第2話 ジジイによるプリキュア論

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第2話 ジジイによるプリキュア論

 日曜日の朝、朝刊に軽く目を通し終わった頃、プリキュアは始まる。会社を定年退職し、年金暮らしとなった今、とかく曜日の概念が薄くなって困る。いい歳のジジイである俺がプリキュアの絵柄や筋書に心奪われることは無いが、日曜日を身体にしみ込ませるためにはプリキュアが必要なのだ。  毎年毎年、新しいプリキュアが生まれ、卒業していく。いちいち名前や顔を覚えちゃいないが、各々のテーマに違いがあるのは理解している。この前のシリーズでは、たしか、男がプリキュアになっていた。俺は、男は男らしく、女は女らしく、の世代だ。正直なところ、昨今のジェンダー問題には感覚が付いて行かないが、これからはこういうものが必要とされるのだろう。理性で理解するしかない。  などと、殊勝に考えていたら、今度はイヌがプリキュアになりやがった。畜生が魔法少女だとさ。  男がプリキュアというのはまだ分かる。性別という概念にまつわる根深い問題は、これからの世の中で解決していかなきゃならん問題だろう。しかし、イヌだぞ。一体全体、何の問題提起なんだ?ペットを大事にしましょう、か?文化によっては、イヌだのネコだのを食肉にすることもあるという。それへの反対か。いや、プリキュアで扱うには、それはいささかナイーブすぎる。ジェンダーほど大っぴらには、正義の味方がどちら側かを決めづらいだろう。尖った書籍やネット上の無責任な言質ならいざ知らず、子ども向けアニメのプリキュアが現代の価値観だけで食文化の伝統を一方的に断罪することは難しいはずだ。  時代の先端を行きすぎていて、ジジイにはもう理解が追っつかない。日曜日が日曜日であることさえわかれば、それでよしだ。  俺はため息をつきながら、テレビを消した。イヌがプリキュアになるなら、ジジイやババアがプリキュアになったって良いんじゃないか?大人がプリキュアになるというストーリーは既にあるらしい。とはいえ、その大人というのは、所詮はキラキラお目目がおっきな若い女に過ぎないだろう。俺のようなジジイからすれば、中学生の女子も、二十歳前後の女子も、大差ない。もっと年を取っていないと意外性に欠ける。  しかし、頭の禿げたジジイや、腰の曲がったババアがプリキュアか。愛くるしい小犬が変身するより、ハードルは高いだろうな。イヌやネコは容易に「きゃ~かわい~」と言われるが、ジジイババアが可愛いと褒められるのは老人ホームでのお愛想が関の山だ。可愛くて強いことが売りのプリキュアと、みっともなくて弱い年寄りでは、ヒトであるということ以外に何の共通点もない。年齢差は、種差よりも遥かに高く険しい壁なのだ。
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