逃。

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 私はかつて、自分の私利私欲を優先する事だけしか能がない夫に、振り回されていた。欲望が満たされないと口汚く罵り、時には物を投げ、私にも手を上げた。  何で、こんな人と結婚したんだろう。  そのせいで、最初に作った愛の結晶が儚く散ったのだ。生まれた時から両親がいない私にとって、唯一の拠り所だった。それなのにあいつは、夕飯が作るのが遅いと突き飛ばしてきたのだ。  尻を床に強打し、足の間から生暖かいモノがどろりと溢れ出した瞬間、私は思い知った。  貴方の中に、愛はなかったのね。  貴方は、私を操り人形さんにしか思ってないのね。  夫にどれだけ献身しても、どれだけ機嫌を損ねないよう動いても、私は絶望の底を彷徨っているだけなんだと気づいた。 だから、別れることにした。でも、そう簡単に事は運ばない。私は夫に離婚を持ちかけた瞬間、罵詈雑言と拳を振り上げられた。殴って、殴って……気づいたら、私は冷たい床に転がって朝を迎えていた。  醜すぎる執着に、思わず身震いした。夫は、何が何でも私の手元に置くつもりだ。その狂気をまざまざと見せつけられた瞬間だった。  全身の震えが止まらず、私は落ち着くまで身体を丸めていた。  その時、身体から濃く香った鉄の味を今でも忘れられない。  結局、私は夫にバレずに行動に移すしかなかった。専業主婦だったから働き口を死ぬ気で探して引っ越し資金を貯めて、夜逃げ同然で夫の元から去った……夫が、また無理矢理植え付けた、愛の結晶と共に。  夫の暴行は引っ越し前までも続いたため、また出来てしまったのだ。正直言って、最初にできた子のような幸福感はそれ程なかった。逆に、視界を覆ってしまう霧が常に付き纏われている感覚に襲われた。  この子を産んで、育てられるだろうか。これから、女手一つで育てられるだろうか。収入も住まいも、安定していないのに。  そんな考えが頭の中を駆け巡っていた。だけど、赤ちゃんは私のお腹にいたいというように、ぽこりと叩いた。  久しぶりの、命の振動に、瞼に熱いものが溜まった。ああ、私のお腹の中で生きているのね。愛おしい我が子が、いるのね。  そう実感して、私は決意した。  お腹の子を無事に産ませ、育てる事を。  
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