23人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
雪の少女
そんな喧嘩をして、あの子の家に1週間泊めてもらって、追い出され、そうして今に至る。
ほんのり積もった雪の中で、いつもの景色の面影を探しながら歩いていると、気づけば家の前にいた。
いきなり現れた我が家に、驚いて声が出るかと思った。
癖とは怖いものだ。何も考えないうちにここにいた。
胸に手を当て心を落ち着かせ、泊めてもらえそうな目的地を頭の中で探していた。そのときだ。
「雪乃?」
雪の世界にとても似合う、ひんやりと艷やかな声が私の耳を打った。
すばやく声のする方へ頭を動かすと、そこには、雪に負けないくらい色白で、初対面のはずなのにどこか既視感のある少女が立っていた。
私の顔を確認した少女は嬉しそうに駆け寄ってきた。
「雪乃だ!何してるの?」
「どこに行こうかな、って……」
気づけば馬鹿正直に答えていた。
なぜかこの子からは初対面を感じない。
「家の前なのに?」
「1週間帰ってないし、帰りにくくて。」
どうしてここが私の家だと知っているのかとか、まずなんで私の名前を知ってるのかとか、もっと聞くべきことはあったのだろうが、毎回出てくる言葉は、馬鹿正直な応答だった。
「ふーん、喧嘩したの?」
「喧嘩っていうか……、あの人たち、私のこと求めてないし、帰らなくていいかなって…」
ポロポロと思っていることが溢れる。
長いまつげに彩られた彼女の眼差しが、そうさせているのかもしれない。
「お父さんたちが言ったの?『お前はいらない』って」
言われたわけじゃないのに、ギンと胸の何処かが痛んだ。
「言われてないけど、わかる。」
私達の間に、雪が降る。
「思う。わたし、生まれてこなきゃ良かったん…」
「雪乃、そこ座ろ」
言葉を遮るみたいに、いきなり、近くのバス停のベンチを指さして彼女は言った。
口癖にしてはいけない言葉を口癖にしてしまっていたことに気づく。
2人で並んで座ってみると、彼女のきめ細かな素肌がよく見えた。10代後半か、20代前半だろうと勝手に分析する。
「あのね。お父さんはホントは雪乃のこと大好きなんだよ」
突然だった。彼女は躊躇いなくそう言った。
「お父さんが雪乃が帰ってきたこない間、ずっと夜遅くまで探してるんだよ」
初対面なはずなのに、なぜか私のことをよく知っているみたいな口調だ。
「夏美さんに止められるまで、懐中電灯持ってずーっと」
本当かもわからないのに胸の奥がギュッとなる。
「夏美さんと結婚した理由も雪乃なんだよ。」
「え?」
「雪乃、覚えてないかもしれないけど、夏美さんとは小さい頃に会ったことがあって、そのときに雪乃が夏美さんにすごく懐いてたから、夏美さんと結婚したの。自分が夏美さんを好きになった、というより雪乃が夏美さんを好きだったから、って。お父さん言ってたよ」
夏美さんと結婚すると聞いたとき、お母さんを捨てたみたいでとても軽蔑した。
でも、まさかその理由が私だとは、思いもしなかった。
「お父さんは、雪乃のために生きてるって言ってもいいくらい、雪乃のことが大好きなの」
そう言う彼女はどこか誇らしげだった。
「だから『お前は大丈夫だろ』って言ったのも、雪乃を見放したわけじゃ絶対にない。」
彼女の言葉は事実を思わせ、ただただお父さんに申し訳なかった。
「夏美さんも雪乃のことを本当に娘だと思ってるんだよ」
それは、嘘だ、と目を細める。
夏美さんは私に気を遣っているのだ。
娘として扱ってあげないと可哀想だからって。
だからこそ申し訳ないのだ。
私がいなければ、夏美さんはお父さんと、弟や妹と、4人で幸せに暮らせるのに、私がいるから家で気を遣わないといけないから――。
私の心を見透かしたみたいに彼女は口を開いた。
「違うよ。夏美さんは学生の時、お母さんから進路や友達関係、恋人のことまで干渉されたことがトラウマで、いわゆる毒親だったのよね」
なにそれ最低、と思わず声を出してしまった。
今、学生だからわかる。そんなのすごくしんどい。
彼女はふとさみしげな笑みを放って、
「そう、最低な母だったから、自分は娘――そう雪乃には干渉しすぎずに自由にさせてあげようと思ったが故、気を遣いすぎちゃったのよね」
彼女の声は、私の感情を柔らかな手で撫でるようだった。
「それは、雪乃を娘と思ってないからじゃなくて、むしろ娘と思ってたからしてしまった行動」
私は言葉が出なくなった。
いつの間にか高くなった雪の床が私の感情に似ていた。
2人に謝りたい。勝手に被害妄想広げて、愛されてないって決めつけてしまったこと――
「だからと言って、雪乃が悪いわけじゃ決してない。思いを言葉にしなかった2人だって悪い。」
彼女の言葉が、じんと胸に沁みて、優しさが染まって、最後は結局、涙になった。
「ごめん……」
「いいんだよ」
「ごめんなさい、」
「大丈夫だよ」
何を対象に謝っているかもわからずに、ただただ謝った。
彼女はそんな私に口角をあげて、柔らかに言った。
「雪乃。きっとあなたは大丈夫。行っておいで」
ほのかにあがった口角の、小さな口が愛おしい。
私の寂しい心が泣き止んだ。
幾度も頷いて、私は立ち上がる。
雪の降る日は、私が生まれた日だから、いつも最悪な日だと思っていたけど、
私が生まれた日なんだし、最高な日じゃん、と思った。
「わたしね、1週間前、親に対して『傷つけよう』と思ったの」
家を出ていく直前、黙る2人を傷つけようと思ったとき。
「そのときに出てきた言葉が『私はこの家にいて、“生きていて良かった”と思ったことは一度もない』だった。」
小さな口を自慢するみたいに、ヘラリと笑う。
「だから私わかってたんだよ。親はさ、私が不幸なことが、1番傷つくんだって」
彼女は「そっか」と優しく笑った。
私は彼女に背を向ける前に、ひとつ、聞いておきたいことがあった。
「名前、聞いていい?」
「…沙良」
私の耳が、その名前を知っていると訴えていたが、何かでせき止められたみたいに、記憶は起き上がらなかった。
「沙良。色々ありがとう」
沙良は淡く首を振った。
それから私は沙良に背を向け、
父が夏美さんと2人の子供のために建てたとばかり思っていた、あの家へ、一歩を踏み出した。
最初のコメントを投稿しよう!