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2-4解呪常套手段「キス」
三毛猫は、落ち込んでいるように見えた。
しかし、立ち直りは早かった。
「犬島、今日の予定を確認する。出社が必要な案件は後日にまわせるだけまわせ。接待や会食はなかったはずだな。会議は……」
「今日は良くても、先延ばしにした案件は必ず巡ってきます。仕事はある程度リモートにできても、会食は『その場にいることが大事』なので人任せにはできません。第一、戻れなくてどうするんですか? その姿でにゃーにゃー鳴いて口説いて、猫との間に跡継ぎをもうけるんですか?」
ぶふ、と龍子はふきだしてしまった。
二人から同時に視線を向けられ、口元をおさえたまま「すみません、すみません」と平謝りをする。
「あの、大変深刻な話をしているのはわかっているつもりなんですけど、想像したら面白くなってきちゃって。秘書に指示を出す猫っていうのも、絵面がかわいすぎて」
「貴様」
「すみません」
テーブル上、龍子が手を伸ばせば触れられる位置にとどまったまま、猫宮が険しい顔で見上げてくる。
それは、龍子としてはドストライクのぶさかわ顔であったが、口に出して伝えてしまえば無事では済まないのは明らかなので、耐えた。
にらみ合うふたりをよそに、犬島が軽やかな声で提案してきた。
「接触の濃度を変えてみるのもいいかもしれませんね。触れる程度で効かないなら、いっそキスでもして頂いて。呪いを解く定番の」
「は~~~~~~~~~!?」「私は構いませんよ?」
犬島お前何言ってんの!? とばかりにキレ散らかす猫宮をよそに、龍子は力強く請け合った。猫宮が、どこをとっても嫌そうな顔で目を細めて、龍子を胡散臭そうに見てきた。
「断れよ。安請け合いしていると、減るぞ」
「そりゃあ私だって、人間の猫宮社長相手だったら嫌ですし断りますけど。いま、猫ですからね。万が一発情されても交尾できませんでしょう」
「若い娘がなんてことを言うんだ。俺に対するセクハラじゃないのかそれは」
三角形の耳をぺたーんと後ろに折りたたみ、おぞましいものを見る目をして猫宮が全力抗議をしてくる。
「そう言う社長はどうなんですか? 私がキスするとしたら同意します? あとから不同意だったと言われても困りますので」
「なんでそんなにやる気なのか知らないが、俺は人間に戻れるなら試せることは試す……ぞ」
「言いましたね」
ううう……と引き気味の猫宮を捕まえ、龍子は満面の笑みで宣言した。
「いただきまーす!」
「食うなーーーー!」
にゃあああ! と威嚇顔をした猫宮の鼻先に、龍子の唇が軽く触れた。
その効果はめざましく。
ぱっと龍子の手から離れた猫宮は、飛び降りた床でしゅうう、と猫からひとの姿へと変化した。
(ん~。質量保存の法則ガン無視。それとも人間から猫になるときは莫大なエネルギーを消費……やめよう、わからない)
「はぁ~……食われるかと思った」
あらゆる角度から見て隙のない美青年であるところの猫宮が、ぼやきつつも素早く立ち上がる。朝イチ顔を合わせたときよりも明らかにやつれた様子で、溜息。
笑顔で寄り添った犬島が、その肩に優しく触れ、悪びれない様子で言った。
「キスの効果絶大ですね。良かったですね、社長。ありがとうございます、古河さん」
「強引に良い話風にまとめようとしていますけど、お力になれたなら何よりです」
食事を終えていた龍子は、ささっと席から立ち上がった。
じろっと睨みつけてきた猫宮(人間)が、テーブル越しに龍子の向かいの椅子に手をかけ、「どこへ行く」とドスのきいた声で問いかけてくる。目つきが鋭い。
ひえっと引き気味になりつつ、龍子は半笑いで言い訳を口にした。
「もうお役御免ということで」
「そんなわけないだろう。キ……の、猫化抑止効果がどれだけ持続するかもわからない。俺がいつ猫になるかもわからない。古河さんには予定通り、今日付で秘書課に移ってもらう。この現象が解決するまで、俺のそばにずっといてもらうからな。公私ともに」
「差し出がましいようですけど社長、デートのときはどうなさるおつもりですか?」
そこまで付き合わされるのは、いくら時間外手当が出ていても勘弁だった。確認のために尋ねると、もともと渋い表情をしていた猫宮の口が「む」とへの字になった。
ならばお助けキャラの犬島さんに聞こうと龍子が目を向ければ、犬島は非の打ち所のない笑みを浮かべてきっぱりと言い切った。
「社長にはそういった相手はいませんので、ご心配なく」
「えっ、本当ですか。忙しすぎて相手が見つからないとか? このレベルのイケメンでもそんなことあるんですか」
「家同士のつながりで、良家のご令嬢と婚約の話が出たこともありますけど、今のところ成立していません。社長は完・全・フリーです」
なぜか力強く言われたが、龍子としては(キスまでした後だから、相手がいた場合、不貞行為で訴えられないか私が気にすると思っているんですね)と納得した。
「猫化に関しては、一時期まったく能力者が現れなかったことにより、失われてしまった知識があると推測しています。ですが、猫宮家の記録をたどればどこかにヒントくらいはあるかもしれません。まったく解決の目処が立っていないわけではないので、古河さんにはそれまでの間、社長のサポートをして頂ければ」
「そうでしたか。わかりました。これが会社を辞めるとなったら無理でしたけど、失業じゃなくて配置換えなら。全部が終わったあと、再就職先を探さなければいけないわけでもないですし……」
言いながら不安になってきて、龍子はちらりと猫宮の様子をうかがった。
すでに朝食に取り掛かっていた猫宮は「なんだ」とばかりに顔を上げる。
「あの~、私、口止めのために消されるなんてないですよね? 大企業怖~い」
「それは絶対に、無い。俺の猫化が先祖伝来のもので、古河さんの抑止力も同様なら、猫宮家にとって古河さんが貴重な血族であるのは間違いない。おいそれと消せるわけがないだろう。むしろ一生俺のそばにいて欲しいくらいだ」
言い終えると、ナイフとフォークでほんのりさめたオムレツを切り分けて口に運び、咀嚼。
その様子を、龍子と犬島は言葉もなく見つめてしまった。
注目に気付いた猫宮が「ん?」と二人の顔を交互に見る。
「何か言いたそうだが」
「いえ、まったく。社長がそういうことを女性に言えるのに驚きましたが、無自覚であることにさらに驚きました」
犬島が何か失礼な意味合いのことを言っているのは、龍子にも察せられた。
龍子としては二人のやりとりにさして興味はなかったが、(一生は無理だなぁ)と思いつつ、念のため確認をすることにした。
「あけすけで申し訳ないんですが、待遇面をお聞きしますね。配置換えによる減給……、営業より秘書の方が給料が安いということはありますか? 私、いまお金を貯めているところで、収入が減るのは困るんです。その、時間外のお手当はあるみたいですが」
ここはしっかり聞いておくべきところ。
犬島に聞いたつもりだったが、反応したのは猫宮の方が先。
布のナプキンで口元を軽く拭って、尋ねてきた。
「それは俺も気になっていたところだ。給料に見合わない安アパートといい、贅沢している様子もない暮らしぶりといい、古河さんの収入は何に消えているんだ? 貯金だとしても、そこまで生活を切り詰める理由はなんだ?」
それは――
龍子が即答できずにためらったところで、テーブルに置かれた猫宮のスマホが鳴った。
そこから朝の時間は慌ただしいものになり「後で聞く」と言われ、ひとまずその場は終わりとなった。
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