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2-1一夜明けて、朝の景色
限界社畜である龍子は、どんな状況でも寝られる。
繊細さなど腹の足しにもならぬ。疲労滅ぶべし。
その精神で挑み、見事に勝利した。
というのも、前夜は社長室での邂逅の後、コタツと一緒に高級車に乗せられ、都内とは思えない広大な敷地の一戸建て猫宮家本宅に連れ込まれた。そこでシャワールーム付の部屋と着替え一式をあてがわれた結果、「何がなんだかわからないが命の危険は無いなら寝よう」と判断し、寝た。
それはもう健やかに。
明けて、朝。
「よく寝たわ…………」
窓からは明るい光が差し込んでいる。
見慣れぬ天井は、ベッドを覆った木製の天蓋。
起き上がって室内に目を向ければ、そこはレトロ建築好き垂涎の西洋館らしき一室。龍子も、仕事で扱っているのは不動産だが、こういった建築や内装には目がない。
ベッドからするりと抜け出すと、裸足のまま部屋の中を歩き回り、調度品のひとつひとつを見て歩いた。
(天井はアールデコ様式のシャープな意匠、シャンデリアはたぶんアンティーク。壁紙は落ち着いたモスグリーン。家具類は新しいものもありそうだけど、あの天蓋付きベッドのいかつさはいかにもアンティークだし、このカウチソファの張り地も、見間違いでなければヴィクトリアンあたりのジャガード生地……、とても座れない)
重厚ながらも趣味の良さを感じさせるインテリア。
アンティーク調で似たようなものを家具屋で買い求めてもかなり値が張りそうだが、ここは猫宮社長の本宅。
いくつかは本当に百年から百五十年前、明治大正時代に西洋から輸入された年代物ではないかと思えば、使用どころか触れることすら気後れする。
前夜投げ出したカバンが、肘掛けまで優雅な曲線を描くローズウッド材らしき一人がけソファに無造作に投げ出されているのを見つけ、龍子は飛びついて持ち上げた。
「博物館に展示されていても不思議はない家具になんてことを……! 立入禁止のポールをたててロープ渡して保護しておくべきでは。こんな文化財に触るなんて、恐れ多い」
怖い怖いと呟き、ふと部屋の隅に目を向ける。
そこに、この空間には何もかも不釣り合いながら見覚えのあるコタツを見つけ、その親しみあるフォルムにほっと息を吐き出した。
「持ってきて良かった。コタツがあれば他に何がなくとも」
こんなゴージャスな空間にひとりきりでは胃が痛すぎるので、コタツの存在が沁みる。
いそいそ近づき、バッグを天板に置くと、木の床に腰を下ろして溜息。布団を置いてきたのが悔やまれる。
ちょうどそのとき、コンコン、とノックの音が響いた。
返事をしようとして、龍子は自分がガーリーなネグリジェ姿であることを思い出す。名前は聞いたことがあるが、生涯縁がなさそうだと思っていた高級ブランドの。
「古河さん、起きているだろうか」
「は、はい! 起きていますがパジャマです! すみません!」
声の主は猫宮。声だけでは、人間か猫か判別つき難いが、ノックした以上人間形態と考えるのが妥当。惜しい。
「起きているなら、そのまま聞いて欲しい。昨日は準備が後手にまわって済まなかった。着替えを用意したので、部屋の前に置いておく。俺の番号のメモもあるから、支度ができたら電話してくれ。この家は客がひとりで歩くと、迷う」
「はーーいっ!」
(迷う……さすが大邸宅)
今更ながらとんでもないことになっているな、と思いつつ龍子は立ち上がってドアに向かった。
* * *
久しぶりに熟睡して目覚めはすっきりだったが、時計を確認すればまだ朝の六時。
身支度を整えても、出社までは余裕のある時間帯だった。住所はよくわからないが、少なくとも普段龍子が暮らしているアパートよりは会社に近いはず。
(昨日着ていた服は洗濯にでもいったのか何もない。このスーツ一式、サイズは合ってるけどものすごく高そうな)
用意されていたスーツに袖を通し、猫宮に連絡をすると、犬島が迎えに現れた。
朝で社外ということを考えれば、いつ休んでいるのかわからないくらい、平素と変わらぬ折り目正しいスーツ姿。
「おはようございます」
「おはようございます。犬島さんは、ここに住んでいるんですか」
「そういうわけではないんですが、部屋は用意して頂いています。結果的に泊りがけになることもあるので」
「秘書って大変ですね」
「すぐに慣れますよ」
(……慣れ?)
受け答えに若干の違和感はあったが、すぐに話題が移り変わり聞きそびれる。
「昨日はよく寝られましたか?」
「それはもう、ぐっすり。ただ着いたときは疲れていてよく見ていなかったんですけど、さすがにすごいお屋敷ですね。旧函館区公会堂かと思いました」
あはは、と龍子が笑いながら言うと、肩を並べて歩きながら犬島も感じよく笑って言う。
「ああ、古河さんは御出身が北海道なんですよね。旧函館区公会堂はたしか、明治時代の竣工でしたか。時代的には猫宮本宅の西洋館も近いです。設計はジョサイア・コンドルの流れを汲む建築家で、時代とともに設備は入れ替えていますけど、基本的には建築当時の面影を留めるような手の入れ方をしていますので」
(流暢な説明ですけど、私の個人情報ガッチリ押さえてるぅ~!)
一夜明けて疲労から回復して思考も回り始めてみれば、状況の異様さにかえってつっこみにくいものを感じる。下手なことは言えない、と。
返答にまごついたちょうどそのとき、犬島がドアの前で立ち止まる。
ノックすることもなく開け、龍子を通した。
「こちらで少しお待ちください。社長も向かっていますので、まもなく到着します。私は朝食をご用意して参りますので」
「あ、ああ~、そうですね、お腹は空いてます……!」
言われた途端に急に空腹が意識され、龍子は正直に告げた。犬島は感じよく笑って「では」と言い置いて去っていく。
(待てと言われた以上、動き回っても仕方ないし中で待ちますか)
ジタバタしても仕方ない、と龍子は部屋の中に足を踏み入れた。
部屋の内装の豪華さに溜息をつく前に、熱い視線を感じて足を止め、辺りを見回す。
ソファに座った三毛猫が、じっと龍子を見ていた。
(三毛……猫!?)
もしかして、と龍子は思わず話しかけてしまう。
「まさか、社長でいらっしゃいますか!?」
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