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第二話
死後の世界には、朝も昼も夜もなかった。
当然だが、時計もなかった。
はっきり言って、暇だった。何もやることがない。死んでるから空腹になることもない。死んでるから喉が渇くこともない。死んでるから、眠たくなることもない。
神様に渡された鏡を見てみた。世界の様子を見ることができる鏡。
俺は――中川正樹は殺された。近所の高校生に。正確に言うなら、実行犯は近所の高校生。だが、俺が殺される土台を作ったのは、周囲の大人や老害共だ。
市営住宅に住む近所の老害共は、俺達親子の悪評を流した。
「片親だから、ろくに教育されていない。ろくなことをしない」
言われのない、まったくのデマである悪評。その結果、俺達親子は、近所で迫害された。
近所に友達がいなくても、俺は寂しくなかった。
母さんは、昼夜を問わず働いていた。女手一つで俺を育てるために。朝早くに出かけて、夜遅くに帰って来る。そんな母さんを家で出迎えるのが、俺は好きだった。
「おかえり、母さん」
学校から帰ると、家の掃除をして、夕食の準備をして。母さんが帰ってきたら、一緒に食べる。
「ありがとう、正樹」
母さんの笑顔を見たくて。母さんに喜んで欲しくて。褒めて貰いたくて。俺は、毎日家事を欠かさなかった。
そんな俺の生活に変化が訪れたのは、小学校五年の頃だった。今から一年ほど前。
俺は、近所に友達がいない。近所の子供は、誰も俺に話しかけない。俺も話しかけない。それでもよかった。無視されても、気にならなかった。
無視されるだけなら、まだよかったんだ。
ある日の学校帰り。帰宅途中の家の近くで。
俺はいきなり、頭に強い痛みを覚えた。ガツンッという音が、頭の奥に響いた。
電源を切られたテレビのように、突然真っ暗になった景色。すぐに視界は元に戻った。俺の目線は下を向いていて、足下が見えた。
すぐ近くに、石が転がっていた。ポタポタと、赤い液体が地面にしたたり落ちていた。
頭に石をぶつけられた。地面に流れ落ちているのは、俺の血だ。
息が詰まるような痛みとともに、状況を理解した。
少し離れたところから、子供の騒ぐ声が聞こえた。
「よっしゃあ! クリーンヒット!」
「クソガキ退治成功!」
声の主は、俺とは別のクラスの同級生だった。それが二人。あいつらも、俺と同じ市営住宅に住んでいる。
あいつ等が、俺に石を投げたのか。
老害共が撒き散らしている悪評のせいで、俺は、ろくでもないガキと認識されている。つまり、俺に石をぶつけた奴等は、悪者退治をしているわけだ。
悪者と認識した奴には何をしても許されると思っている、クソガキ共。
俺の怒りは、すぐに頂点に達した。頭から血がダラダラと流れている。ひどく痛かったが、それ以上に腹が立った。
――こんな怪我をしたら、母さんが心配するだろうが!
俺は全力で走り出した。俺に石をぶつけた奴等に向かって。
あいつらは慌てて逃げ出したが、俺の足の方が速かった。襟首を掴んでその場に引き摺り倒し、馬乗りになって殴りまくった。もう一人には逃げられたが、その分だけ、捕まえた奴を殴ってやった。
俺に石をぶつけた奴は、まるで被害者のように泣きじゃくった。
気が済むまで殴ると、泣いているクソガキを放置して家に帰った。俺は、家の掃除と夕食の準備をしなきゃならないんだ。
夜になって。
母さんが帰宅して。
母さんは、すぐに俺の怪我に気付いた。
正直に、近所のクソガキにやられたことを話した。石をぶつけられたが、三倍にして返してやった、と。
俺は母さんに怒られた。やられたらやり返すのが悪いんじゃない。頭から流血するほどの怪我をしたのに、病院に行かなかったことを怒られた。
母さんは看護師だ。俺の頭の怪我を見て、縫うほどの傷じゃないことに胸を撫で下ろしていた。
「こんな怪我、大丈夫だよ。俺、強いから」
怒られながらも、俺は誇らしげに笑って見せた。
心配しなくても大丈夫だよ、母さん。俺は強いんだから。いつか、母さんのことも守れるようになるから。
――今にして思えば、このときが、最後の幸せな日だった。
中川正樹としての、たった十一年の人生の中で。
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