序章

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序章

美羅を殺したんな、あたいじゃ あたいを刑務所に入れたもんせ あたいを死刑にしたもんせ 昭和の時代、30数年前の地方新聞の一面に踊った一人の少女の告白 それはあまりにもショッキングで当時の全国放送のワイドショーでも繰り返し流された。 九州は薩摩の霧島。老舗酒造の双子の姉妹。名前は美羅と沙羅。 人権擁護の捉え方もまだまだ曖昧な昭和の時代。それほど事件の経緯も調べもせずにこの言葉だけが一人歩きをしてしまう。 酒蔵で有名な霧島の老舗中の老舗、木龍島酒造。江戸の寛政年間から十五代続く先祖代々薩摩藩の御用達も務め南九州地方では地元の名士として名が通っている そんな名家に突然訪れた悲劇。 単なる交通事故と思われたその案件は事故に居合わせた木龍島沙羅の証言で急展開を始めた。 当時小学四年生だった木龍島美羅は小学校への登校中に大型ダンプカーにはねられその場で即死。連れ立って登校中だった妹の沙羅はダンプカーの運転手を除いては唯一の目撃者となった。 「はねられればよかと思た」 直後の事情聴取で沙羅はそう驚きの発言をする。 道路に飛び出そうとした美羅に声をかけなかった。 危ないって言えんかった。 言ったら美羅は助かったのに じゃから美羅を殺したんなあたいじゃ あたいを刑務所に入れたもんせ あたいを死刑にしたもんせ 小学校四年生、当時まだ10歳にも満たない少女の赤裸々な告白に社会は騒然となった。 前例のない案件。 迫る危険を知らせなかった。声を上げなかった。それだけで罪に問えるのか 過去の判例を照らし合わしてみても全くないと言っていい事件だった ダンプカーの運転手も一瞬のことで何も覚えておらず目撃者も皆無。 結局、年端もいかない子供でもありその証言の信憑性も問えず事件は不問に付された。 残ったのは当時まだ九歳の少女の小さな心に残った大きな傷痕だけとなった。 そんな母の贖罪とも言える出来事を何も知らずに私は二十年あまり生きてきた。母が双子で生まれたことも知っていたし実家が鹿児島は伊佐市の有名な酒蔵であるのももちろん知っていた。小学生になってから父に連れられ里帰りすることは度々あったし高校に入ってからは夏休みに一人で訪れることもあった ただそういう事実があることは母の地元においては完全になかったものとして扱われ、私の耳に届くことは露ほどもなかった。四半世紀ほどの時が過ぎて起きた事件自体が風化していることもあったのだろう。事件の性質からして当時を知る人々の心の奥底には深く根付いているのは確かだが年老いた者の口は思いのほか固いもので私には聞こえてこなかったのかもしれない。 何も聞かぬまま何も知らぬまま、 私は大学生活最後の夏を迎えようとしていた。
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