35人が本棚に入れています
本棚に追加
5
「……見えましたか?」
老人が、俺に白いハンカチを差し出した。俺はハンカチを受け取って涙を拭い、黙って頷く。
「今のは……俺は、時計と共に過去に戻っていたんですか」
普段の俺なら、馬鹿げた質問だと一笑に付すようなことを、真面目に訊いていた。今見たものは、夢でも嘘でもなかったから。
「……過去には、戻れない」
老人はまた鼻までずり落ちた眼鏡を押し上げながら答えた。
「君が見たのは、時計に刻まれた思い出じゃ。言ったじゃろ、刻まれた思い出は消えない、と。時計は、時を刻むだけではなく、思い出も共に刻んでおるのじゃ」
のう? 良樹くん。老人は俺を見て首を傾げて笑う。名乗った覚えはない。
「何で俺の名前……」
「蓋の裏を見てごらん」
言われて懐中時計の蓋を開ける。銀色に輝くそのふちに、小さな文字で何かが彫られていた。顔を近づけて目を凝らす。
To Yoshiki
ふっと笑みが漏れる。自分の名前じゃなくて、俺の名前を刻むなんて。最初から、俺に贈るつもりだったのか。
最初のコメントを投稿しよう!