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 舞台袖まで溢れた照明が目の前でぷつりと切れる。会場を満たしていた観客の笑い声も、拍手も、緩やかに遠ざかって闇の中に溶ける。  俺たちの出囃子が会場に再び熱を呼び戻した。盛大な拍手を左耳で受け取りながら、ササキの背中と付かず離れずの距離感で光の中へ堂々と飛び出す。 「ありがとうございます〜。ササキとヤマシタで、『ワイキキ』と申します。名前だけでも、覚えて帰ってください」  ササキが慣れた手つきでご挨拶と並行しセンターマイクの高さを数センチだけくいと上げる。ササキの声が放物線を描いて落ちる先ちょうどでマイクの位置が調整された時、導入で一番強調すべき「ワイキキ」の四文字が時間ぴったり到達し客席へ拡散された。 「……そういうわけで、遅刻したんですよ」 「いや遅刻したらあかんやろ」  俺がボケて、ササキがツッコむ。  最初のボケのタイミングで観客の歯は剥き出しに、そして、俺の視界は淡い黄色に染まる。  誰だって、感情と五感のいずれかが連動している。だけど色と感情がリンクしている「色彩型」の俺は日本では珍しいらしく、「触感型」のササキに 「不便なさそうでいいな。俺なんか漫才中汗かくから、襟元がすぐ黄ばむんだよ」 と羨ましがられたことがある。  確かに視界全体に靄のような色味がかかるけれど、例えば路上で心理的反応が起きた時、信号は今「赤」だから止まらなければいけない、と物理的な物の色は頭で理解できているから、日常生活で困ることはない。あくまで本物の色と、感情の色は脳内で区別され適切に処理されている。 「もういいよ。どうも、ありがとうございました」  拍手が背中を押す度に、黄色の靄はゆっくりと晴れていく。人を笑わせる仕事を、本日もまた無事にやり遂げた。  最近では劇場出番のみならず、テレビ出演のオファーも増えてきている。独身には月給20万は十分過ぎるくらいだ。芸歴10年、32歳。そろそろ婚活サイトにでも登録し、結婚を考えてもいい頃合いだ。 「明日のテレビ用のネタ、送っといたから」  ササキはそれだけ言い残すと、ジャケットを脱いで背中を丸めそそくさと楽屋を出た。ササキはせっかちな性格で、いつだって俺より先に現場入りし、俺より先に撤収する。スマホを手に取り、ササキからきたファイルを開く。舞台用の10分のネタが、テレビ用に4分にぎゅっとまとめられていた。台詞は頭の中に入っているから、流れさえ把握しておけば大丈夫だろう。 「お疲れ様でした」  出番待ちの芸人仲間に軽く会釈をし、ササキの退出ルートをそのまま辿って楽屋を後にした。
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