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2-2社長……!
猫宮社長らしき猫は、豪奢な張り地のソファに香箱座りをしていた。
龍子の問いかけに、表情を愛らしく動かすこともなければ、「にゃあ」の一声もなく鬱陶しそうに目を細めて見返してくる。
(この威厳、間違いなく社長ですね~!)
ふてぶてしさ満載のザ・お猫様の態度に、龍子はにへら~っと笑ってしまった。
猫かくあるべし。
「おはようございます、社長! ご機嫌斜めの様子ですが、もしかして猫チャンになってしまったのがご不満でいらっしゃいますか! いやいや普段の百倍お可愛らしいのに、もったいないですね~。もう少しこう、ほんのちょっとだけ愛想を振る舞ってくださったら全人類ひれ伏すの確定だと思うんですけど! だがしかし、そのいけずな感じが良い」
うんうん、としたり顔でまくしたてる。
三毛猫は、ぴくりともせずに龍子を嫌そうな顔で見ていたが、やがて興味を失ったとばかりに耳まで裂けんとする大あくびをした。
それを見て、龍子は両手を胸の前で組み合わせる。
「社長、昨日から思っていたんですけど、猫仕草完ッ璧ですよね。いつか猫化とやらが引き返しつかないところまでいっても、社長なら猫界でも十分君臨できると思います。ぶさかわ系アイドル猫として。あ、これ、褒め言葉ですよ? 子猫の可愛らしさもふわふわ猫のなんだか得体の知れない毛玉っぽさもない純三毛猫で表情がそれだけ『無』だと、猫界では美人猫には分類されないと思うんです。でも、ぶさかわにも需要ありまくりますんで!」
最終的に拳を握りしめてエールを送ったところで、背後に風を感じた。
「黙って聞いていれば、ずいぶん好き勝手言ってくれるな。誰がぶさかわだ。それはブサイクカワイイの意味で間違いないか?」
ごく近いところで腰砕けの美声でどやしつかされ、龍子は完全に石化する。
何をどう誤魔化そうかの算段をしたが、何も思いつかないまま、そーっと振り返った。
そこには、白皙の美貌を極限まで氷結させて周囲の温度まで下げまくっている、長身のスーツ美青年が立っていた。
「わぁ……、猫宮社長が分裂しちゃった。あっちにもこっちにも」
「大丈夫か古河さん、顔色が蒼白だが。ちなみに分裂はしていない。あれは猫だ」
にこりともしないで言われた言葉は、どう考えても気遣いより脅しの響き。
龍子は部屋の中に入り込む形で一歩後退。
すかさず一歩詰めて来て、猫宮が陰々滅々とした声で言った。
「俺も昨日のやりとりでわかったことがある。古河さんの中では人間より猫の方が上だし、猫であればぶさかわでもいけるくちだ」
「わぁ、見透かされてるぅ……。というか社長それもしかして、人間時より猫時の方がウケが良かったことに動揺してらっしゃいます?」
「君の」
重々しい口ぶりで、猫宮は龍子の質問を遮った。
そして、剣呑な様子で目を細めると、咳払いとともにその先を続けた。
「勤怠状況及び生活ぶりを可能な限り調べさせてもらった。昨日は直帰の扱いだったようだが、もしかしてあの時間帯に家に帰り着いているのか? もし仕事で遅くなったら、それは会社が把握しているよりずいぶん余計な仕事をしているようだが、何にそんなに時間を取られて疲労困憊になっている? それと、あんな不便なところに住み続けている理由は? もう少し会社の近くのマシなマンションに引っ越そうとは思わないのか?」
怒涛のような質問攻め。
猫の話題をかっ飛ばされたことは若干予想外であったが、龍子は居住まいを正して「それはですね」と答えに専念することにした。
「住居に関しては、家賃が格安で学生時代から住み続けてまして……。ちょうど卒業時にまとまった引っ越し費用がなくて、そのうちにと思っているうちにずるずると時間が過ぎました。うちの会社、交通費全額支給だから、通えるのであれば遠くてもそこは問題なくて」
「それで疲れてしまっているようでは、本末転倒だろう。しかもなんだ、昨日は取引先でずいぶん引き止められたのか? それにしては普段からたいした営業成績も上げてないようだが、効率を考えて仕事をしているか?」
くっ、と龍子はひそかに奥歯を噛み締めた。
人間形態の猫宮社長は、さすがにエリートらしく話を詰めてくる。龍子の生活には何か根本的な問題があり、解決可能なはずなのに本人がそれを怠っている、と考えているようだった。
「それにつきましては、何を答えても言い訳になるんですが。私の場合、取引先に行くと長話が始まってしまうというか。それを振り切れなくて。どうしても毎回、帰りが遅くなってしまうんです」
朝だというのに、今日もどの角度から見ても完璧な二枚目である猫宮は、そこで微かに小首を傾げて龍子をじっと見つめた。
「少し答えにくい質問をする。これはセクシャルハラスメント的な意図はないものとして、仕事上の確認だと認識した上で答えてほしい。君は取引先に、女性として何か無体な要求でもされているのか? 過剰な接待とか」
「あ~~~~~~~~! そういうのではないです! 単に、長話に引っかかってるだけです。こう、私の抱えている案件って、家にひとが来たらここぞとばかりに日頃の鬱憤やら世間話やら話そうと手ぐすねひいているおじいさんおばあさんが多くてですね! 私、おじいさんおばあさんに弱くてついつい聞いちゃうんですよ、もう、沼」
嘘ではない。
祖父母に可愛がられて育った龍子だけに、お年寄りは大切にしたいという気持ちが強い。必要以上に寄りかかられているとわかっても、なかなか無下に出来ないのだ。
断じて、いかがわしい接待を要求されているわけではない。
龍子の返事を聞いて、猫宮はほっと息を吐き出した。ついで、高貴さを漂わせた目元に冷笑を浮かべて、口角を持ち上げた。
「その答えを聞いて安心した。たいした成績も上げていないのに、身を切り売りしてボロボロになっていると言われたら、俺も社長として立つ瀬がない。いまの話を総合するに、だいたいは『身から出たサビ』というやつだな」
「おっしゃる通りですね! 一件あたりの所要時間が増えれば扱える件数も少なくなります、わかっているんですが。それでなくても、顔見知りのお客さんの雑談に付き合っているだけでは、新規案件に繋がっていかないので」
言葉にすればするほど、自分がいかに営業として無能かが浮き彫りになる。しかし、これほど龍子について調べている猫宮だけに、どう取り繕ってもそこは隠せないと腹をくくった。
意外なことに、猫宮は「大体わかったから、もういい」とそこであっさり話を打ち切った。優しさではなく、平社員の仕事ぶりに本当に興味がないだけかもしれないが。
「とりあえず、立ち話もなんだ。朝食も届くだろうから、この先は食事をしながら話そう。昨日君に知られた俺の身体的な事情と、君の普段の仕事ぶりから考えて、暫定的に君の配置換えを考えている」
まるで英国の古城ホテルのラウンジのようなソファ類の間を抜け、猫宮は窓際のダイニングテーブルへと龍子を誘う。
通りすがりに無言のまま視線だけ向けてくる三毛猫と間合いをはかりつつ、龍子は猫宮に尋ねた。
「配置換えということは、部署移動ですか。引き継ぎは」
「抱えている案件は確認させてもらっている。適宜割り振るから、君は気にしなくて良い。何かあれば、同じ社内なので問い合わせくらいは来るだろう。君は今日から秘書課だ。俺のそばにいてもらうには、それが一番自然だ」
「お猫様係」
思わず聞き返すと、げんなりした顔で猫宮が振り返った。
「そうだが、それだけじゃない。俺は営業経験のある先輩社員として、君の働きぶりを極めて遺憾に思っている。俺のそばで、少しは勉強するように。お年寄りをあしらえないということだが、そんなものやろうと思えばすぐに身につく。年寄りを敬うのはもちろん大切だが、君の時間だって無限にあるわけじゃない。自分を犠牲にするような仕事の仕方はするな」
渋い表情で淡々と話す猫宮を見上げ、龍子はぽかんとしてしまった。
「猫社長、社員のことずいぶん考えてらっしゃいますね……!?」
「猫じゃない、猫宮だ」
窓からの朝陽を浴びて、嫌そうに呟いた猫宮の姿が。
嘘のようにすうっと萎んで、人間形態から猫様にメタモルフォーゼするのを、龍子は目撃してしまった。
「ゆ、夢じゃなかったんだ……。お猫様」
龍子の呟きに、エジプト座りをした三毛猫は、落ち込んだようにうなだれた。
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