18人が本棚に入れています
本棚に追加
/24ページ
第37章 水の兄
「この『水の兄』ってどういう意味だと思いますか?」
それは川本のズボンに入っていた便箋に書かれた言葉だった。
「ミズの兄というと……」
そう言って年長の刑事が系図を見ると、そこには渡部ミズという人物の名前があった。
「このトキさんのお母さんですか、このミズさんのお兄さん、という意味ですよね?」
「このミズさんには軍司という兄がいますね」
影山はその箇所を指差して言った。
「あ、はいはい」
「そしてこの兄は廃嫡になってると書かれています」
「廃嫡?」
「早い話、相続の対象からはずされたということです」
「何かやらかしたのでしょうか?」
「かもしれません。そしてその後に森萬家からこの久伊さんが養子に来ているんです」
「なるほど。するとこのミズの兄である軍司が怪しいということですか?」
「とっくに他界してますが」
「ですね」
「年齢から言うとこの久伊さんはミズさんより年長ですから、お兄さんと言ってもおかしくはないですよね?」
するとようやく若い刑事が話に参加して来た。
「ええ、ですからミズの兄とは、この方のことかな、と」
「僕もそう思います。この久伊という名前もずっと怪しいと思っていたので」
「確かにくいと読めるしな」
年長の刑事もそれに賛成の意向を示した。
「でも何て読むのですか?」
「ふりがなが振ってないので正解はわかりませんが、仮にくいではなくても、その漢字からくいさんと呼ばれていたかもしれませんね」
「出る杭は打たれる、悔いが残った、全て、くいという読みですからね」
若い刑事が段々饒舌になって来たのを影山は面白く感じていた。
「ただ」
「ただ?」
「そもそもこの久伊さんは何故佐藤家に養子に来たのでしょうか?」
「え?」
するとそこで若い刑事が真顔で影山を正視した。
「佐藤家には軍司という後継ぎがいた。しかし放蕩息子か何かで勘当された。それで森萬家から久伊さんが養子に来た」
「そういう流れでしょうね」
「すると養子と言っても、普通はこのミズさんのお婿さんではないですか?」
「なるほど」
「するとミズの兄ではなく、ミズの婿が正しいのではないですか?」
「確かに」
「じゃあやっぱり軍司だ」
「先輩、死んでます」
「おかしいのはそれだけではありません」
「まだあるんですか?」
「森萬家には男がこの久伊さんしかいないということです。残ったのは女のカスミさんだけです。一人しかいない男を養子に出すでしょうか」
「うんうん」
「まあそれは何か両家の取り決めがあったのかもしれませんが」
「はあ。そういうものですか」
「とにかく事実は森萬家から久伊さんが佐藤家に養子に行った。しかしミズさんとは結婚はしなかった。そして残ったカスミさんも結婚はしなかったということでしょうか」
「カスミさんが結婚をしていない? だってカスミさんには娘さんが生まれていますよね?」
「結婚したという記載が戸籍にはありません。それに父親の名前が記載されるところが空欄です」
「あ、ほんとだ。じゃあ私生児ということですか?」
「そうなりますね」
影山は「水の兄」から意外な話の展開になってしまったので、そこで少し頭の中を整理し始めた。
「探偵さん、何を考えてるんですか?」
すると急に止まってしまった影山を心配して、年長の刑事が声を掛けて来た。
「いえ、別に」
しかし、影山は最初の始まりだった「水の兄」について思考を巡らせていた。それは便箋にあった「水の兄」という書き方である。パソコンで書かれたものなら変換ミスということもあるだろうが、それは手書きであった。そうであれば、ミズを「水」とは書かないだろうと思ったからだ。それを何故「水」の兄と書いたか、それが気になった。そこで年長の刑事に思ったことをぶつけてみた。
「刑事さん、これ、何故漢字で『水』なんでしょう?」
「え」
「パソコンなら変換ミスということもありますが、カタカナを敢えて漢字に書いています」
「パソコンなら変換ミスをする?」
「うーん。どうかなあ」
その部屋にはパソコンはなかった。それで仕方なく影山は自分の携帯を取り出して、メールを作成する感じで、そこに「みず」と打ち込んで変換をしてみた。すると、最初に「ミズ」と変換がされた。次は「水」だった。それでパソコンだと変換ミスされる可能性があることがわかった。しかし、手書きではこのミスはないだろうと思ったのである。
「手書きではこの間違いはないですね」
それを見ていた年長の刑事が笑った。
「じゃあ探偵さん、一気に『みずのあに』と打ってみたらどうでしょう?」
「一気にですか。わかりました」
そこで影山は『みずのあに』と打ち込んで変換キーを押した。
「お!」
すると今度は「水の兄」という文字が一発で出て来た。
「パソコンで変換して、それを書き写したのではないかな?」
影山は確かにそれもあるとは思った。しかし、こんな漢字を書けない人がいるのだろうかとも思った。
「刑事さん、この漢字は小学生でも書けますよ」
「まあそうですね」
「三日月」
すると年長の刑事は初めてその若い刑事の名前を呼んだ。
「探偵さん、実はこいつ、漢字博士でね。漢字にはかなり詳しいんですよ」
「漢字博士ですか?」
影山は何のことかと思った。
「お前、この水という漢字が何年生で習うか知ってるか?」
「小学校1年生です」
「ね! 探偵さん。すごいでしょ!」
「はあ」
「じゃあ、この兄という漢字は?」
「小学校2年生です」
「ね!」
「はあ」
影山はいったい何の茶番かと思った。しかしこの言葉に使われた漢字が小学校低学年でも書ける漢字だということはわかった。
「でも……」
「なんだ、まだ言いたいことがあるのか?」
三日月という刑事はまだ年長の刑事に何か言い足りないという様子だった。
「これ……」
「これがどうした?」
「これ、『みずのあに』じゃなくて、『みずのえ』ですね」
(え?)
「みずのえと読むんですよ」
そう言われて影山は確かに兄という漢字は、えとも読むと思った。
「そして、みずのえは漢字一文字でこう書きます」
そう言って三日月刑事はそこらへんにあった紙に自分の胸にささっていたボールペンで文字を書いた。
―壬―
「これって壬生の壬っていう字だね。」
「はい」
「もしかして、これを言いたかったのかな?」
「あ!」
その瞬間年長の刑事が大きな声を出した。
「ここに佐藤壬生っていう人がいますよ!」
それはトキの祖父に当たる人だった。そして軍司とミズの父であり、久伊の養父に当たる人だった。
「すると事件の鍵はこの佐藤壬生?」
最初のコメントを投稿しよう!