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2-3猫は友情の証、熱い絆
「あ、社長、猫」
ホテルのルームサービスよろしく、シルバーのワゴンを押して現れた犬島が見たままの事実を口にした。
ずぅんと落ち込んだ様子で、猫宮はエジプト座りから香箱座りに座り直す。
見るに見かねて、龍子は励ましを口にした。
「社長、さっきみたいに威勢よくかましてくださいよ。『猫じゃない、猫宮だ』って。お手々ないないしてる場合じゃないですよ!」
長いしっぽもくるりと体に巻き付けた猫宮は、沈んだ声で呟く。
「猫だ……」
「お認めになられている……!」
二人の横をすり抜けて、窓際のテーブルに皿を並べていた犬島が、くすっと笑って言った。
「すっかり仲良しになっていますね」
「お前の目は節穴か」「わかります!? 私、昔から断然、人間より猫なんで!」
思い思いの言葉を口にする二人をよそに、皿を並べ終わった犬島が「ごはんですよー」とのどかに呼びかけてきた。
すっかり空腹に苛まれていた龍子は、いそいそと歩み寄る。
「すごい……! ホテルの朝食みたいですね! 焼き立てパンに、スコーン、サラダとふわふわオムレツ! ローストビーフやフライドポテトまでついてボリューム満点!」
「ジャムは三種類、すべて自家製。クロテッドクリームとあわせてどうぞ。ジュースは搾りたてのりんごジュース。コーヒーはポットに淹れてきているのでお好きなだけ。紅茶もあります」
「嬉しい~、頂きます!」
椅子に手をかけたところで、龍子はふと肝心なことを思い出して振り返った。
「猫! 宮、社長」
「おう。さすがにこの手でフォークは握れないなぁ……」
しょぼん、と沈んで肉球の並んだ手を見下ろしている、哀愁たっぷりの三毛猫。
歩み寄った犬島が、よいしょ、と拾い上げる。
そして、龍子の方へと目を向けた。
「古河さん。いまこそあなたの力が必要なようです」
「あー、お力になりたいのはやまやまなんですけど、そもそも猫化とか解呪とかなんですかね。私、その、そういった呪法の訓練を積んだ覚えはないんですが」
日本語的に正しいことを言っているはずだが、龍子はふと不安になってきた。あまりにもこのひとたち普通に猫になったり異次元通路開くけど、変だよな? と。
その淡い疑問から目をそらせるが如く、犬島が感じよく言う。
「あなたご自身に覚えがなくても、血によって継がれているものがあるのだと、社長も私も考えています。現に、社長の猫化も本人が意識したものではなく、先祖伝来の因縁のようなもので。あ、どうぞ、座ってください。時間を無駄にしないよう、この先の話は食事をしながら」
示し合わせたわけでもないだろうが、社長の猫宮同様、犬島も効率の観点から食事をしながらの会話をすすめてきた。似た者同士らしい。
それでも龍子が猫宮を気にする素振りをすると、猫宮がちらりと視線をくれて言った。
「俺のことは気にするな」
「わかりました。頂きます」
決断は速やかに。
さっさと椅子をひいて座り、温かなおしぼりで手を清めて、龍子はりんごジュースに手を伸ばす。ぐいっと一口飲んで、目を見開いた。
「美味しい! 健康になりそう! スコーンも好きなんですよ、わぁ。焼き立てなんてはじめて。クロテッドクリームは憧れですね! このマーマレードも自家製なんですか? 一緒にたっぷり塗って……はぁ~、めちゃめちゃ美味しい! すみません、ひとりで堪能して! 美味しいです!」
美味しいしか言っていない状態になったが、なにしろ龍子は限界社畜根性が染み付いている。体力維持のために、食べられるときに食べておけというのは、鉄の掟であった。
眼鏡の似合う理知的なナイスガイである犬島は、猫になった社長を手に抱えながら、にこにこと龍子を見つめつつ口を開く。
「では改めて。猫宮家と猫化の因縁について、かいつまんでお話をします。ことの発端は藤原氏の栄華を極めた平安時代」
「んぐっ」
思った以上の昔話がきて、龍子は喉にスコーンを詰まらせた。
飲み物をどうぞ、とすすめてから、犬島はその続きを話した。
* * *
――今よりはるか昔。
神・霊・鬼・物の怪・妖怪と呼ばれる不可思議な存在が、ひとの世界に密接に関わっていた頃。
鬼と猫のあやかしによる激しい戦いがありました。
(ええーっ!? 猫のあやかしって鬼と戦えるの!? 猫、強ッッ! 桃太郎はなんで鬼ヶ島行くときに猫をスカウトしなかったの?)
「古河さん、聞いていますか?」
「はい、もう両耳全開で聞いています。大変興味深いです」
「では続けます」
フォークを入れると、とろりととろけだす黄金のオムレツ。自家製らしくみずみずしい食感のトマトケチャップと絡めて食べて「美味しすぎる」と呟いてから、龍子はもう一度我に返り、「どうぞどうぞ」と犬島に先を促した。
その手の中で、三毛猫がたいそう険しい顔をして、龍子を見ていた。
――血で血を洗う熾烈な争いの末、見事猫のあやかしは鬼に打ち勝ったのです。
しかし、それで平和が訪れたかといえば、ことはそう単純ではなかった。
人里に災いをもたらした、数々の霊障。それを引き起こしたのが鬼ではなく猫のあやかしだと誤認したひとびとによって、あやかしは迫害の憂き目をみることになったのです。
このとき、ひとの身でありながら猫の側に立ち、猫の守り手となったのが猫宮家の先祖。
あやかしは友好と感謝の証として、人間のまま自由自在に猫に変化できる能力を授けてくださったのです。
この力を用いて、猫宮家は現在の繁栄につながる成功を収めたと伝えられています。
「猫の恩返し的な……? じゃあそれ、良い力ってことですよね?」
「大元をたどればそうなんですけど、いま現在は呪いに近いですね。見ての通り、コントロールがきかなくなっているんです。つまり、自分の意思で猫から人間、人間から猫への変化ができない状態。まさにきまぐれなんです」
「猫だけに」
合いの手を入れたら、三毛猫の猫宮が「うるせぇな」と毒づいた。
「猫宮社長、心なしか人間のときより猫形態の方がお口が悪いですね! そんなところも猫らしくて良いと思います! 推せますよ!」
龍子は心から言ったのに、猫宮の返事はシャアアアアという猫らしい威嚇だった。
犬島はいっさいをそよ風のようにやり過ごし、やわらかな笑みを浮かべたまま話を続行した。
「時代が下り、猫化の能力は段々薄れていきました。ちょうどここ百年、百五十年。明治大正の頃でしょうか、猫化する能力者は一族の中から現れず、あやかしの恩返しは期限を迎えたと考えられていたのです。が、しかしここにきて颯司さんに能力が発現しました」
「それが出物腫れ物所嫌わず、猫化」
「出物と一緒にしてんじゃねえよ」
猫様はたいそう不機嫌そうだったが、龍子はどうしてもその声を聞くと(あは~、猫チャンしゃべってる~!)としまりのない笑顔になってしまう。なお、犬島はやはりすべてを黙殺。
「さすがにこのままでは社会生活が危ういということで、昨日先祖伝来の呪法を試みたのです。詳しい説明は省きますが、上等なコックリさんのようなものだと思ってください」
「上等なコックリさん」
「そこで巡り合ったのが、わが社のルーキーである古河龍子さん、あなたです。あなたは猫化の特効薬のような存在と考えられます。解呪の発動条件はわかりませんが、おそらく接触することで猫宮を人間に戻す能力がある。ちょっと触ってみてください」
流れるように犬島は猫宮を差し出してきた。
ちょうどパンを飲み込んだところであった龍子は「いいですよー」と気軽に手を差し伸べ、嫌そうな顔をしている猫宮のふっくらもふもふした頬に触れた。
……しん。
「あれ?」
声を上げたのは犬島か、龍子か。
どういうわけか、昨日は接触しただけで人間に戻った猫宮だが、このときはまったく変化が見られず。
猫宮は、三毛猫の姿のまま、ふるふるとひげを震わせて言った。
「解呪できない、だと……?」
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