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3-2猫宮家で迎える夜
「函館の祖父母の屋敷か……。猫宮家の猫化の秘密が、ここ百五十年くらいの猫化人間不在で口承部分が断絶したとして、古河さんも先祖のことは何も知らないみたいだけど、そういうところに何かヒントが残されていないだろうか。人手に渡ったのは確かに惜しいな」
猫宮家の屋敷に帰り着いて、夕食。
それはもう宮中晩餐会さながらに豪華で……!
とは、ならなかった。
犬島がアプリで注文したデリバリーピザを、素晴らしい家具調度品の揃った部屋にて三人で囲んで食べながらの、雑談。
(ハウスクリーニングを始めとした家事手伝いはすべて通いで、「執事」なんかもいないごくふつうの家……。猫化のこともあって犬島さんが泊まり込んでいるけど、普段はこの家に猫宮さんひとりって)
両親は海外住まい、兄弟はそれぞれ別に家があって出てしまっているという。
セキュリティは各種契約済で万全。
家の維持管理のためにひとは雇い入れているが、住み込みはいない。
なお、朝の食事は犬島が用意したとのことだった。
秘書の必須スキルの多彩さに龍子は今から戦々恐々としている。同じことをやれといわれても、まず間違いなく同じ仕事ぶりにはならない。
「屋敷に関しては、私も通っていた当時は子どもだったので、詳しくは知らないんですよ。母が相続した頃はすでに大学のために家を出ていて、地元に帰省する回数も少なかったです。それこそ、長期休暇はバイトをしていましたし、帰るといっても年末年始くらいでした」
「北海道って、お盆の習慣ないんでしたっけ」
龍子の説明に、犬島が質問を投げかけてくる。
パイナップルとハムチーズのトロピカルピザを噛んで飲み込み、龍子は「そういうわけでは」と答えた。
「親戚づきあいの多い家ですとか、あるところにはありますけど、本州ほど重視されてはいないと思います。特に函館近辺は新盆が多いです。この場合の新盆は初盆の意味ではなく、七月盆の意味です。ただそれで一族郎党必ず集まるとか、そこまでしていたひとって周りではあんまり思いつかないですね。うちも先祖供養は命日にお墓参りをするのが基本で、取り立ててお盆の習慣は……。本州だと『お盆は帰省しないと』ってその時期学生バイトが激減するので、私なんか主戦力扱い。抜けにくくて帰省はしていませんでした」
人手が足りないと言われれば、働いてしまう。思えばその頃から、社畜になる準備は出来ていた。
あらかた話し終え、ピザも食べきったところで、お開きの流れとなった。「片付けは自分が。古河さんはまだ家のことよくわからないでしょう」と犬島が言って、空き箱やペットボトルをまとめながら、猫宮に対して何気なく言う。
「金曜日の夜で明日は会社も休みですし、社長が猫になっても古河さんがいるわけですから、今日のところは一度家に帰ります。何かあったら連絡してください」
「そうだな。ここのところずっと泊まり込みありがとう。悪かった。ゆっくり休んでくれ」
「いえいえ。このお屋敷は生活するに不便はないので、そこは良いんですけど。うちも長く空けていると、さすがに気になりますので」
さらっと業務連絡がてら話す二人。龍子がぼんやり見ていると、気付いた犬島が声をかけてきた。
「古河さんが当面必要と考えられるものは、昼のうちに手配して部屋に運び込んでいます。不足があったり、ご自分で選びたいものがあればご相談ください。古河さんがこの家で必要とするものは、飲食も含めすべて現物支給分扱いで、別途個別請求などはありません。外商を呼ぶなり通販で着払いにするなり、請求は猫宮にまわるようにして頂ければ」
「外商……?」
またとんでもない言葉が飛び出した。犬島は「はい」と、平然と頷く。
「社長の猫化で、休日とはいっても外出もままならないことも考えられますので……。私も、明日一度顔を出すつもりではいますが、猫になった社長ができることは、猫同等のことだけですから」
「少し疑問だったんですけど、猫化能力は、あやかし猫様からのプレゼントなんですよね? その力を使って今に至る繁栄を築いたって言ってましたけど……、只猫……? あの、すごい神通力とか何か」
猫宮(人間ver.)が俯いてしまった。
(無いんだ……。社長、かわいいだけの猫チャンなんだ……)
察した。
龍子がその事実に行き着いたのを見透かしたように、犬島がさわやかに言った。
「いずれにせよ、人間のときの社長は仕事に関しては優秀ですから。ただ、働きすぎのきらいはあったので、こうしてときどき猫になってお休みになるのもいいのかもしれなせん」
「そうですね……! 猫のときくらい働かないでコタツで丸くなってれば良いんですよ! 猫にはそれが許されます!」
龍子は思わず力を込めて言ってしまった。
猫宮は口を挟むことなく、横を向いて苦笑していた。
* * *
解散して、犬島は帰って行き、龍子は自室に戻る。
部屋を見渡して、朝と変わらぬ西洋館らしき光景を満喫した後、ふと隅にあるコタツに気付いて声を上げてしまった。
すぐそばに、コタツ布団セット(新品)が置いてある。
部屋の雰囲気に合うようにしたのか、モダンな赤系タータンチェック柄。使ってくれとばかりに絨毯まで敷かれていたので、龍子はいそいそと布団袋から布団を出し、コタツにセットする。
「すごい。違和感バリバリあるのに、強引に溶け込んでいる。ここが自分の居場所だと主張している。さすが私の相棒……!」
そのまま潜り込んでぬくぬくしてしまいたかったが、何しろその日身につけていたのは皺にするのが恐れ多いブランドスーツ。社長付秘書となればみすぼらしい格好はできないとはいえ、普段の龍子の手が届くようなものではない。
部屋に併設しているバスルームで、シャワーを済ませて着替えてしまわねば。
替えの服や下着類も注文しておく、と日中犬島に言われてサイズ等の必要事項は伝えていた。
思い立ってクローゼットを確認すると、中には龍子用らしい数着のスーツ他、私服らしきワンピース等も取り揃えられている。ざっと見て、その量にめまいがした。
(ドレスみたいなのもある……。ドレスって)
貧乏暮らしの庶民が、突然貴族の養女になったかのような待遇。
もちろん、猫宮家本宅をジャージでうろつかれるわけにはいかないとか、社長に同伴する何かしらの席において、スーツではなくとも暗黙のドレスコードがあるとか。いちいち慌てないための準備ではあると考えられたが。
平社員古河龍子、頭を抱えてしまった。
「この投資額、半端ないって……。会社的には微々たる必要経費かもしれないけど、私の給料何ヶ月分……」
内心、これだけあったら函館の屋敷を買い戻すのに使いたかったなとは思ったが、所詮はこれは他人のお金。この投資分、自分で稼げるようにならねば、と心に誓う。
猫脚のバスタブが置かれたバスルームにも、ふかふかのバスタオルやマット、香りの良いシャンプーや石鹸、真新しい基礎化粧品やコスメがずらりと取り揃えられていた。昨晩よく見ないで適当に使わせてもらった贅沢におののきつつ、拝んで使わせてもらう。もちろん、ファンシーな花柄のパジャマ類も完備。
シャワーを済ませて乾きの良いドライヤーで長めの黒髪を乾かして、部屋に戻る。
猫宮家はオイルヒーター等で常時暖房が入っているようで、コタツが恋しい秋の夜でも底冷えするほど寒くはない。
それでも、せっかくなのでコタツで温まろうと、いそいそとルームスリッパで歩き出したところで。
ごすん、ごすん。
「おーい、俺だー。古河さん、ちょっといいだろうか」
明らかに人間形態ではない物音を立ててノックらしきものをしながら、猫宮がドアの前で鳴いていた。
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