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第6章 なぞなぞ
その日、川本がトキのところに行くと、トキが誰かに手紙を書いているところだった。
「ばあちゃん、元気だね」
「まだまだあんたになんかの世話にはならないよ」
「ばあちゃんみたいな年寄りばっかだと、こっちも商売あがったりだね」
川本は近くの介護施設で働いていた。トキの住む辺りがちょうど彼の担当地区だったのだが、その中でも最も高齢のトキが依然元気なことにいつも驚いていた。しかしそうは言ってもいつかは自分の世話になるだろうと、暇を見つけてはトキの家に寄っていた。
「ばあちゃん、いくつになるの?」
「そろそろ100だよ」
「へえ、じゃあ何かお祝いしないといけないね」
「何言ってるんだよ。白寿の時には何もしてくれなかったくせに」
「白寿?」
「いま私は99だよ」
「そろそろ100だっていうことはそういうことだよね」
「白寿はその99のお祝いだよ」
トキはそこまで言うと休めていた手を再び動かし始めた。
「ばあちゃんも手紙を書くんだ」
「面白いなぞなぞが出来たから、それをお友達に解いてもらうんだよ」
「なぞなぞ? 面白そうだね」
「うん」
「よし! 僕が解いてみようか?」
「お前には無理だよ」
結局トキは、その問題を川本に見せることなく封筒に収め、そして郵便ポストに出す役目だけを川本に委ねた。しかし、川本はどうしてもトキが作ったそのなぞなぞを解いてみたくなり、その封筒を開けてみることにした。川本は以前テレビでやっていた、やかんの蒸気を使って封筒をきれいに開封する方法を覚えていた。それでポストには向かわずに家に戻り、それからやかんで湯を沸かすとその蒸気で封筒を開けたのだった。
「石、袖、裏の三つの文字に共通するものってわかる?」
中には二枚の便箋があった。一枚目の便箋にはそう書かれてあった。後の一枚には何やらトキの字で長々と文章が書かれていた。
「実はこの問題を使って遺言書を書こうと思っています。遺言で相続人を指定するのです。行政書士の先生に相続のことをお聞きすると、どうやら私の孫に半分ずつ財産を分けなくてはならないらしいのです。でも私は素直に彼らに財産をあげるつもりはありません。彼らにその財産を誰から受け継いだのか身にしみて理解することなしには1円たりとも渡すつもりはないのです。それで私はあることを思いつきました。それにこのなぞなぞなのです」
川本は初めてトキの書く手紙を読んだ。そして一読して、どうも変な文章だと思った。それでもう一度読み見ると、ところどころ助詞の使い方がおかしいことに気が付いた。しかし、盗み読みしていて、それを訂正するわけにはいかないと思い、そのままにした。
(彼ら? トキさんの孫は淳さん一人だけのはずだけどなあ。やっぱり100歳にもなるとボケてくるのかな)
川本はその手紙をそのまま封筒に戻すとその開封した口を糊づけしてポストに向かった。
第8章 トキの死
その日は、掛り付けの医者の斉木がトキの家に往診に来る日だった。ドアフォンを鳴らしたが反応がなかったので、最初斉木はトキが出掛けているのかと思った。しかし、往診の日をトキが留守にすることは今まで一度もなかったので、少し心配になった。それで玄関から中に入って大きな声で呼びかけてみたのだが、家の中は静まり返ったままだった。斉木は何か悪い予感がして、家の中に上がり込みトキの姿を探した。するとトキが風呂場で倒れているのを発見したのだった。トキの死因は心臓発作だった。葬儀はトキの遺志で密葬になった。
斉木からの連絡を受けて管財人の元町行政書士は早速相続人を招集することにした。先ず元町はトキの孫の渡部淳に電話で連絡をした。渡部はトキの家から車で十分くらいの所に住んでおり、その電話に慌てて駆けつけて来た。次に元町は咲森哲夫に電話を掛けた。
「あなた、行政書士の方が遺言がどうのと言っていて……」
「誰?」
咲森は妻が何をそんなに焦っているのか理解出来なかった。
「なんでも前に手紙を送ったとか」
「手紙?」
「ほら、あの手紙」
(あ)
妻が無理に押し付けて来る子機を受け取ると、咲森は静かに話を始めた。
「はい、咲森ですが」
「咲森哲夫さんですね?」
「はい、そうですが、あなたは?」
「行政書士の元町といいます。実はあなたのおばあさんに当たる渡部トキさんが亡くなられましてね。それで遺言であなたに遺産を分けたいとあるんですよ」
「私の祖母?」
「はい」
「その渡部トキという方が?」
「ええ」
「聞いたことはないですが、そうなんですね?」
「はい」
「先日、恐らくその方だと思われる人から手紙が届いたんですよ。中味は、なぞなぞみたいな意味不明のものでしたが」
「はい。承知しています」
「じゃあ、あれって」
「今回の相続に関係があることなんです」
「そうだったんだ」
隣で妻が聞き耳を立てていた。そして小さな声で「やっぱり」とつぶやいた。
「そうだとしても、なんかしっくり来ない話ですね」
「わかります。それで詳しいお話をしたいので、是非こちらまでお越し頂けないかと」
「どこへ?」
「こちらは香川県小豆島です。そこで相続人の方全員の前で遺言書を公開します」
「随分遠くですね」
「はい」
「でも行けば財産をくれるんだ」
「はい」
「じゃあ、あのなぞなぞは?」
「そのご説明も致します」
「わかりました」
「こちらまでの旅費は口座にお振り込み致します。宿泊用のホテルもお取りしておきますので」
「いつそちらに行ったらいいんですか?」
「明後日の土曜日はご無理ではありませんか?」
咲森は一瞬、土曜日に出勤をして、たまっていた仕事を片付けようかと思っていたことを思い出した。しかし、どうやらこちらの話の方が美味しそうなので、わかりましたと返事をした。
次に元町は平野タエに電話を掛けた。しかし何度掛けても留守番電話になってしまった。仕方なく3度目の電話で至急小豆島に来てくれるようにと吹き込むとそれを切った。
それから元町は最後に波間コトエに電話をした。今まで一度も繋がったことがなかった電話だったが、5回コールが鳴った時に受話器を置こうとすると、突然男の声が聞こえて来たので元町は慌てて受話器を耳に当てた。
「はい、波間ですが」
「あ、初めて繋がった」
「え?」
「波間コトエさんは御在宅でしょうか?」
「死んだよ」
「死んだ?」
「もう三回忌も終わってるよ」
「そうでしたか」
「あんたは?」
「あ、私は渡部トキさんの遺言執行人の元町と申しますが」
「渡部トキって、手紙をくれた人?」
「はい」
「その遺言執行人って?」
「はい。渡部トキさんがお亡くなりになりました。それでトキさんの遺言を執行する行政書士の元町といいます」
「……」
「もしもし?」
「はい?」
「聞こえてますか?」
「聞こえてるけど、あんた冗談言ってるんじゃないよな?」
「冗談とは?」
「俺をかついでるんじゃないよな?」
「そんなめっそうもない」
「遺産をくれるっていう話だろ?」
「ええ」
「見ず知らずの人にそのトキさんと言う人が?」
「はい」
「なんで?」
「それは色々とありまして」
「……」
「何かご不審な点でも?」
「おおありだよ。なんか今流行りのなんとか詐欺とか言うんじゃないだろうね?」
「そんなことはありませんよ」
「ほんとかい?」
「ええ、お疑いなら調べて頂いても結構です。私の身分の照会は行政書士会を通じてして頂ければ」
「ああ、わかったよ。じゃあ遺産をくれるっていう話はほんとだっていうわけね?」
「はい。ところでお宅様は……」
「俺は波間貞夫。コトエの息子だけど、息子だともらえないの?」
「コトエさんにご兄弟はいらっしゃいましたか?」
「いない」
「ではあなた以外にお子さんは?」
「いない」
「では、コトエさんに分けられるはずだったものは、あなた一人だけのものになります」
「ほう。くれるっていうならありがたくもらっておくよ。それでそのトキさんの財産て、いくらあるの?」
「総額60億円です」
「すげ!」
「それがあなたを含めた相続人で分けられるのです」
「何人で分けるの?」
「相続人は四人です」
「じゃあ一人当たり15億円?」
「それで、その詳しいお話をさせて頂きたいのですが、トキさんの住んでられたところにお越しいただきたいのですが」
「行くよ。いつ行けばいいの?」
「明日はどうでしょう?」
「うん。行く」
「それでは交通費を振り込ませて頂きますので、銀行の口座番号を教えて頂けますか?」
「どこまで行けばいいの?」
「香川県小豆島です」
「とりあえず、それくらいのお金はあるから、そっちへ着いたらそれは返してもらうよ」
「承知しました。ではBRホテルにお部屋をお取りしておきます。フロントで波間さんのお名前をおっしゃって頂ければ良いようにしておきます。宜しくお願いします。それから明日の午後7時に詳しいお話を致しますのでそのホテルのラウンジにお越し下さい」
「そのBRホテルってすぐわかるの?」
「はい。フェリーが坂手港に到着したらホテルにお電話ください。すぐに迎えに行かせます。坂手港までは神戸の三宮港からフェリーで約3時間です」
「わかった」
元町は、それで相続人全員への連絡を終えた。
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