだ。
「ふふふ、こんなの私にとっては朝飯前──」
「相変わらず、いいご身分ね」
「──ひゃっ!?」
恐る恐る振り向くと、若葉の先輩が立っていた。
目はしっかりと若葉のことを見下ろしており、ゴミを見る目とは、まさにこれのことだろう。
「や、矢崎……さん」
「別にあんたの仕事は期待していなけど、せめて不必要な書類をシュレッダーにかけるくらいは、して欲しいものね」
「まあまあ矢崎ちゃん、新人をいじめるのはやめてあげなよ」
若葉と矢崎の間を割って入ったのは、部長の王野だった。
「シュレッダーなら、私がやっておくからさ、そんなに言わないであげてよ」
「新人って……野窓さんはもう二年目でしょう」
矢崎は随分と立腹した様子で、王野を睨みつけた。そのきつい目線に「参ったねこれは」と苦笑い。
「部長は野窓さんを甘やかしすぎです」
「そ、そうかなあ」
「これじゃあ、給料泥棒と同じですよ」
「相変わらず手厳しいなあ」
王野は「まあまあ」と矢崎を宥め、
「野窓ちゃんが本来やるはずだった仕事は、私が引き受けているんだからさ、見逃してよ」
「はあ──ほんとに、もう」
矢崎は不服そうに肩の力を抜くと、まだ何が言いたげな態度を取りつつ、そのまま立ち去って行った。
「すみません、王野部長」
「いいからいいから。気にしないで」
若葉の肩をぽんぽんと叩きながら「それよりさ──」と続ける。
「──君に、頼みたいことがあるんだ」
「えっ」
若葉は驚いて王野と目を合わせる。
「わ、私にお仕事ですか!?」
「そんなところだね」
「自慢ではありませんが、私は入社一年目で社内ニート入りを果たした女ですよ」
「ほんとに自慢じゃないね」と、王野はひとしきり笑うと、
「君に『ある物』を預かってもらいたいんだよ」
と、少し真剣な顔持ちになった。
「ある物、ですか?」
「詳しくは、明日まとめて話すよ。まあ、会社の資料みたいなものさ」
「はあ」
王野はそれだけ言うと、自分の席に戻っていってしまった。若葉は首を傾げながら後ろ髪をかき「なんでしょう、一体」と呟く。
「ま、いいか」
若葉も自席のPCに向き直り、チェスを再開した。
「わーかば」
背中から声がかかる。
「ま、真希」
真希──若葉の同期にして、彼女の数少ない友人だ。
周りが若葉のアホっぷりに呆れて離れていく中、真希だけは変わらず親しくしてくれていた。
「今日はもう上がれるから、これから飲みに行かない?」
時計を見ると、既に定時を回っていた。
「分かった。待ってね、この仕事を片付けるから」
「仕事って……チェスじゃん」
真希が呆れ笑いをする中、若葉は慣れた手つきで「チェックメイト」と告げた。
最初のコメントを投稿しよう!