木製の杭(影山飛鳥シリーズ02)

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第33章 平野と大友  大友は家系図を咲森に渡すと、咲森とは別々になぞなぞの答えが誰であるかを調査しようと持ちかけた。そしてその方が合理的だからと咲森に説明をしたのだった。咲森も二人で一緒に行動するよりも二手に分かれた方が調査の範囲が広がって良いと、大友のその提案に賛成した。  しかし、大友にはそれとは別の企てがあった。それは平野に会い、彼が相続する分を是非自分に回して欲しいとお願いすることだった。と言うのも平野を捜して島に連れて来たのは大友だった。トキや管財人の元町があれこれ手を尽くしたが、平野をあの席に就かせることはとうとう出来なかった。しかしそれを意図もたやすくやってしまったのが大友だったのだ。  初めて大友が平野に会った時も、平野はやけに大友に友好的だった。それから大友は平野を説得し、わざわざ東京から島に案内した。その間ずっと二人きりで、しかも和気藹藹と過ごした。更には自分の身の上話まで平野にして、トキの息子と自分の娘の離婚話まで彼に暴露したのだった。だから、もし彼が相続を放棄するなら、それは一旦彼が受け取って、そしてそれを自分にそっくりくれないかとお願いするつもりでいたのである。  確かに咲森とは、もし彼がなぞなぞを解いた暁にはその増加分の半額がもらえる契約を交わした。しかし、あの系図があったからといって、必ず正解出来るとは限らなかった。更に言えば、もしそれに正解したとしても、あの系図があったからではないと言い出す可能性だってあるのだ。まさかあの男に限ってそんなことはないと思ったが、それでもその可能性はゼロではなかった。そこで大友は保険として、平野に取り入って彼がもらえる財産をそっくり譲ってもらおうと思ったのである。  大友は、娘の洵子がトキの息子と結婚すると言い出した時、本当に天にも昇る気分だった。それは娘を通じて有り余るトキの財産のその一部でも頂けると思ったからだった。しかし、洵子はどこぞの馬の骨ともわからないような流れ者にうつつをぬかして、それで捨てられるように離婚されてしまった。それでもいくらかの慰謝料がもらえると思っていたのが、離婚の原因は洵子にあるのだから、慰謝料を請求されないだけでもましだと言われたのだった。大友は落胆した。悔しかった。それでいつか見返してやると思っていたのだった。そしてそれが今回のトキの相続でようやく叶うのだった。洵子を通して頂けるはずだった財産を自分がもらってもそれは当然のことだと思ったのだった。  平野の自宅は渋谷から歩いて十分くらいの神社の脇にあった。三階建ての戸建てで、閑静な住宅街にあった。大友は平野を口説く際にそこを何度か訪れた。それでその日も特に身構えることもなく、そこにやって来たのだった。平野は突然の大友の来訪に最初は驚いたが、以前と同じように大友を友好的に招き入れた。その態度を見て大友はこれは行けると思ったのだった。 「平野さん、あと数日でなぞなぞの回答期限になりますが、その時に島には戻られますか?」 「大友さん、私を連れ戻しに来られたのですか?」  平野の顔には笑みが浮かんでいた。 「いいえ、私は遺言書の公開にあなたをお連れするのが仕事だったわけで、無理に相続をさせるのが仕事ではありません」 「と言いますと?」 「もし平野さんが相続をされないとおっしゃるのでしたら、それを無理に翻意させたりはしません」 「すると今日お見えになられたのは?」 「はい。そうは言いましても回答期限に先だって、平野さんのお気持ちをお伺いしたいと思いまして」 「私が相続するか、或いは放棄をするかですね?」 「はい。先方も色々と準備がありますので」 「わかります」 「すると、平野さん、どうされるおつもりでしょうか?」 「大友さんは、どうしたらいいと思いますか?」  大友は自分が質問をしたのに、逆に平野から質問をされたので戸惑った。 「私に聞かれても……」 「私は大友さんがおっしゃるようにしたいと思っているのです」 「え」 「つまり大友さんが相続しろとおっしゃるのでしたら相続をします。もし放棄しろと言うのであれば放棄をします」 「はあ」 「ですからおっしゃってください」  大友はなんて自分は運がいいのだと思った。そしてそれは、この平野の説得役に自分が選ばれた時から約束されていたのだと思った。洵子の離婚ではお先真っ暗な気持ちになったが、そういう不運はいつまでも続くはずがなかった。それはやがてこうやって日の目を見ることが出来るのだと思った。 「そうですか。でしたら平野さんに是非お願いがあります」 「なんなりとおっしゃってください」 「はい。実は平野さんには相続をして頂きたいのです」 「わかりました。ではそういたしましょう」 「ですが……」 「何か?」 「ですが、その相続した財産をもし平野さんが不要だというのであれば、それをそっくり私に譲って頂きたいのです」 「私はもともと財産など欲しいわけではありません」 「はい。そう伺っていたので」 「ですからあなたが相続しろと言うのであれば相続はします。あなたが放棄しろというのであれば放棄はします」 「はい」 「でも相続した財産を寄こせというのは如何なものでしょうか?」 「え」  大友は意外だった。そう言う答えが平野から返って来るとは思わなかった。 「ですが財産をいらないというのであれば、それを私に譲ってもいいんじゃないですか?」 「ではお聞きしますが、どうしてあなたにそれを譲らなければいけないのでしょうか?」 「それはあなたがいらないということですし」 「でも何故あなたに?」 「あなたが放棄すれば他の三人に行ってしまうからです」 「それがあなたには不満ということですか?」 「ええ、まあ」 「困りましたね」  大友は自分こそ困ったと思った。こんなに話が長引くとは思ってもいなかった。恐らく平野は二つ返事でOKをしてくれると思っていた。 「まず私はあなたに何を負っているのでしょうか?」 「負っている?」 「ええ、私が大友さんに何か恩を感じることをして頂きましたか?」 「そうはっきり言われてしまうと……」 「確かに今回の相続の話は大友さんに説得されて島にお伺いしたことで現実味を帯びました。しかし、それ以前からこの話はトキさんの方から伺っていたのも事実です。ですから私があなたに負うとすれば、私がトキさんからの申し出には乗らず、大友さんからの申し出には乗ったというだけではないでしょうか」 「はあ」 「しかもあなたはまるでトキさんが仇のような話を以前私にしましたが、あなたの孫が渡部家の跡取りだという話じゃないですか」 「はあ」 「渡部淳さんはあなたのお孫さんですよね?」 「はい」 「ということはあなたも渡部家の人だ」 「いえ、それは違うんです。私には財産が一銭も回って来ないのでして」 「渡部淳さんが相続されれば、あなたはそのお孫さんにたかることも可能ですよね?」  大友は腹の内を読まれた気がした。 「ということはあなたこそ私に恩があるということなんですよ」 「どういうことですか?」 「あなたの孫やその孫を通じてあなたにもたらされる恩恵は私から取り上げられて回って行ったものだということです」  大友は平野の言っている意味が理解出来なかった。 「私はあなたには何も思うところがありませんでした。でも今日の話を聞いてわかったのです。あなたも渡部家の人間だと」 「私が渡部家の人間だとどうなるのですか?」 「今あなたが飲んだお酒には睡眠薬が入っています」 「え」 「間もなくあなたは眠りに落ちます」 「どうしてそんなことを?」 「出来る杭は打たれる」 「え」  大友は次第に意識が遠くなって来るのを感じていた。 「この家の三階は防音工事が施されていてどんなに大きな音を出しても外には漏れないのです」  大友は最早平野が何を言いたいのか理解が出来なかった。 「あ、大友さん寝入ってしましましたね。残念です。これから詳しいお話をしようと思ったのに」  平野はそう言うと部屋の隅に置かれていたプリンターから印刷された便箋を引き抜くと、それを四つ折りにして大友のズボンのポケットに忍ばせた。その便箋にはこう印刷されていた。 ―杭は打たれる。そして悔いは残った。杭は杙とも書く―  それから平野は大友のカバンの中身を開いた。するとそこから出て来たのは立派な装丁の家系図だった。大友はその複製を咲森に渡していたのであった。平野はそれを一目見てそれがトキに関する家系図だということがわかった。 第34章 平野と川本  川本は渡部家にいた影山に渡部を取られた気がしていた。渡部の力になれるのは自分だけだと思っていた。そしてそれは幼い頃からずっとそうだと信じていた。しかし今回トキの相続に当たって、どこの馬の骨とも分からぬ探偵が渡部の傍に張り付いていた。そこで川本はどうにかしてこの相続の一件で渡部に再評価してもらおうと考えたのだった。そしてその方法として、相続を離脱したと噂された平野を追って東京に行くことを決めたのだった。 平野に会う理由は、相続を放棄した分を渡部に回してもらおうとお願いすることだった。勿論そのお金は渡部が介護施設を建てるための資金になるのである。そして自分はそこで施設長として渡部のために働くのである。万が一、平野という男がごねたとしても、その目的が介護施設の建造ということであれば、彼の返答も違って来るだろうと思ったのだった。  川本は自分の記憶するその住所に行ってみることにした。東京へは旅行がてら何度か行ったことがあったが、こうして一戸建てを訪ねるのは初めてだった。トキの送った封筒の住所は、川本の記憶によれば渋谷というところだった。しかし、渋谷の駅員や交番のお巡りさんに尋ねて、どうにか目的地の住所に着くと、そこには別人が住んでいた。 (森萬?)  そこは平野ではなく、森萬という表札が出ていた。 (あれ、記憶違いをしたかなあ)  しかし、川本の記憶は決して忘れることがないものに関連付けられていた。だから、その記憶には自信があった。 (もしかしたら引越しをしてしまったとか)  川本はそれはあり得ると思った。それで川本はその家のドアフォンを鳴らした。それは前の住人の住所を知るには、新しい住人に尋ねるのが一番だと思ったからだった。そして三度目にそのボタンを押した時だった。ようやく出て来た住人は川本が知ってる人物だった。 「あ、あなたは平野さんですよね?」 「あなたは?」 「私は川本といいます」 「川本さん?」 「はい」 「どんな用ですか?」 「トキさんの相続の件で来ました」 「トキさんの?」 「はい」 「あなたはトキさんとどんな関係が?」 「関係はありませんが、ただこの相続で重要な物を持っています」 「重要な物?」 「はい」  平野はそこまで話をするとあとは中で伺いましょうと言って、川本をその家の中に引き入れた。 「三階建てなんですね」 「ええ、建ぺい率の関係で」 「そうなんですね」  川本はそうは言ったものの、その建ぺい率の意味を知らなかった。それで円周率と同じようなものかと想像した。三階まで階段で上がるとそこにはテーブルと椅子が無造作に置かれてあった。それで川本はそこが何をする部屋なのか気になった。 「ここは平野さんの寝起きする部屋ですか?」 「いいえ、音楽を聴いたり、たまには演奏をしたりする部屋です」 「楽器を弾かれるのですか?」 「ええ」 「何を弾かれるのですか?」 「琴です」 「琴!」 「はい古琴と言って中国の琴です」 「へえ」  川本はそう言われて部屋を見回したがそれらしいものは見当たらなかった。 「その納戸にしまってあります」  川本の行動に気が付いた平野はそう言った。川本はその中国の琴を見てみたかったが、今日の用件はそういうことではなかったのでそれを我慢した。 「川本さん、よくこの住所がわかりましたね?」 「はい。トキの手紙を見たので」 「そうですか」 「投函したのは私なんです」 「なるほど」 「でも表札が平野ではなかったので」 「え?」 「いえ、さっきここに来た時に表札が森萬とあったので別人が住んでるのかと」 「ああ」 「でも平野さんが出て来たので安心しました」 「はい。前は平野でしたが変えたんです」 「どうして森萬という表札に?」 「祖父の旧姓なんです」 「おじいさんの?」 「ええ」  川本はどうして平野の祖父の旧姓が森萬で、しかもその名字を表札にしているのかはわからなかったが、今日の用件とは関係ないのでそのまま聞き流した。 「それで今日こちらにお伺いした件なのですが」 「はい」 「実はトキさんの出したなぞなぞの件なんです」 「はい。それは島で聞きました」 「実は、あのなぞなぞにはヒントがあるんですよ」 「ほう。ヒントが」 「はい。それで多分そのヒントがなければあのなぞなぞは解けないと思うんです」 「そういうなぞなぞになっているのですね。ヒントがなければ解けないように」 「はい。多分」 「それが?」 「はい。そのヒントを僕が抜きました」 「え? あなたが抜いた?」 「はい。但し、抜いたのは咲森さんの手紙からだけなんです」 「確かなぞなぞは渡部さんと咲森さんのお二人に手紙で出題されたのですよね?」 「はい。ですから咲森さんの手紙だけから抜きました」 「何故?」 「咲森さんには正解させないようにです」 「どうして咲森さんには正解させたくないと?」 「私は渡部さんとは昔からの知り合いなんです。知り合いというか幼馴染というか」 「なるほど」 「それで二人で夢というか将来を話し合ったんです。大きな介護施設を建ててみんなの役に立とうねって」 「そうなんですか」 「はい。それでその資金を是非渡部さんに回したくって」 「なるほど」 「咲森さんが正解出来なければ、それは平野さんにお金が行きます」 「そうでしたね」 「平野さんが相続を辞退したという話を聞いたものですから、その分をそっくり渡部さんに回して頂けないかと思いまして」 「その抜いたヒントというのは?」 「便箋です。元々は三枚の便箋が手紙に入っていたのですが、そのうちのヒントが書かれた一枚を抜いたんです」 「それは今日持って来てますか?」 「はい」  川本は自分の話を平野に信じてもらう証拠としてそれを持参していた。 「あ、本当ですね。これがそのヒントなのですね」 「はい」 「そしてこれは咲森さんには届いていないのですね」 「はい」 「するとこのことを咲森さん話したら驚くでしょうね」 「多分」 「というか、これを餌にすれば咲森さん、飛んで来ますよね」 「ええ……」  川本は平野の様子が少しおかしいことに気がついた。 「平野さん、そういうお話ではなくて、あなたが放棄する財産を渡部さんが介護施設を建てるための資金に回して欲しいという話なのですが」 「誰がそんなこと言いましたか?」 「え?」 「誰が相続を放棄するなんて言いましたか?」 「では放棄されないんですか?」 「放棄をしないとも言ってませんよ」 「では……」 「それよりこの便箋は素晴らしいアイテムになりますね。これをコピーさせてもらっても構いませんか?」 「ええ、それは構いませんが、どうされるんですか?」 「これを咲森さんに見せるのです」 「それはダメですよ!」 「どうして?」 「だってそれじゃあ咲森さんが正解してしまうじゃないですか」 「そんなことありませんよ」 「確かに絶対正解するわけではないでしょうが、その可能性が高まることは確実ですから」 「いいえ、絶対正解などしませんよ」 「どうしてですか?」 「あなたと同じになるからです」  その時川本は激しい眠気に襲われた。 「川本さん、出過ぎた杭は打たれるのですよ」 「え、何のことですか?」  川本はそうは言ったものの、もう平野の答えなどどうでもいいくらい意識が薄らいでいた。 「では川本さん、あなたにはこのヒントを差し上げよう」  平野はそう言って川本のズボンのポケットに何かを差し入れた。それは便箋を四つ折りにしたものだった。そしてそこには手書きでこう書かれてあった。 ―杭は打たれる。そして悔いは残った。水の兄―
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