木製の杭(影山飛鳥シリーズ02)

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第30章 トキの述壊 「私は佐藤ミズの娘です。その母は渡部兵庫という男性と一緒になりました。問題はミズと兵庫が一緒になったいきさつなのです。佐藤ミズの親戚に森萬という家がありました。そこの嫡子である久伊さんを佐藤家の養子に迎えたのです。森萬家の嫡子を養子にというと奇妙に聞こえるかもしれません。嫡子がいなくなれば、森萬家が絶えてしまうからです。 確かに森萬家には男性は久伊さん一人しかいなかったのですが、久伊さんには妹さんがいました。名前はかすみさんといいました。森萬かすみさんです。このかすみさんが婿を迎えるということで森萬家は継続するはずでした。 一方、佐藤家に養子に来た久伊さんは、実はミズと一緒になるはずだったのです。そうです。佐藤家への婿入りです。この久伊さんの婿の話は、森萬家の当主と佐藤家の当主の間で決まったことらしいです。何でも両家は江戸時代以前からの親戚関係で、お互いがお互いの家に養子に行った来たりして、家を絶やさないようにしていたということらしいです。 その時、佐藤家が家の存続の危機にあったということでした。今と時代が違って、家の存続こそが至上命令だったのです。佐藤家にはミズの上に軍司という兄が一人いたのですが、その軍司は放蕩三昧の末、当主から勘当をされました。従って佐藤家には跡取りがいなかったのです。でも、その佐藤家に久伊さんを養子にやってしまったら、森萬家にも跡取りがいなくなってしまうのは同じでした。それがそういうことになったのは、古くからの両家の取り決めだったようで、私が知る由はありません。 佐藤家に婿入りするということで養子に来た久伊さんは、そのままミズと一緒になれば、それでこの話は終わりだったのですが、実はそうはならなかったのです。と言うのも、実はミズには将来を誓い合った別の男性がいたからです。当然その縁組は猛反対されました。駆け落ちということも考えたようですが、それも断念せざるを得ないことがあって、最後は心中ということに行きついたようです。 ところがミズは久伊さんがとても佐藤家の当主から信頼されていることを知り、そしてミズ自身もその人柄を知ると、是非自分たちの婚姻を当主に口添えしてくれるように懇願したのです。 確かに虫のいい話です。わざわざ森萬家の跡取りをはずれて、森萬家の存続を危うくしてまで佐藤家を救うべく、ミズの婿になるために佐藤家に来たのに、別の男との結婚を父親に口添えしてくれというのですから。しかし、久伊さんはミズのその願いを聞き入れて、そしてみごと佐藤家の当主にうんと言わせてしまったのです。 ここまでお話しして、ではミズは渡部家に嫁に行き、そして久伊さんは佐藤家の後取りになったのだから別に何の問題もないと思われると思います。 確かにその通りです。しかし問題が二つ生じました。一つは森萬家の存続問題です。そして、もう一つは佐藤家の当主が亡くなった後で実子の軍司が戻って来たことでした。まず後のお話をします。 当主の最期に、一目軍司と会わせたいという久伊さんの優しい思いやりが災いしました。当主が亡くなった後、軍司は家に戻って来ると、やがて久伊さんを追い出してしまったのです。その後の久伊さんの生活はそれまでとは打って変わってかなり貧しいものになったと聞いています。そして間もなく久伊さんが亡くなった後は、その奥様と一人娘さんは更にひどい生活を送られたと聞きます。その為か、奥様も早くに亡くなられたようです。残った娘さんはどこかの遠い親戚にもらわれて行ったと聞いています。そしてそれが、平野さんのお母様なのです。 そして、もう一つの問題だった森萬家の存続ですが、残念ながら今は森萬の家は存在しません。この家系は断絶しました。それは、森萬家に残ったかすみさん、この方が婿を取らなかったのです。 それはどうしてでしょうか。かすみさんが婿を取らない限り、森萬家は絶たれてしまうのです。それでもこの方が婿を取らなかったのは、これは私の推測ですが、もしかしたら兄の久伊さんが好きだったからではないかと思っています。 かすみさんと久伊さんが本当の兄妹だったかは今では調べようがありません。かすみさんの入り婿として久伊さんが森萬家に入ったのかも、戸籍からはもう調べらることは出来ません。それがわかるかもしれない戸籍は保存年限切れになっていて、手に入らないのです。 結局、森萬家はかすみさんの代で途絶えてしまいました。 実はかすみさんには娘さんがいました。その娘さんが波間さんのお母様なのです。私はもう先がない老人として、私がしなければいけない使命を負っている者として、どうしても私の財産、これは先祖から受け継いだものですが、それを平野さんと波間さんのお二人にお分けしたいという強い思いを抱いております。 波間さんのお母様は実は森萬家を存続させるために犠牲になられたのです。当主や親戚筋から婿を取れと膨大な圧力があったようですが、かすみさんは決してうんとは言わなかったようです。かすみさんの久伊さんへの思いはそれほどまでに強いものがあったのでしょう。でも久伊さんは佐藤家と森萬家のかねてからの取り決めで、佐藤家の養子に差し出されたのです。もし、久伊さんが最期まで佐藤家の当主としてその人生を幸せに全うしたのなら、それはかすみさんも仕方がなかったと思われたかもしれません。しかし、久伊さんの最期は悲惨の極みでした。今まであった財産も名声もみんな軍司に奪われて、寧ろ軽蔑と哀れみと嫌悪の目で見られたわけですから、それではかすみさんも納得出来なかったと思います。納得できないどころか、憎悪の炎が燃えたぎったと思います。 軍司が佐藤家に戻って来た頃、久伊さんは既に別の方と結婚していたかどうかはわかりませんが、もしかしたら久伊さんが森萬家に戻るということも考えられたのかもしれません。妻があっても、兄一家ということで、森萬家に戻り、かすみさんと一緒に暮らすことも考えられたのではないかと思います。けれどそうはならなかった。それは、かすみさんには娘さんがいて、森萬家に久伊さんが戻る余地がなかったからです。その娘さんとは、波間さんのお母様です。ではお母様のお父様は誰でしょうか。それはかすみさんのお父様なのです。婿を取ることを拒否され、子を残さないということは、森萬家の終わりを告げることになります。それは当主だったかすみさんのお父さんもその先代、更にはその先代から受け継いだ者として、我慢出来なかったことだと思います。勿論親戚からの相当強力な圧力もあったでしょう。それで仕方なくかすみさんのお父様はそういう凶行に及んだのでしょう。かすみさんは妊娠すると、いい男が出来たという噂を流して、そしてその子を生みました。その経緯は私の口からはとても申し上げられません。そしてそのお相手との関係が壊れたということで、娘さんを引き取って離縁したということを世間にされたようでした。勿論町のみなさんはそんな仕掛けなど承知していたと思います。かすみさんがどういう心理状態だったかは顔や態度にそっくり現れたでしょうから、いい男が出来たということは当然嘘だとばれていたのです。そしてそれだけではなく、誰の子かということもみんなが知っていたことだと思います。けれど森萬家は勿論、佐藤家に反旗を翻す者など一人もいませんでした。 さて、それからが問題です。森萬家の当主が亡くなると、森萬家の力が衰えました。当主はかすみさんでしたから、みんなの口も軽くなったことと思います。そして佐藤家にしても、久伊さんではなく、軍司が実権を握ると、一斉にかすみさんの娘さんの出生の秘密をおおっぴらに口外し出したのです。それは軍司が仕掛けたことかもしれません。 かすみさんはそれから精神を病んでしまいました。そして久伊さんの遺された家族もどこにも行き場がないからここに留まっていたようなもので、牢獄のような生活を送っていたことと想像します。いえ、そんな生易しいものではなく、きっと地獄のような生活だったことでしょう。更にかすみさんの娘さん、波間さんのお母様はそれ以上の苦しみを背負っていたのかもしれません。波間さんのお母様はそれからどこかへ隠れるように消えてしまいました。誰かがどこかへ養子にやったのだろうと思います。詳しいことは誰も口にしませんでしたし、調べる術もありませんでした。 私の財産は相続をさせなければいけない孫が二人します。ですがこの財産を継ぐに当たってどれだけの人の心が踏みにじられて来たかをしっかりと知って欲しかったのです。
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