5人が本棚に入れています
本棚に追加
第四話
小学校六年になった。
この一年間、同級生やその兄貴から狙われることが続いていた。
あいつ等にとって、最初はただの仕返しだった。逃げる俺を、怒りの形相で追いかけ回していた。それが、徐々に変化していった。楽しそうな顔で、必死に逃げる俺を追いかけ回す。捕まえたら、笑いながら暴力を振るう。
俺に対する暴行は、いつの間にか、あいつらにとっての娯楽となっていた。逃げる俺を追いかけ回すゲーム。捕まえたら、暴力というボーナスが入る。
ゲームだから、あいつ等は面白おかしく考える。どうやったらボーナスステージに進めるか。どうやったら、獲物を効率よく的確に捕まえられるか。
あいつ等にとって、俺は人間じゃなかった。必死に抵抗し、痛がる姿で笑わせ、苦しむ姿で楽しませる玩具。不特定の経路で、最終的には自宅という安全地帯に逃げ込む玩具。
あいつ等は知恵を搾ったのだろう。だから、人数を集めた。俺の逃走経路は不特定だが、確実に向かう場所がある。そこで待ち伏せるために。
――その日は、曇り空だった。
学校から出ると、同級生の兄貴が、仲間を連れて待ち伏せていた。この一年、当たり前のように繰り返される日常。奴等に見つからずに校門から出たかったが、失敗した。見つかってしまった。
俺は全力で逃げた。待ち伏せていた人数は、四人。全員に見覚えがある。最初に俺を殴り倒した奴等だ。
複雑な経路を辿り、他人の一軒家の敷地に入り込み、俺はあいつ等を巻いた。息を切らしながら逃げ切り、なんとか自宅付近まで辿り着いた。
今日はなんとか逃げ切れた。そう思い、ホッと息をついた。
安心していた。
安心していたから、絶望した。
俺が住んでいる、市営住宅。その玄関付近。そこに、高校生が三人いた。俺を見てニヤニヤと笑っている。つい先ほど見た制服。同級生の兄貴と同じ制服。
明らかに、あいつ等の仲間だ。
待ち伏せていた高校生は、すぐに俺を追いかけてきた。そのうちの一人が、走りながらスマートフォンで会話をしている。「見つけた」だの「今、小学校の方に追い込んでる」だのと言っている。
言葉にできないほどの恐怖を感じた。俺を狙っているのは、合計で七人。今までで一番多い人数だ。そんな人数でリンチをされたら、ただでは済まない。
俺は全力で走った。走りながら、必死に考えた。どうやったら逃げ切れるか。
学校の先生が頼りにならないことは、過去に証明されている。だから、学校に逃げ込んでも無意味だろう。同じ理由で、警察も無駄だ。
小学生の俺が高校生七人に勝てるはずがない。当然、戦うという選択肢もない。
どうする!? どうする!?
息を切らしながら自問し、懸命に走った。疲労と恐怖で、心臓の動きが早くなる。耳の奥に、激しい呼吸音と心臓の音が響いていた。
走り続けて、酸欠になりかけていた。頭が働かなくなってきていた。真っ暗になってゆく思考。そこに、一筋の光が走った。
突如、名案が浮かんだ。
あいつ等は制服を着ている。明日も明後日も着る制服を、汚すわけにはいかないはずだ。
それなら、学校近くのドブ川に逃げよう。川の中に逃げれば、あいつ等は追ってこないはずだ。
複雑な経路を通り、俺は、なんとか川まで逃げられた。
俺を追いながら、あいつ等は合流したようだ。七人全員で俺を追ってきていた。醜悪な顔で笑いながら。
俺は川岸に降りると、川に飛び込んだ。水は濁っていて、ヘドロのような悪臭がする。でも、汚ければ汚いほど、あいつ等が追ってくる可能性は低くなる。この汚さは、俺にとっては救いだ。
……救いだと、思っていた。
俺は、悪意というものを理解していなかった。人の残酷さに関して、あまりに無知だった。暴力を楽しむ奴等を、甘く見ていた。
悦楽のために、人を傷付ける。そんな奴等は、楽しむためなら多少の犠牲は厭わない。
制服が汚れる程度の犠牲は。
七人は、川の中まで追ってきた。水の中での進行速度は、筋力の強い奴等の方が圧倒的に上だった。逃げようとしたが、あっさりと捕まった。
「どうしてくれんだよ!? お前のせいで汚れただろうが!」
笑いながら怒鳴り、一人が俺を殴った。
川の中に倒れた俺を、他の奴等が蹴った。
「臭ぇところに逃げやがって! 大人しく捕まれや!」
執拗に蹴られ続けた。踏みつけられるように蹴られたとき、左腕に激痛が走った。すぐに気付いた。骨折した、と。
それでも、興奮と享楽に夢中になっている奴等は、暴力をやめない。
一人が、俺の髪の毛を掴んだ。
「こんなところに逃げ込むくらいだから、水飲みたかったんだろ?」
そのまま、川の中に顔を沈められた。
「どうだ!? 旨いか!?」
水の中に沈められても、あいつ等の笑い声がはっきりと聞こえた。自分より小さく弱い者を集団で追いかけ回し、痛めつけて楽しむ。そんな下衆共の声。
川から顔を引き上げられると、また集団で暴行を受けた。折れた腕が変な方向に曲がっても、あいつらは暴力をやめない。隙を見て逃げようとしても、あっさりと捕まった。さらなる暴力に晒された。
興奮状態になったあいつ等には、もう、判断などできなかったのだろう。もしくは、どの程度痛めつけたら人は死ぬのかを、考えもしなかったのか。
あいつ等の真意なんて、俺には分からない。
あんなクズ共の真意なんて、知りたくもない。
あいつ等の心情がどのようなものであっても、現実に起こったことは変わらない。
長い長い暴行の末、俺の顔は、原型も止めないほど腫れ上がった。折れた左腕は、大きく腫れながら奇妙な方向に曲がっていた。何度もドブ川の水を飲まされて、すぐに腹を下して、糞を漏らした。恐怖と絶望から、失禁もしていた。
そんな無様な姿で。二度を息を吹き返さない状態で。
俺は、ドブ川に沈んだ。
最初のコメントを投稿しよう!