ソムリエ木龍島沙羅

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ソムリエ木龍島沙羅

空になったボトルやグラスを撤収してもまだワインの仄かな香りは残っていた。200人も入れば満員になる少ホール。試飲をしながらの講演会は今日もそこそこ盛況だった。一口二口と舐めるように口にするだけでも体に入るのはそこそこの量になり、少し休んでいかないと帰りは足もそぞろになってしまう。 アルコール弱者の下戸に近い体質で少量でもすぐに赤ら顔になって表情に出てしまう。そんな人間が今やソムリエのマエストロと呼ばれこうやって大勢の人の前であれやこれやと語りご飯を食べられる程に日々を生かされている。 アルコールは口に出来なくてもやっぱり木龍島の血が反応し機能してるんだろうか。江戸の頃から脈々と受け継がれてきた酒造りの血は確かに私に何かをギフトしてくれている。 捨てたはずの霧島の地に私は生かされている。縁を切ると大見得を切って十五の春にCHANPIONのボストンバッグだけを携えて木龍島の家を後にしたあの故郷霧島の地に。 窓の外を見ればもう東山の稜線が茜色を帯びて今にも真白な月が顔を出しそうなほどに陽は落ちかけていた。 思えばあっというの30年だった、 京都に来て泣かない日はなかった最初の10年。 私の青春時代は故郷の家族の思い出と美羅の幻影との闘いで過ぎていった。床につくと襲ってくる言い様もない不安と悲しみはそれがうつ病だと知るのに数年かかった。 羅羅が生まれるまでは私の周りの景色は色は無くモノクロで 蒼くて高いはずの京都の空も同じで見上げることすらできない日々だった。 そう羅羅が生まれてからあの子が生まれてくれてから少しづつ 周りを見る余裕ができた。 下を向いて顔を上げれないで石畳ばかりを見つめて歩いていた私が ちゃんと前を向いて歩けるようになったのはあの子が生まれてきてくれたから。 泣いて笑っておねしょしておむつ替えておっぱいあげて 1日がそれだけで過ぎていった。しんどくて寂しくて辛い日々、 けれど向き合ってる命はきらきらと輝いていて私にとっては宝であり生きる希望でしかなかった 日に日に私や美羅に似てくるその羅羅の面影にドキドキもした。 何気に街中で振り向いたりするとあの日の美羅を思い出してはっとしたり。美羅が戻ってきてくれたようで温かい気持ちに慣れたり。 そうやって私は確実に普通の日常を取り戻していった。 そんな時に出会ったのが祇園はまる吉の宵松のおかぁさんだった。 羅羅が生まれて赤ん坊をあやしながらの働き口を探していた私はお店の賄いさん募集の張り紙が目に留まり、見えない糸に導かれるようにふらふらとまる吉の暖簾をくぐった。 思えば豪気なことをしたもんだと今になって思う。 祇園まる吉と言えば京都花街でも老舗中の老舗 いくら賄いとはいえ紹介もなく一見さんでその上乳飲み子を抱えたままの化粧っ気のない三十女が老舗まる吉の暖簾をくぐったのだから。 まるでドラマの一場面のように日本髪の後れ毛を艶っぽく右の掌で撫でつけながら現れたのが宵松のおかぁさんのその人だった。 頭を下げて挨拶しようとする私を左の掌で制すると 「暖簾をくぐって来るようなお人はうちでは務まりまへん。どうぞお帰り」とぴしゃり。 おそらく張り紙を見て飛び込みで暖簾をくぐってくる私みたいな 侵入者と言ってもいい招かざる客が後を絶たないのだろう。 慣れた手つきでそのまま背中を押されると、外に出された私は振り向く間もなく背中でパチンと閉まる格子戸の音を聞いた。 振り返ることもできず、大きなため息を一つすると「そうだよね」とぽつりと零して訳の分からない浮かべた。 平日の昼間とはいえ祇園の通りは観光客の人並みで絶えることはなくて老舗の置屋の暖簾の前でポツナンと佇む乳飲み子を抱えた女を 好奇の目が粛々と通り過ぎてゆく。 「もうちょっと待ちよって。もう雨止みよるから」 程なく降り出した大粒の雨は足元を濡らし吹く雨混じりの風は羅々の頬を撫でていき、その度にクシュンクシュンと小さな鼻を鳴らした。傘もないので雨の中を駆け出すわけにもいかず。かと言って さすがに後ろの格子戸を今一度開ける勇気なんてある訳もなく 雨に吹かれるままに一向に止む気配のない雨雲が垂れ込めた低い空を見上げるしかなかった。 そして雨脚が一段とひどくなったその時だった。 格子戸が勢い良く開いたかと思ったら私の頭めがけて平手がペシンと飛んできた。 あほ!ややこを雨に晒してそれでもあんだ母親か! 振り返ると顔を真っ赤に紅潮させ目をしばつかせ今にも泣きださんばかりの宵松のおかぁさんが立っていた。 私に抱きつくようにして腰に手を回すとねんねこを慣れた手つきで解き まるでさらわれた我が子を奪うように羅羅を抱きすくめた。 見ると雨にぬれた羅羅は髪の毛から雨雫がポタポタと落ち 背中からお尻の方まで雨でぐっしょりと濡れていた。呼吸は早く口は半開きで小さくハァハァという喘ぐ声まで聞こえた。 「誰か!119番!救急車はよ呼んで!」 呆気にとられて立ち竦む私に今度は頬に平手がペシッと飛ぶ 「しっかりしよし!危ないかもわからんえ、この子!」 それが祇園まる吉の女将、洞院宵松との出会いだった。 病院に運ばれた羅羅は極度の低体温症と診断されそれから死の淵を彷徨った。栄養不良が引き金となり体力が落ちたところに雨に濡れ体温が著しく低下したことによる低体温症。 今夜が山になるから覚悟しておいてと3日続いて同じことを医者から告げられた。 そして4日目の朝、それまで虫の息だった羅羅が大きな泣き声を上げたときは宵松のおかぁはんと手を取り合ってただ泣いた。4日目にあったばかりの母娘の為にこの人は三日三晩私達に寄り添ってくれていたのだ。 「男と出ていった娘がおってな。それがまるで不意に帰ってきたようで感情的になっとたんやな。やや子背負ってまでまる吉の暖簾くぐってきてくれたあんたをわては理由も聞かんと追い出した。この子がもし死んだら、それはわてのせいや。この3日間、どんな思いでここにおったことか。堪忍やで許してや」 そう言って、手を床につかんばかりにこの3日間手入れもできず後れ毛が目立ち始めたその頭を下げた。 私は涙を拭くともできず首を左右に振り続けるばかりだった 涙で霞むその目の向こうに確かに神様が居た。私達の母娘の為に泣いてくれるまるで弁天様のような神様が居たのだ。 それから私と羅々の祇園の花街での暮らしが始まった それはもうただただ生きていくのに必死の日々だった。
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