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しあわせになりましょう
お母様、どうして僕が大学進学を止めたか分かる?
しあわせになりたいんだ。
ありのままの自分を認めたいんだ。
伯母様が言ってたんだ。
人は、みんな産まれてきた意味があって、何かが出来るから偉いとか、出来ないからダメとかじゃないって。
産まれてきたその事に意味があるって。
だから、「寿人君は、もしかして何か病気や障害があるのかもしれない。
自分でも普通じゃないと感じると言ってたでしょう?
でも、だからダメとか、生きてる意味がないなんて事はないの。
寿人君は、普通じゃないと感じて、
つらかったり、色々あると思うの。
それでも負けないで自分らしく生きている、それだけで皆に勇気を与えることが出来るのよ。
素晴らしいことなのよ。
だから笑って、しあわせになりましょう。
寿人君は、しあわせになるために生まれてきたのよ。」
そう言ってくれたんだ。
だから、お母様もしあわせになろうよ。
作り笑いじゃなくて、心から笑えるように、そしてその笑顔を見て周りの人も笑顔になれるように。
寿人がこんな風に考えていたなんて…
お金も地位も得て、それが幸せへの道だと思ってたのは、間違いなのね…
でも、いまさらそれを認めることなんて、私に出来るのかしら?
今までの自分を全否定することなんて…。
そうして躊躇っているうちに、義父は認知症が更に進み、自宅療養も難しくなって、施設に入ることになった。
義母も身体の調子が優れない事が増え、車椅子になってしまった。
すると、今まで義母に媚びへつらって取り巻いていた人たちも、次第に呼んでも理由を付けては近づかなくなって、やがて誰もいなくなった。
後ろ盾を失った夫は専務を解任され、隠していたアルコール中毒が発覚し、強制的に入院させられた。
ニューヨークにいた長女の夫も日本への転勤を命じられ、渋々帰国。
帰ってくると、首を切られなかったものの、支店の隅に追いやられた。
こうなってやっと、私は腹を括ることが出来た。
寿人を義兄夫婦に預け、母方の実家のある街に引っ込んで、今は障害のある子どもたちやお年寄りのお世話をするボランティアをしながら静かに暮らしている。
もちろん、住まいや生活はお義兄さまが配慮してくださっている。
東京を離れ、上を目指す事から解き放たれたとき、私は初めて自由になったと感じた。
自分のことも自分でしないで、周りがやってくれるのが当たり前だったとき、
私はいつもイライラしていたと思う。
自分でやったこともない癖に、
人のやる事に文句ばかり付けていた。
自分でやるようになってみて、初めて己がいかに理不尽だったか分かった。
文句を言われ小言ばかり言われることのつらさが分かった。
そうしたら、自然と“ありがとう”という言葉が出るようになった。
笑顔で“ありがとう”というと、相手も自然に笑顔になる。
寿人がいっていた“しあわせ”とは、
こういう事なのかもしれないと思った。
義父母も私の両親も、そして夫や娘たちも、かわいそうな人だったのかもしれない。
贅沢をして人にもてはやされ、注目を浴びる事がしあわせだと思っていたのだろう。私もそうだった。
しかし、それは偽りのしあわせだった。
そんな物は、いつかは失われてしまうのだ。張りぼてのしあわせ。
人に、周りに、生きていることに感謝出来ない事は、なんと淋しいことだろう。
全てのことに感謝できるようになれば、人はしあわせになれるのだと、
今なら分かる。
人に勝つのではなく、昨日の自分に勝つこと。今日も生きていられたこと。
しあわせになるのには、それだけでいいのだ。
両親のせいではない。
私が愚かだったのだ。
寿人は、それを教えてくれるために、
障害を背負って生まれてきてくれたのだと思う。
最近、寿人が「一緒に住もう」と言ってくれている。
寿人もどうやら、小さい子の世話が性に合っているようだ。保父の資格を取ったらしく、保育園で働いているという。
障害があって、ある意味こどもっぽいところがあるから、時々本気になってお世話をしている子どもたちとケンカをすることもあるようだ。
世話をするというより、子どもたちともに成長しているのかもしれない。
写真の寿人は笑っていた。
心から楽しそうに。
私もそうなれるかしら。
もう、なってるのかも。
紀世美さん、最近笑顔が優しくなったわねって、ボランティア先のおばあちゃまに言われた。
あなたが来てくれて嬉しいわ、とも。
ありがとう、寿人。
しあわせになりましょう、一緒に。
おわり
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