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1-2猫が社長でしゃべってる
もののけ、とは。
古くは「物の気」のことを言い、遭遇時点では得体の知れない何者かのことを示す言葉である。
その正体が陰陽師などの力ある者によって明らかにされると、「死者」や「怨霊」に分類されて名を持つこととなる。
「な~んて言っていたのはうちの死んだおじいちゃんだったと思うけど、私は陰陽師とかその類のひとじゃないからわからないな~。でも、死者はどぅんどぅん襖にタックル決めてこないと思うし、自分は猫だからって愛くるしさアピールしたりしないと思うし、ん~、これはやっぱり怨霊、でも怨霊にしては何かこう、実体感が」
「おい。愛くるしさアピールってのはなんだ。俺はただ事実を言ったまでだぞ」
龍子の思考ぐるぐるはあろうことか声に出ていたようだった。それを聞きつけた襖の向こうの相手が何かしらクレームをつけてきている。
事実、とは。
「ええっとぉ……、猫でいらっしゃいますか?」
「さっき見ただろ。目ぇ合ったよな、古河龍子」
やばい相手に顔を見られた上、名前まで把握されているということは理解できた。
自称猫で人間の言葉を話し、ボロアパートの押入れの奥からしきりとこの世に這いずり出てこようとしている、もののけ。
(この襖は人類最終防衛ライン……! 開けたが最後ここから始まる百鬼夜行!)
死守しなければと思う一方で、正直に言えば逃げたい気持ちが強すぎて、龍子の襖を押さえる手から一瞬、力が抜けた。
サラッ
しめやかな音ともに襖が開き、その向こうにはスーツ姿の眼鏡の青年が立っていた。
「夜分遅く失礼します。半信半疑の呪法だったんですが、無事に成立したみたいで。あなたの部屋はいまわが社の社長室とつながっています。こうして話すのは初めてですが、あなたのことは存じ上げておりますよ、古河龍子さん。ここで立ち話もなんですから、こちら側まで来て頂けませんか? 申し遅れました、私は秘書課社長付第一秘書の犬島と申します」
青年の足元は、次元の境目的な虹色の歪みとなって不安定に揺れている。そこを前足で踏もうとした三毛猫を、すかさず屈んで片手で拾い上げて、にっこりと微笑みかけてきた。
(いま絶対、「呪法」って言った。そしてとても丁寧に異界に誘われてる……)
驚きを通り越して虚無からの無表情になった龍子の反応をどう解釈したのか、青年秘書犬島はさらに言い添えてきた。
「もちろんそこの境界を超えてこちらに来て頂いてからは、勤務時間とみなして残業代をお支払いします。そこは社内的に問題なく処理できますので、ご心配なく」
(心配の理由は絶対そこじゃないってわかってるはずなのに、スマートに金銭の問題にされてる……! しかも同じ会社ってこと、パワハラにならない空気感でさりげなくアピールしてきた!)
下手なことを言ったらカウンターで丸め込まれる感がひしひしとする。龍子は慎重に言葉を選びつつ、尋ねた。
「なぜ……、私の自宅アパートと会社がつながっているんですか?」
「逆にお聞きしますが、古河さんこそ、本当に心当たりは無いですか? たとえばそういうこと、願ったりしませんでしたか?」
「願っ」
(あーーーー! 願いましたーーーー!)
龍子の表情の変化だけで、犬島は何事か了解したようだった。さらににこっと微笑みかけられる。
その犬島の手の中で、憮然とした表情の三毛猫が言った。
「出社」
眉をしかめて、龍子は猫に言い返す。
「シンプルに次元超えを促してきますけど、お猫様はさぞかし名のある山の主なんでしょうか? なにゆえそのようにえらそうに」
「社長だ。現代日本でことさら身分差などと言うつもりはないが、会社組織は縦社会で便宜上の上下関係は存在し、命令する・従うという主従関係は存在する。俺は社内的には古河さんのめちゃくちゃ上の方の上司だ。社長だからな」
ヒュッと龍子は息を呑んだ。
(社長……、そういえばうちの会社の上層部はガチガチの親族経営で、社長なんてこの規模の会社に見合っていないやけに若いイケメンだった気がする……。けど、新入社員で平社員から始めて縁故駆使しているにしても営業成績が鬼で優秀さは折り紙付きでもはや当時の成績は伝説っていう、猫宮社長)
さーっと基本情報を頭でさらって、最後に思い出したのがその名前。
「お猫様は……、弊社の猫宮社長でいらっしゃいますか」
「そうだと言ってるが?」
「社長、猫だったんですか」
「現状、猫だ。ここまで見られた以上、古河さんには厳重な口止めが必須だ」
真面目に話そうとしているのに、猫が苦渋に満ちた顔と渋いイケメンボイスで話している姿があまりに可愛らしくて、龍子はついに噴き出してしまった。
「あっはっはっ、うちのボロアパートの押入れが社長室につながったと思ったら、社長が猫で人間の言葉しゃべってる……! どうしよう私、いつ寝たのかな。立ったまま寝てる? は~、ものすごい夢を見てしまった」
襖閉じて寝よう。
そう思って、手を伸ばしたそのとき。
犬島が、目の前で猫からぱっと手を離した。もちろんたいした高さではないし、猫ならば無事に着地するだろうと思ったが、ほとんど反射で龍子は手を伸ばしてキャッチしてしまった。
もふっ。
つやつやの毛皮に触れた瞬間、指の先でその触り心地が変化して、みるみる間に猫が人間へと姿を変えていく。
支えきれずに手を離したときには、見覚えのある長身の若社長が聳え立つがごとく龍子の視界を塞いでいた。
「猫が消えた」
うまく事情が飲み込めないでいる龍子の手首を問答無用で引っ掴むと、強く引く。
抵抗する間もなく、龍子は虹色の敷居を越えさせられていた。
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