僕はなんなのか

1/1
11人が本棚に入れています
本棚に追加
/12ページ

僕はなんなのか

僕の名は、和 寿人(のどか ひさと)。 父は名の知れた会社の専務取締役で、 伯父が代表取締役社長をしている。 祖父は既に老齢で第一線を退かれ、 代表権のない会長となっている。 会長夫人である、僕から見れば祖母に当たる人は、とても社交的な方で、今でも広い人脈を持たれているそうだ。 だから口さがない人は、 「会長が社長の頃、実質的に会社を動かしていたのは、社長夫人だ。」というらしい。 お祖母さまのご実家・親類は事業を営まれている方、大学教授など各界で重鎮となっている方が多いからなのだろう。 社長をしている伯父には、ひとり娘の愛実(あみ)さんがいる。 僕にも年の離れた眞美(まみ)、佳蓮(かれん)というふたりの姉がいる。 愛実姉さん(と僕は呼んでいる)は優秀な方で、会社を継がれるのかと思っていたら、どうやら経営より文学や歴史がお好きらしく学者の道を目指しているようにも見える。 僕の姉ふたりは、はっきりいって真面目じゃない。遊ぶことばかり考えていて、愛実姉さんと従姉妹とは思えないくらいだ。 パーティーなどの公式の場では、良家のお嬢様らしく振る舞ってはいるが、家の中ではお手伝いさんに対する言葉もぞんざいでワガママ。 学校時代も成績も良くなかったらしく、母さんと大声でケンカすることもしばしばだ。 母さんも一応大学教授の娘で、表向きは帰国子女で英語が堪能と言いふらしているが、実のところそれほどでもない。 まあ、日常会話はできるかな? くらいのレベルだ。 それよりも困るのは、母は日本語が不自由なことなのだ。 それは、母が幼少期の頃、父(僕から見れば祖父)が留学や仕事の関係で、海外を転々としていて、 しかも家でも日本語を使わず英語を使うという教育方針だったらしく、帰国後もしっかりと英語を学んでいれば、英語を母国語とすることが出来たのだろうけれども、それをしなかったために、 英語も日本語も中途半端、母国語を持たない、いわゆるセミリンガルになってしまったのだ。 だから母は、日本語でも英語でも難しい事や込み入った話になると理解できずヒステリーを起こす。 どうやら(ハッキリとは分からないが)母方の祖母は半島の血が流れているらしく、普段は教授夫人らしく見せているが、ケンカになると半島の人のように罵る言葉が凄いらしい。 母は、きっとその血を受け継いでいるのだ。 上の姉眞美は、親の反対を押し切って、大学時代の恋人と駆け落ちのようにして結婚してしまった。 今は、一応ニューヨーク支社に姉の夫は在籍しているようだが、窓際にいて、周りは迷惑していると漏れ聞こえてくる。 下の姉は、恋人はいるらしいがまだ結婚はしていない。最近は両親とも折り合いが悪く、広い敷地内に別棟があるのだが、そこでひとり暮らしをしている。 もちろん、身の回りに世話をするお手伝いさんを付けて。 お祖母さまは元々父を可愛がっていたらしく、姉ふたりがあんなだから、 勢い僕に目をかけて可愛がり、 後継者として期待してくれている。 それは、もちろん嬉しいのだけれど、 僕は社長になどなれないと、最近気づいてきた。いや、なりたくないのだ。 僕は愛実姉さんのように優秀でも努力家でもない。 なにより、祖父母にも隠しているが(バレているのかもだけど)僕には障害があるのだ。 ちゃんと病院で調べたわけではない。 でも、自分のことをネットで調べると 当てはまることがある。 恐らく僕は、軽い知的障害と発達障害を持っているのだ。 伯父夫婦にひとり娘しかいないから、母は無理をして僕を産んだらしい。 母は義姉に当たる伯母に、いつも対抗心を燃やしている。 伯母も帰国子女なのだが、母とは違い、海外にいる時も日本語を忘れないよう学び、英語やドイツ語、ロシア語も会話だけでなく、難しい文章を読んで書けるくらい堪能で、そのくらい努力されてきた人だ。 しかも、誰にでも優しく気配りの出来る方なのだ。 だから、母は伯母が妬ましくて仕方がないのだ。 幼い頃は、皆が僕を大事にし可愛がってくれるのが嬉しかったし、母のことも好きだった。 でも、ある時気づいてしまった。 母は、僕のことが好きなんじゃなくて、伯母(義姉)に勝てる唯一の方法が僕だから、大切にしているだけなんだと。 だから、大切にしていると言いながら、僕を置いてお手伝いさんやベビーシッターに預けて、海外に父と一緒に何度も出掛けていたのだ。 母は、パーティーのような目立つ華やかな場所が好きだ。日本に居ても、父が海外出張する時もパーティーが予定されていれば必ず付いていく。 母は、専務夫人の次は社長の母になりたいのだ。僕はその為の道具でしかない。
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!