木製の杭(影山飛鳥シリーズ02)

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第35章 死の来訪 「ごめください」  それは渡部が所用があると言って、影山を一人残して出掛けてから一時間ほど経った時だった。しつこくドアフォンを鳴らすので影山は仕方なく玄関を開けた。 「東京の警視庁のものですが」 「刑事さん?」  影山は事態が飲み込めなかった。 「あなたが渡部淳さんですか?」 「いいえ、留守番です」 「留守番?」 「はい」 「この家の方ですか?」 「いいえ、影山といいます」 「影山さん?」 「はい」 「渡部さんのお知り合いですか?」 「探偵です」 「探偵?」 「ええ。刑事さんはどうして渡部さんに?」 「東京の事件を追ってます」 「東京の?」 「しかし探偵のあなたが何故ここに?」 「ある依頼を受けてまして」 「ある依頼?」 「はい」  そこで年長の刑事と影山がお見合い状態になった。その刑事が何かを言いたそうにしていたので、影山から口火を切った。 「渡部トキさんの相続にまつわることです」 「相続にまつわること?」 「はい。なぞなぞなんです。それを解くことが条件の相続なんです」  その時年長の刑事が後ろを振り返り、若い刑事と視線を合わせた。それで影山は相続に何かあると思った。 「その渡部トキさんの相続人は何人いらっしゃるのですか?」 「四人です」 「四人?」 「はい」  影山は取り合えずその刑事二人をリビングに通した。渡部がいなかったが、それくらいは構わないだろうと思ったからだ。 「探偵さん、森萬という人物を知っていますか?」  開口一番、刑事が挙げた名字は影山が聞いたことはない珍しいものだった。 「森萬ですか? 変わった名字ですね」 「ええ、森萬です」 「残念ながら知りません」 「実はその森萬というお宅の地下から三人の遺体が見つかったのです」 「三人も」 「ええ」  影山はどうして自分にそんな話をするのだと思ったが、そのまま話を聞くことにした。 「三人の名前は川本俊太、大友泰、そして咲森哲夫です」 「え」 「御存知ですか?」 「はい。咲森さんは相続人の一人です。大友さんは遺言書の公開の日に会いました。川本さんはここのご主人の渡部さんに会いに来た時に会っています」 「そうですか」  影山はその刑事がここを訪ねて来たわけがそれでわかった。 「実は我々は当初その三人の関係がわからなかったのですが、そこに残されていたある物でこちらに辿り着きましてね」 「と言いますと?」 「三人のポケットに同じ言葉が書かれた便箋が押し込められていたのです」 「それはどんなものなんですか?」 「そこには『杭は打たれる。そして悔いは残った』と書かれてありました」 「杭は打たれる。悔いは残った」  その時影山はトキの手紙にあった一番目のヒントを思い出した。 ―出るものは打たれる―そしてそれはやはり「杭」のことだと思った。 「咲森さんは奥さんからの届け出があったので、すぐに身元はわかりました。最初こちらのホテルに宿泊中の咲森さんに連絡が取れなくなったのでホテルのスタッフに、とにかく自宅に連絡を入れるようにお願いしたらしいんです。しかし、咲森さん自身から外部からの連絡を一切シャットアウトしているとのことで取り合ってくれなかったそうなんです」 「なぞなぞを解いていたのだと思います。難問ですから奥さんからの電話が邪魔だったのでしょう」 「なるほど」 「でも咲森さんはホテルを抜け出して東京に行ってたのですね?」 「奥さんは警察に失踪届を出して、警察に咲森さんとの連絡の橋渡しをしてもらおうと思ったようです」 「なるほど」 「勿論そんなことを警察はしませんが、折しも咲森さんの死体が見つかった。所持品はありませんでしたが、奥さんの言った容姿などがその検索にひっかかりましてね」 「それでわかったんですか」 「はい。そして奥さんに事情を聞くと、いまこちらに相続の件で滞在していたはずだと言うんです」 「私もてっきり咲森さんはホテルに引きこもってると思っていました」 「そうなると同じようにポケットに便箋が押し込められていたあとの二人も相続に関係するのではないかと直感しましてね」 「それで刑事さんはここに行き着いたというわけなんですね」 「まあそんなところです。ところで探偵さんの解かれているなぞなぞとはどんなものなのですか?」  影山は別に隠しておく必要がないと思い、それが書かれた便箋を刑事たちの前に並べた。 「ほう。人、貝ですか」 「はい」 「それって何ですか?」 「それを考えています」 「難儀なお仕事ですね」  そう言って年長の刑事は笑った。 「二枚目のヒントの便箋を見てもさっぱりわからんですね」  その刑事は続けてそう言うと若い方の刑事にその便箋を渡した。影山はそれが雑に扱われるのにいい気分はしなかった。 「刑事さん、三人には全て同じ文言の便箋だとおっしゃいましたが」 「それが微妙に言葉が足されているんです」 「詳しく教えてもらえますか?」 「死亡時刻からいって、一番最初に殺されたのは川本さんです。川本さんには『杭は打たれる。悔いは残った』という文言が残されていました」 「はい」 「次に殺されたのは大友さんです。大友さんには『杭は打たれる。悔いは残った。杭は杙とも書く』という文言でした」 「杭は杙とも書くが付け足されたのですね?」 「ええ。そして三人目の咲森さんは、『杭は打たれる。悔いは残った。水の兄』です」  影山はこれらはいったい何だろうと思った。 「それからこの事件が相続に関係すると思った理由なんですが、現場に系図が貼られていたんですよ」 「系図?」 「はい。その森萬というお宅の三階の天井にいわゆる家系図と言われるものが貼ってありましてね」 「いまお持ちですか?」 「ええ」 「見せて頂けますか?」 「いいですよ」  そう言って刑事はカバンの中から大きな画用紙のようなものを取り出した。 「これはそれのコピーですが」  影山がその系図を覗き込むとそこには大勢の人の名前が書き込まれてあった。 「これはどなたの系図ですか?」 「ざっと調べたところ、こちらの被相続人である渡部トキさんの名前がありました」 「するとこれは渡部トキさんの系図なのですね?」 「そうなりますかね。まあそれでこの三人の事件はこちらの相続に関係したものではないかと思ったところなのですが」  影山は刑事の話をそっちのけでその系図に見入った。そこにはトキは勿論のこと、渡部淳、咲森哲夫の名前もあった。 「あ!」 「探偵さんどうしましたか?」 「いえ、ここに波間さんや平野さんの名前もあったものですから」  そう言って影山が指差したところには、平野逸男の名前があった。 「平野さんのお母さんは佐藤タエ、そしてそのお父さんは佐藤久伊さんと言ったんだ」 「ほう」 「それからこの波間貞夫さんですが……」  その系図では、波間の母は森萬コトエとなっていて、その母親は森萬カスミとあった。 「彼の母方が刑事さんの言ってた森萬という名字だったのですね」 「それでこの島に来た目的は、その波間という方に事情を聞たかったということでもあるのですが」 「波間さんはホテルにいませんでしたか?」 「いいえ。部屋はもぬけの空でした。黙ってどこかへ行かれたようです」 「三人が埋まっていた家の表札が森萬で波間さんのお母さんが森萬という名字、そして波間さんは失踪したまま」 「探偵さん、その通りです」  影山は消えた波間がこの事件にどう関わっているのかと思った。 第36章 謎解き  「ところで探偵さん、その波間さんと平野さんはどうしてこの相続の相続人になったのですか?」 「そこが今回の一番の鍵だと思います」 「と言いますと?」 「この系図を見て益々そのことが気になりました」 「よくわかりませんが」 「トキの相続人はこの系図からいっても、渡部淳と咲森哲夫以外にはいないんです。それをトキが波間さんと平野さんを遺言書で相続人に指定したのです」 「血がつながっていないのにですか?」 「恐らく血はどこかでつながっているのでしょう。でも法律上、当然に相続出来る関係ではありません」  そう言って影山は再び系図を見た。 「まず平野さんはこの系図によると、トキさんのお母さんの渡部ミズさんの兄さんである佐藤久伊さんの孫に当たります。渡部ミズさんの旧姓は佐藤だったわけです。そして波間さんは森萬コトエさんの息子であり、森萬カスミさんの孫なのですが、この森萬家とトキさんとはどういう関係なのかがちょっとわかりません」 「実は我々もこの系図を見た時にそこで詰まってしまったのです」 「犯行現場はその森萬と表札が出ていたお宅なのですね?」 「ええ」 「そこの住人の森萬という人物は?」 「いませんでした」 「いない?」 「住民票では出て来ませんでした」 「ではそこには誰が住んでいたのですか?」 「そもそもそこには誰も住民票を置いていなかったのです」 「では家の持ち主は?」 「空家でした」 「空家?」 「ええ、そこに住んでいた大場という人が亡くなったまま放置されていたようです」 「では誰も住んでいなかったのですか?」 「御近所はマンションばかりでして、そこに誰が住んでいたかは気にならなかったようですね。ただ時折誰かが出入りしていたのを見たことがあるという話は聞けました」 「男性ですか?」 「はい。中年の男性だそうです。しかし顔までは覚えていないということで」 「その大場という人には身寄りはいなかったのですか?」 「はい。一人暮らしでした。住民票はその人が亡くなってから5年経っていなかったので役所に残ってましてね。それで除票を取れました」 「ではそこから本籍を調べて戸籍を取られたのですね?」 「ええ」 「何かわかりましたか?」 「独り者でした」 「家族はないということですか」 「はい」 「では手掛かりなしというか、空家になった後に住んでいた人とは何の関わりもなかったということですね?」 「どうでしょうか」 「どういう意味ですか?」 「その方の本籍はその渋谷の住所だったのですが」 「はい」 「実は転籍をしたようなんです」 「転籍というと、どこからそこへ移ったのですか?」 「それがこの島からなんです」 「ここから?」 「はい」  その時影山は大場という名字がその系図にあるのではないかと思い、系図を端から目で追った。 「探偵さん、その大場剛という人物はその系図にはありませんでした」 「既に調べ済みなのですね?」 「ええ」 (あ、戸籍!)  家系図がダメだとすると、と影山が思った瞬間、次に浮かんだのが渡部と収集したトキの戸籍だった。 「刑事さん、では渡部トキの戸籍は取られましたか?」 「まだですが、それはこの系図があれば用を足しませんか?」 「足すかもしれませんが、足さないかもしれない」 「どういう意味ですか?」 「今この系図を見て思ったのですが、咲森さんのおじいさんなんですがね」 「ええとどの方ですか?」 「ここに咲森哲夫さんの名前があります。そしてこれが咲森さんのお母さんの須藤タミさん、そしてこれがおじいさんの須藤溢蔵さんです」 「はいはい」 「この須藤さんはトキさんの元夫ということですが、トキさんは須藤と名字が変わったことがないんですよ。つまりこの須藤さんは婿養子だったのです」 「でも、この系図には養子だとは書かれていませんね」 「ええ、それでですね」  そう言って影山はさっき片付けてしまったトキの戸籍を刑事の前に再び並べた。 「これはトキさんの戸籍なのですが」 「探偵さんはそれを取られてあったのですね」 「ええ」 「ええとその須藤なんとかという人は……」 「ここに名前があります」  そう言って影山は須藤が婿養子と表示された箇所を指差した。 「あ、ほんとだ。ここには渡部溢蔵とある」 「つまり」 「つまり?」 「この系図には養子の記載がないのです」 「何故?」 「恐らく紙面の関係か、それまで記載するとごちゃごちゃになって見にくくなってしまうからでしょう。系図などというものは、要は誰と誰が親子なのかがわかればいいわけで、それが養子だとか実子だとかは意味がないのだと思います」 「なるほど。しかしその養子が何か関係がありますか?」 「おおありです」 「え?」 「森萬という名字ですよ」 「森萬が何か?」 「ここを見てください」  そう言って影山は今度は別の戸籍を刑事の前に並べ変えた。 「ここの佐藤久伊さんです。この方は森萬家からの養子です」 「ああ、ほんとだ」 「するとですよ」 「すると?」 「森萬カスミさんとこの佐藤久伊さんは兄妹だったんですよ」 「カスミさんというと、相続人の一人の波間という人の祖母?」 「ええ」 「ということは……」 「平野さんと波間さんは、それぞれの祖父、祖母が兄妹ですから、はとこ、ということになります」 「はとこ!」 「ええ」 「なるほど」 「そしてトキさんとの関係ですが、平野さんの祖父とトキさんの母親が兄妹ですから、平野さんはトキさんのいとこ甥となります。それから波間さんですが、彼の祖母は平野さんの祖父と兄妹だったわけです。微妙な関係ですが、やはりトキさんのいとこ甥ととらえても良いかもしれません」 「微妙な関係と言いますと?」 「波間さんの祖母はトキさんの母親とは血のつながった姉妹ではありません。それに波間さんの祖母が渡部家に養子になったわけでもないの、戸籍上も姉妹ではないので、正しくは、トキさんとは何も関係がないのです。しかし、渡部家に養子に入った久伊さんとは兄妹の関係だったわけですから、兄弟の兄弟は兄弟みたいなことになったのだろうと思ったのです」 「つまり森萬カスミと森萬久伊が兄妹。森萬久伊が佐藤家に養子に入って佐藤ミズと兄妹になった。それで間接的に森萬カスミと佐藤ミズが姉妹の関係になったということですね。その佐藤ミズは結婚して渡部の姓になり、トキが生まれたということですね」 「刑事さん、その通りです。完璧です」 「何か戸籍だとか、そういう親族関係はどうも苦手で」  そう言ってその刑事は頭を掻いた。 「するとですよ」 「まだあるんですか?」 「ええ、ここからが始まりですから」 「是非、聞かせてください」 「殺された方のズボンのポケットに入っていた便箋に書かれた文字と、トキが出したなぞなぞは、どうやらこの辺りに関係しそうな気がして来たんですよ」 「ほんとですか?」 「ええ」  影山は次はトキのなぞなぞとそのヒントが書かれた便箋を前に置いた。 「先ずはなぞなぞです。これには人、貝と書かれてあります。そしてこちらがヒントです」 一、出るものは打たれる 二、千の一 三、恩があるということは、その方に借りたということである  二人の刑事は改めてその二枚の便箋が目の前に置かれると、それをじっと見つめた。 「先ず、ヒントからですが、出るものは打たれる。これは杭だろうと思ったのです」 「ええ。出る杭は打たれるということわざでしたか、ありましたよね?」 「ええそうです。そしてそれは殺された方のポケットからも似たような言葉が出て来ましたね」 「ええ、杭は打たれる。そして悔いは残った、ですね」 「はい。しかし、その杭の意味がわからなかった」 「はい」 「しかし、どうでしょうか、戸籍が手に入り、続いて系図が手に入るとトキさんがなぞなぞに取り上げようとした範囲がなんとなく見えて来たのです」 「と言いますと?」 「それは平野さんと波間さんが遺言で指定されたという事実からです」 「あ」 「彼らが呼ばれたのには必ず意味があると思いました」 「はい」 「そしてそれが今日やっと見えて来たのです」 「つまり?」 「二人が森萬家の子孫だからです」 「ああ!」  刑事はその瞬間、あの殺害現場だった戸建ての表札が目に浮かんだ。 「出る杭、これは何か過去の事実を言っているのか、或いは現在の誰かのことを言っているのかはわかりません。もしかすると、その両方なのかもしれません。ただその後に、悔いが残ったとありますから、それが誰かの後悔を表しているのだろうと思います」 「誰かの後悔? よくわかりませんが、それは犯人のですか?」 「恐らく違うでしょう」 「違う?」 「ええ、それがこのなぞなぞの鍵であり、事件の動機でもあるような気がするんです」 「森萬家の後悔」  その時若い刑事が初めてしゃべった。 「ええ、なんとなくそんな気がするんです」 「後悔? 復讐ではなくてですか?」  続いて年長の刑事がそう言った。 「後悔が復讐につながったのかもしれませんね」 「でもこの森萬家がどうして後悔など?」 「それをこの戸籍と系図から読み解かなくてはならないのです」 「そういうことですか」  年長の刑事はそう言うと次の影山の説明を待った。
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