ありがとうを君へ

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「どうしてまた敬語に戻っちゃったの?」 「それ、は…」  本当にもうどうしたらいいかわからない。痛みはないけれど鈍い感覚が残っていて、それが本当に響さんに抱かれたのだと言っているようで恥ずかしい。響さんの顔が見られない。 「…特に意味はないです…」  絞り出した答えを微笑みながら聞いて、響さんは俺の髪を撫でた。 「光くんの髪、触り心地いいよね」 「そう…ですか?」 「うん、ずっと触っていたい」  くるくると毛先を巻き付けて遊ぶ指先が頬に触れて胸が高鳴る。なんだろう、このふわふわした感じ。響さんの事を考えるとあんなに苦しくて辛かったのが嘘のように柔らかい気持ちになる。そして響さんのひとつひとつの言動に心臓が脈拍異常を訴える。 「ずっとは…だめです」 「どうして?」 「心臓爆発しちゃうから」  正直に答えると響さんは声をあげて笑った。こんな風に笑うんだなと思いながら初めて知った響さんの一面にどきどきする。 「…響さんはなんで会ったばっかりの俺にママを頼んだんですか?」 「急な話題だね、もしかして気になってた?」 「はい…ずっと」  だってどう考えても答えが出てこない。突然現れた俺に家を任せようなんて考えに至った理由を知りたい。 「桃菜が選んだから。桃菜は俺と違って人を見る目があるから」  なんだか一+一は二だよって言ってるくらい簡単に答えてくれた。 「それだけですか?」 「それだけ」  ようやく一つ謎が解けた。そうしたら次々聞きたい事が浮かんできて、迷惑かなと思ったけれど他の事も聞いてみたくなった。 「俺の事そういう風に見てるわけじゃないって言ったのは…?」 「光くんを逃がしたくないって思ったら咄嗟に出ちゃった。ごめんね、嘘ついて」 「……そういう嘘ならいいです」  じゃああの時から響さんは俺を好きでいてくれたんだろうか、と思ったら顔がものすごく熱くなった。俺の考えを読んだのか、響さんは、そうだよ、と耳元で囁く。 「…あと、彰さんに桃菜ちゃんを見てもらってもらってるって言ってましたけど」 「また彰の話? 嫉妬してもいい?」 「えっ! いや、……いいです」  もごもご答えると。 「どっちなの?」  響さんは苦笑して聞き返してくる。どんな表情も優しいんだよな、響さんって。これが俺だけに向けられたらいいのに、なんていきなり独占欲丸出しな考えが浮かんだ。 「嫉妬してください、いっぱい」  髪を撫でる響さんの手を握ると、軽く目を瞠ってからキスをひとつくれた。ひとつひとつの動きが優しくて甘い。なんだか夢の中にいるかのような心地になる。 「…彰がどうしたの?」 「また鍵渡したのかなって…」  また小林家に堂々と出入りするのかなって考えたらなんだかもやもやしたものが身体の奥で蠢いた。 「渡してないよ。アルバイト代は後で渡すけど」 「えっ、お金渡すんですか!?」  驚きに声が大きくなってしまった。びっくりしてる俺にさえ優しい眼差しを向けてくれる響さんって色々すごい。 「バイト代渡すって約束すればきちんと見ていてくれるからね、あいつ」 「え…それって渡さないとだめって事ですか?」 「だめだめ。あいつお金が一番だから」  彰さんの事、よくわかってるんだなと思ったらまたもやもやが蠢き始めた。それを呑み込んで俺を見つめる響さんの目を見つめ返す。 「…響さんは?」 「え?」 「響さんはやっぱり桃菜ちゃんが一番大事ですか?」  響さんの手を両手で包むようにする俺を、空いた腕で抱き寄せる。この力強さが響さんなんだと思うと、ほっとするような落ち着かないような気持ちになった。 「うん、そうだね」 「そう…」  当たり前なんだけど。俺はなんて答えて欲しかったんだろう。 「でも桃菜と同じくらい大事な人もいるよ」 「……誰ですか?」 「教えて欲しい?」 「はい」  聞きたい。響さんの口から。 「敬語やめたら教えてあげる」 「おし………教えて、響さん」  敬語が出そうになったのを一度呑み込んで言い直すと、響さんはこれ以上ないくらいに嬉しそうに目を細める。 「俺の光りになってくれた人」 「光り?」 「うん、俺を照らしてくれる輝き」  唇が重なって、その柔らかさと温もりに目を閉じる。 「ありがとう、光くん。光くんの言った通り、今夜は絶対いい夢が見られる」  俺のほうこそありがとう、響さん。そう言いたいのにうまく伝えられなくて、もう一回俺からキスをしたらまた歯が当たってしまった。 END
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