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表彰式が終わり、私は制服のまま雑踏に紛れ込んだ。そして応援に来てくれた理事長と東雲君、それに部員候補生たちと合流した。
「予選通過おめでとう!」
東雲君が私に言った。
「ありがとう!」
「次は東京の本選だね。光莉さん」
東雲君が初めて私を名前で呼んだ。
理事長は迎えに来た送迎車で帰っていった。残された私たち生徒はバスで高校に戻った。女子たちは終始東雲君にまとわりついていた。東雲君はモテて当然だった。美形で知的で優しくて、きっと家もお金持ちなんだろうと思った。
私たち生徒は一度高校に戻ってから解散した。私はわき目も降らずに音楽室へと向かった。東雲君は女子たちを振り払って私について来た。二人で音楽室に近づくとピアノの音が聞こえた。
「誰かがスタインウェイを弾いてる・・・」
私は声をひそめて東雲君に言った。
「きっと理事長だよ。よくラフマニノフを弾く」
東雲君が静かに音楽室のドアを開けた。中でピアノを弾いている理事長の後ろ姿が見えた。私は東雲君と一緒に音楽室に入った。理事長のピアノを弾く手が止まった。そして振り返った。
「ごめんなさい。演奏の邪魔をして・・・」
私は思わず言った。
「あなたは熱心ね。練習に来たんでしょう?」
「はい。練習というよりは、ただピアノが弾きたかっただけなんですけど。あ、もちろん電子ピアノですよ」
「あなたに言いたいことがあるの」
理事長が東雲君を一瞥してから私に言った。何を言われるんだろう。私は緊張した。
「なんですか?」
「今日から本選までは、これで練習しなさい」
理事長がスタインウェイを指した。
「え?」
「これは命令よ」
「わあ、ありがとうございますっ!」
「よかったね、光莉さん」
「その代わりハードルを上げます。本選で|最優秀賞を取ること。それが新しい条件よ」
「はい!」
私は何も考えずにそう答えた。理事長はすっと立ち上がると音楽室から出て行った。
私はすぐにスタインウェイの椅子に座った。
「これで鬼に金棒だね」
東雲君が言った。
「うん!」
私はパッヘルベルの『カノン』を弾き始めた。いつまでも続く旋律の中で、東雲君はずっと私のそばにいた。窓の外の景色が夕陽でオレンジ色に染まった。
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