第五話

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第五話

 死後の世界。  雲のような地面に、霧がかかった景色。  とにかく何もない。  暇で暇でしょうがない。  だから俺は、神様から貰った鏡を見てみた。世界の様子が見えるという鏡。  鏡で見てみた。  俺を殺した奴等が、どうなったのか。  俺の悪評を流した近所の老害共が、どうなったのか。  俺のSOSを適当に処理した教師達が、どうなったのか。  あいつ等は、それなりの苦境に追い詰められていた。  俺を殺した高校生達は、すぐに逮捕された。一年にも渡って俺を追い回したことも明らかになった。俺に暴力を振るった動機も明らかになった。  様々なニュースで取り上げられた。その残酷な行為に、コメンテーター達が非難の言葉を口にしていた。未成年だから、なんて言葉でフォローする者はいなかった。  とはいえ、実名は報道されなかった。未成年だから。実名報道は、法的に許されない。  だが、今の時代はネット社会だ。俺を殺した奴等の顔や実名は、すぐに拡散された。俺に石をぶつけた同級生も、同様だった。通っている学校や住所も特定された。  同級生が俺にしたように、あいつ等も石を投げられた。家から出られなくなった。家の中に石を投げ込まれることもあった。家族を巻き込み、地獄のような状況になっていた。  俺を地獄に追い込んだ奴等は、自分の境遇に泣いていた。高校生達は留置所で。同級生は、泣きながら部屋に閉じこもっていた。  あいつ等に、裁判で厳しい判決が下ることはないだろう。未成年だからという、ふざけた理由で。殺した人数が一人だからという、愚かな根拠で。でもそれは、逆に言えば、少年院という安全地帯にいられる期間が短いということだ。すぐに社会に出される。この、日常的に見ず知らずの人間からリンチを受ける、社会に。  俺のSOSを適当に処理した教師や学校側も、非難の的となった。実行犯と同じように、ネットで情報が晒された。彼等は実行犯ではないから、石を投げられることなどない。けれど、常に白い目で見られ、誰にも助けて貰えない。俺の対応をした教師だけではなく、教師の家族も同様だった。  俺達親子の悪評を撒き散らした老害共は、最初は、自分の発言の正しさを主張していた。殺された子は片親で、ろくに教育されていない。近所で悪戯ばかりしていた。そんなことを言っていた。  けれど、俺は、近所で悪戯などしていない。ただ普通に生きていただけだ。だいたい、俺は家の手伝いをしたかった。母さんを助けて、褒められたかった。悪戯なんてしている暇はなかった。  老害の発言には、何の証拠もなかった。俺達親子を貶めるための嘘だと結論付けられた。  途端に、老害は態度を変えた。 「定年退職して、何もすることがなくなって、居場所がなくなったんだ。自分の正しさを認めて欲しかったんだ」  そんなことを、哀れっぽい様子で語り始めた。 「そんな年寄りを、こんなふうに寄ってたかって非難して、楽しいのか!?」  最終的には、テレビの取材陣に対して的外れな怒りをぶつけていた。  もちろん、老害共の情報もネット上で晒された。実名、住所、退職前の職場までも。  俺の死に関連した糞野郎共。どいつもこいつも、今は泣いている。糞野郎共の家族は、ある者は糞野郎を非難し、ある者は糞野郎に離婚を突き付け、ある者は家から追い出した。糞野郎の家族というだけで自分にも危害が加わるのだから、当然だろう。  鏡の向こうに、あいつ等の苦しむ姿が映っている。泣いている姿が見える。俺を貶め、非難の的にし、暴力の対象として死に追いやった奴等。そんな奴等が、今では、俺と同じように苦しんでいる。怯えている。周囲の非難と暴力に震えている。  自分で言うのもおかしいが、俺には、殺される理由なんてなかった。こんな目に合う理由はなかった。そんな俺を殺したのだから、因果応報と言えるだろう。  あいつ等は苦しんで当然だ。少なくとも俺は、あいつ等全員を殺したいと思っている。一年もの間、恐くて、痛くて、苦しくて、たまらなかった。その恨みと悔しさを、全力であいつ等にぶつけてやりたい。  裁判で厳罰が下る可能性は、限りなく低い。それなら、社会的制裁が下されなければ割に合わない。  あいつ等が殺されても、俺はまったく同情しないだろう。今だって、あいつ等のことを可哀相だなんて思っていない。まったく。クソほどにも。  あいつ等に対する俺の感情は、ただ一言で表現できる。 「ざまぁみろ」  もっと苦しめばいい。もっと悲しめばいい。もっと恐がればいい。もっと痛がればいい。どいつもこいつも、死んだ方がマシだと思えるような地獄を味わえばいい。  恨みの気持ちを何度も繰り返しながら、苦痛に泣き喚くあいつ等を眺めていた。ざまぁみろ。確かにそう思っていた。  でも。    少しもスッキリしなかった。全然、笑えなかった。  それよりも、遙かに大きな感情が心の中に生まれていた。  ――醜いな。  俺を殺した奴等に対してじゃない。あいつ等に対しては、今の境遇を、ざまぁみろとしか思わない。自分を(なぶ)り殺した奴等に同情できるほど、俺は善人じゃない。あいつ等を可哀相なんて思えるほど、優しい人間でもない。  醜いのは、あいつ等を追い込んでいる奴等だ。  正義面を晒して、あいつ等の個人情報をネットに晒している。遠くから石を投げつけている。家にも石を投げ込んでいる。誹謗中傷に晒し、あいつ等の家族ごと追い込んでいる。  これは、正義なんかじゃない。  相手が糞同然の奴だから、何をしても許されると思っている。糞同然の奴だから、正義を語って理不尽な暴力に晒している。  正義を語ったリンチ。  正義の仮面を被った、暴力という遊び。  正義感からではなく、悦楽のために暴力を振るっている。 「なんだよ」  俺は鼻で笑った。世の中の仕組みが見えた気がした。  結局のところ、世界は、こんな奴等ばかりなのか。  適当な理由をつけて、他人を傷付けたがっている。適当な理由があれば、他人を傷付けても許されると思っている。適当な理由があれば、(よろこ)び楽しんで他人を傷付ける。  もちろん、そんな人間ばかりじゃないだろう。  少なくとも俺は、母さんが好きだった。今さらだが、母さんの彼氏もいい奴だったと思う。  でも、やっぱり。  こんな世界で生きたくないな。  たとえ一部の人を好きになれても、こんな世界で生きたくないな。  こんな世界で生きるくらいなら、転生なんてしなくていいな。  このまま、この鏡で世界を見て。何もない空間で孤独な時間を過ごしながら。何をするでもなく。何を望むでもなく。痛みも苦しみも覚えずに。喜びも悲しみも感じないまま。永遠のときを過ごそう。  そんなことを思った。  俺はもう嫌なんだ。人を傷付けて悦ぶ人間に、囲まれるのは。  母さんのような人なんて、滅多にいない。母さんの彼氏のような人なんて、滅多にいない。そんな数少ない人を求めて糞みたいな奴等に囲まれるくらいなら、もう、死んだままでいい。 「あ。でも」  つい声が出た。  でも、母さんは、こんな世界で生きてるんだよな。  いい人に巡り会えるといいな。俺のせいで別れた彼氏と、再会とかできるかな? もしくは、あの彼氏以外のいい人と、出会えるかな?  俺が壊してしまった、母さんの幸せ。  生前の世界に未練があるとすれば、それだけだ。  俺は鏡を覗き込んだ。  母さんが幸せになる姿を見たくて。
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