第60話 話数をキリ良くするためのオマケ

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第60話 話数をキリ良くするためのオマケ

 自分が会社のお荷物で、老害で、いわゆる働かないオジサンだと思われているのは、分かっている。営業成績は悪いし、企画はマンネリだし、事務的なミスも多い。でも、俺は働いていないわけじゃない。俺なりに頑張っている。ただ、絶対的に、人間としての能力が低いだけなんだ。できるくせにサボってる輩と同一視しないでほしい。俺には、まじめにやろうとする志だけはある。  なんて言いつつも、50過ぎにもなって外回りの営業を続けていると、体力的には厳しい。いや、精神的にも辛い。家に帰っても一人。咳をしても一人。嗚呼、無常。  …だったのは、過去の話だ。俺は、引っ越しが面倒くさくて新人の頃からずっと住み続けていた1DKの木造アパートを引き払って、2LDKのマンションに移住した。ここは、なんと、ペットを飼えるのだ。    帰宅した俺は、昨年飼い始めたイヌとソファでくつろぐ。ゴールデンレトリーバーやジャーマンシェパードのような、大きくて毛の長いのが飼いたかったが、仔イヌ本体及びその後の飼育に掛かる経済的な問題で断念。ミックスの、小さい柴犬のような見た目のイヌである。もう少し大きくなってくれると良いなと期待していたが、ここらで打ち止めらしい。 「プラ、明日からお父ちゃんはお出かけだから。じいちゃんの家に行くんだよ。」 「わふ」  うくうう。返事がある生活って、良いなあ。  翌日、俺はイヌを連れて家を出た。行き先は、知り合いの小林という爺様の家だ。バスに乗りたいところだが、イヌがいるので歩いていく。歩いて歩けないことはない距離なのだ。それに、イヌがいれば、散歩も楽しい。  ほら、気が付くともう目的地だ。俺はチャイムを鳴らした。すぐに、がらりと戸が開いて、ぎょろ目で気難しそうな爺様が顔を出した。こう見えて、若い頃はフリルの似合うめちゃくちゃに可愛らしい美少年だったのだから、分からないものだ。  それにしても、小林さんはいつもインターホンを使わずにいきなり戸を開ける。不用心だ。うちの子を預けている間は、閉め切っていて欲しいものだ。 「今日明日と泊りで出張に行きますので、明後日の夕方までお願いします。」 俺は小林さんに頭を下げつつ、イヌのリードを手渡す。 「これがごはんで、こっちがトイレのシートです。それから、お水はこの、アルペンルートの天然水を…。」 「イヌころにゃ水道水で十分だろ。何甘やかしてんだ。」 「はあ…。」 これだからお年寄りは。  小林さんはかつてイヌを飼っていた。そのイヌは少し前に天寿を全うしたのだが、小林さんはイヌとの接し方をちゃんと心得ている。その点は信用しているのだが、やり方が古風で困る。イヌはヒトより鼻が良いし、敏感なんだから、カルキ臭い水道水なんてあり得ないじゃないか。 「んで、こいつの名前は?」 「プラです。」 「…何だ、その、資源ゴミみたいなのは。」  小林さんは顔をしかめて、そっぽを向いた。名前の由来は分かっているだろうに、この反応である。たぶん、プラの首輪やリードが薄水色なのも、分かっているくせに気付かないふりをしているのだ。まあ、この人はそういう人だ。 「アウルムの方が良かったでしょうかねえ。」 俺が冗談を言うと、小林さんは眼光鋭くこちらを睨みつけた。うわっ、怖。この世代の人って、どうしてこう異様な迫力があるんだろ。 「くだらねえこと抜かしんてんじゃねえよ。とっとと仕事行け。」 「す、すみません…。」 「その腹がへこむまでは、駅までバス使うんじゃねえぞ。」 「は、はい。」 「忘れ物はねえな?」 「は、はい、たぶん。」  お母さんかよ。  とはいえ、俺が小林さんをお母さん代わりに使っている側面があるのは否定できない。数日前の晩御飯も、小林さんが作ってくれた肉じゃがだった。俺は家庭的な手料理が好きなのだが、自分ではとんとやらない。小林さんに挨拶に行くと、大抵何か作り置きの野菜料理を分けてくれるので、最近頼りにしっぱなしなのだ。小林さんいわく、俺はもっと野菜を食うべきなんだそうな。分かっちゃいるのだが、コンビニ弁当や外食だと、難しい。 「バカ野郎、いい加減自分で作れ。めんつゆで適当に煮るだけだろが。」 小林さんは毎回そう言って怒る。怒るくせに、通いタッパーを満たしてくれる。  いつもお世話になっていて申し訳ないので、俺は時々空のタッパーと一緒に手土産を渡す。俺だっていい歳をした社会人だ、それくらいの心遣いはできる。今回も、何かお土産を買って帰ろう。俺はそう考えて、出張先で地酒とお菓子などを購入した。 「どうもお世話になりました。これ、お土産です。」  出張が終わり、俺は駅から小林さんの家に直行した。毎晩、電話をかけてプラの声を聴かせてもらっていたが、もう、会いたくて会いたくて。本当はSkypeやLINEで姿を見ながら通話したかったが、お年寄りの小林さんにそれを求めても叶わなかった。だから、余計にイヌ成分が枯渇して、干からびる寸前だ。 「おう、気を遣わせてすまねえな。ほれ、イヌころだ。」 小林さんは土産の袋を受け取りながら、プラのリードを差し出した。当のプラはと言うと、至極元気かつご機嫌な様子でしっぽをちぎれんばかりに振っている。くうう、いい子だ。俺はプラを撫で回した。 「お父ちゃんでちゅよ~。寂ちかったかい?おうちに帰りまちょうね~。」 「いい歳のおっさんが、なんて言葉遣いしやがる。」 小林さんが苦り切っているが、しょうがない。だって、かわいいんだもの。  俺はプラのリードを受け取った。プラも帰りたくて帰りたくて、気が急いているに違いない。一刻も早く家に戻ろう。俺はそう考えていたのだが、様子がおかしい。プラが、小林さんの脚元にまとわりついて離れないのだ。 「お父ちゃんのこと、忘れちゃったのかい?そんなあ。」  俺はショックのあまり、その場に崩れ落ちた。すると、プラが寄って来て顔を舐めてくれる。ところが、この隙に連れて帰ろうと思うと、すぐに小林さんの方へ行ってしまう。畜生なんて、所詮こんなものなのか。それとも、俺の人間としての不完全さが、イヌにまで伝わってしまうほどなのか。悲しい。悲しいよ。  結局、プラがちっとも小林さんから離れないので、その晩は俺も小林さんの家に泊まることにした。悔しい。何か、イヌに気に入られるコツがあるに違いない。それを目で盗んでやる。  そう決意していたのに、土産の地酒と第三のビールがちゃぶ台に並び、いんげんの胡麻和えやらイカと里芋の煮物やら、俺の好物が勢ぞろいである。酒に強くないくせに酒が好きな俺は、すぐにだらしなく酔っ払い、イヌに好かれる技術を学ぶゆとりはなくなった。 「おっ、栗蒸し羊羹じゃねえか。」 「晴香ちゃんがお好きでしたよね。名物だったので、買ってきました。」 「よく覚えてたなあ。ありがとよ。明日にでも孫に渡しておくよ。」 「わふ」  そんな雑談の間も、プラは小林さんのそばで侍っている。しかし、こちとら既に夢見心地で、小林さんがどんな手練手管を弄してプラを篭絡しているのか、さっぱり分からない。ごくたまに、すごく適当に、背中を撫でてるだけじゃないか?もしかして、手料理の匂いがポイントか。確かに、俺がいつも食べるコンビニ弁当やスーパーの総菜の匂いは独特だ。あれがダメだというのだろうか。 「めんつゆ、買おうかな…。」  そう思いついたところで、俺は意識を失った。 「遠くから愛をこめて 果てしなき時の彼方に キュア・プラティヌム!」  甲高い声が響いた。    どこから聞こえるんだろう?そう不思議に思ったが、どう思い返しても自分の内側から出てきている声だ。でも、俺の声はおっさんのだみ声。同世代の同性の中ではやや高めかもしれないが、断じてあんな声変わり前の少女のような声ではない…って、声変わり前?まさか。  俺は慌てて自分の身体に目を向けた。どこか懐かしい、フリルとリボンがいっぱいの愛らしいドレスだ。ミニスカートに見えるけれど、実はこれはミニキュロットで、逆さまにされたって中の下着は見えない仕組みになっている。随分乱暴に逆さ吊りにされた俺が言うのだから、間違いない。  え?待てよ。これ、って? 「うぬんがーあっ?!」 「よう。久しぶり。」  俺が我に返って思わず雄たけびを上げた直後、背後から声が掛かった。聞き覚えのある、少年の声だ。    振り返ると、ピンク色を基調としたドレスに身を包んだ、美少女のような美少年が立っていた。髪は金色で、長いまつ毛に縁どられた、アーモンドのように切れ上がった大きなピンク色の瞳が印象的だ。    ああ、この後に半世紀以上の歳月が流れても、この大きくて迫力のある瞳は変わらないんだな。俺は妙に冷静な気持ちで、少年の面差しを眺めた。 「小林さん、ですよね?」 「おうよ。お前は深谷で間違いないんだな?」 「はい。」 「また、こうなっちまったってわけか。」  小林さんが頭をガリガリと掻いた。ああやって掻きむしっても、髪形は全く乱れないようにできている。 「何でかな…ショコラはもういねえのにな。」 小林さんは遠くを眺めながら元気のない様子で呟いた。そうだ。以前なら、俺たちの冒険をサポートしてくれる、ショコラちゃんという頼もしい相棒がいた。でも、イヌのショコラちゃんは高齢だったので、相応に体が弱って、亡くなった。今や、我々ドレスの少年たちを導いてくれるマスコットキャラはいないわけだ。うわあ、困ったぞ。 「ど、どうしたら良いんでしょうか…。」 「さあてねえ。悪者が都合よく出てきてくれりゃ、御の字だろうがよ。」  悪役を倒したら、現実に戻る。それがルールだった。それなら、今回も出てきてくれるのか。そうでないと、どうすればいいんだろう。そりゃ、現実はつまらないし、苦しいし、寂しいし、良いことなんてあんまりない。けど、俺はイヌと一緒に帰らなきゃならないんだ。こんなところに長居している場合じゃない。  ああ、プラ。おっと、今の俺もプラと呼ばれるけれど、そうじゃなくて、俺の愛犬のプラ。会いたいなあ。  そう思った直後、俺の身体に妙な力がみなぎった。そして、俺の意思とは関係なく横っ飛びになる。 「うわっ!深谷、てめえ、何のつもりだ!」 俺の身体は、小林さん、というか、魔法少年キュア・アウルムに抱きつこうとしていた。俺はまかり間違っても、高齢男性の小林さんに抱きつきたいとは思わない。さりとて、少年を愛する傾向にあるかと言うと、多分そっちの気もない。俺は、自分に近い年頃の女性を好きになる人生を送ってきた。マイノリティ側の性的嗜好で悩んだことは無い。それなのに、今、まさに、俺は幾度もアウルム少年を抱擁せんとして、無茶苦茶なアタックを仕掛けているのだ。 「こ、小林さん、助けてください。私の意思じゃないんです。体が勝手に。」 「んなことだろうとは思ったよ。まさか、今回の敵はそういうタイプなのか?」 「分かりません。」 「ぶん殴っていいか?」 「痛いのは嫌ですうう!」  拒否したのに、アウルム少年は俺の背中に手刀を浴びせた。ぐぶっ。この人、身体能力が半端じゃないんだよな。俺は無様に地べたに転がった。息が一瞬止まったぞ。もうちょっと手加減ってものが必要なんじゃないのか。 「おい、お前さん、何だそのしっぽ。」  アウルム少年に言われて、俺は身をよじって自分の尻に目を向けた。確かに、フリルのキュロットを突き抜けてしっぽのような房が伸びている。俺の意思なのか何なのか分からないが、忙しなく左右に揺れており、動きだけならイヌのようだ。でも、色は薄い空色で、毛も細くて長くてふわふわで、イヌっぽくない。 「耳も生えてるぞ。」 「耳なら、そりゃ、元から付いてますけど…。」 「そうじゃなくて、頭の上に三角が二つ。」  俺は頭の上に両手を伸ばした。豊かな毛髪の上に、ぴょこんと二つ突っ立っている物があるようだ。背中側は毛皮っぽい肌触りで、前側は毛が薄くてしっとり感がある。一番身近なもので言うと、イヌの耳っぽい。 「ええと…これ、どんな色してますか?」 「しっぽと同じだよ。気色悪いなあ。」  ピンクの眼をした少年に言われたくない。 「だーから、じゃれつくんじゃねえよ。」 「私の意思じゃありませんってば。」 「殴るぞ。」 「殴られても効果なかったじゃないですか。」 「他に手がねえだろ。」 「わふん」  とうとう、イヌみたいな声まで出てしまった。もう、全身イヌになっちゃたんじゃないか?と思ったが、そういう変化はない。自分で確かめられる範囲だけではあるが、外見は魔法少年のままだ。 「はっはっはっはっ」 「お前さん、イヌみたいだぞ。」 「わう、わう」 「こら、やめろ。まさかお前、ショコラ…いや、あいつは鳴かねえな。んなら、プラとプラの合成か?」 「ばうばう」 「おーい、戻って来い。人間の方のプラ。おーい。」  意識はあるんです。やめたいんです。ただ、身体が全く操縦できないんです。この思いを、小林さんに届けたい。届かない。俺はただのイヌだと認識され始めているようだ。自分でも、小林さんにじゃれつく動作も声もイヌにしか思えない。  ひどいよ、プラ。お父ちゃんを何だと思ってるんだ。  涙がにじんできた。視界がぼんやりとかすんでいく。それと同時に、魔法少年としての意識も薄らぐ。  ふと気が付けば、俺は小林さんの家でひっくり返っていた。腹が異様に苦しい。何だ、この圧迫感。内臓が潰れそうだ。 「わふ」 「わあ、プラか。」  腹の上からひょっこり現れたのは、俺の愛犬のプラだった。俺の上に乗ったまま、べろんべろんと俺の顔を舐めまくる。 「はは、苦しいよ、くすぐったいよ。」 「わふ、わふ」 プラの重みなら、苦しくたって何だって構うものか。俺は腹にプラを乗っけたまま、じゃれあった。さっきの夢の中のいじけた気持ちはすっかり消し飛んでいる。  と、コーヒーの香りがぷんと鼻腔を突いた。 「お目覚めのようだな。」 そう言いながら、小林さんがちゃぶ台にコーヒーカップを二つ置いた。 「イヌころの飯は、催促がしつこいから済ませちまったよ。お前さんはどうする?」 「ええと…」 俺は小林さんの様子を窺った。今回のアウルム少年としての出来事も、小林さんは覚えているのだろうか。それとも、あれは俺だけで作り出した正真正銘の夢?  うまく切り出せないまま、俺がまごついていると、小林さんはちっと短く舌打ちした。こういう時、この人は妙に鋭いんだよな。 「久しぶりに変な夢を見たのは覚えてるよ。大方、こいつのせいだろ。」 「きゅうん」 俺の腹から小林さんの脚元に移行したプラを撫でながら、小林さんが言った。 「お前さんも朝飯食って、さっさと帰りな。」 「は、はい。」 「んで、二度とうちに泊まるな。」 「は、はい。」  俺としては、もう何度か試してみたい気持ちもある。が、今はそれを言い出すべき時じゃないことくらい、鈍い俺にも分かる。俺は黙って人参サラダとりんごを食べ、目玉焼きトーストを平らげた。小林さんも、何も言わなかった。  俺はプラのリードを握りしめ、小林さんの家を後にした。帰ったらシャワーを浴びて、出勤だ。今日もまた、冴えない俺の日常が始まる。だが、俺にはこの子がいる。それだけで十分だ。たとえこの子が小林さんにものすごく懐いていても、この子と合体できるほど一心同体なのはこの俺なのだ。  よし。また何かの口実を見つけて、プラと一緒に小林さんちに泊まりに行こう。俺はスキップでもしたいくらいの気持ちで、歩いた。
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